人々が心に抱くモノ:「ナポリを見て死ね」という言葉は日本でも知られている。ローマ帝国時代の遺産、ルネッサンス時代の芸術・文化、地中海やアドリア海・アルプスに囲まれた美しき風土、それがもたらす美味、そして、美しい工芸品の数々・・・「イタリア」に憧れる日本人は多い。冒頭の言葉(原文はイタリア語)が日本語に訳され、多くの人が訪れたい場所のひとつに「ナポリ」を挙げる背景には、そんな日本人のイタリア観がある。
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しかし、人々の「ナポリタン」への思い・印象は、まったくもって日本的である。見ての通り、和の伝統には所属していないが、疑いなく日本のソウルフードのひとつであり、「牛丼」以上に人々の心・記憶のなかに占める割合は、広く、深い。
時代がどんなに変わろうとも、ナポリタンに個人的な“想い”を重ねて語る人は今後も尽きないだろうし、ナポリタンの最初の3文字がイタリアの港町を意味していることを、言われて気付く日本人はこの先も増えるばかりではないか。日本化(和魂洋才)が顕著に表れた一例である。
概要:名前の由来は風光明媚な景観で知られ、世界遺産もあるイタリア南部の港町「ナポリ」、その所有格、あるいはナポリ人を表す英単語である。しかし、その名前とは裏腹に、日本特有の食文化が反映された料理で、年代・地域を問わず、食したことのない人はまずいない「国民食」の一つ。
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また、米国発祥のケチャップを主にした味付け、断面が円で麺状のパスタ※を使うことは共通だが、その太さ、茹で加減、ソーセージ・ピーマン・玉ねぎ等の具材、それらの炒め具合、盛り付ける容器が皿か鉄板か・・・など、地方・店・家庭によって、多彩な広がりを持つ料理でもある。
その名称からルーツと思われる、スパゲッティ・アル・ナポリターナ(Spaghetti alla Napoletana)という料理は、イタリアだけでなく、隣国、スイス・フランス・ドイツでも人々に食されている。しかし、ナポリタンとの共通点はスパゲッティを使っていることぐらいで、まったくもって非なるもの。
日本を訪れるイタリア人は、自国の代表的な主食を使い、ナポリの名を借りていながら、遠い極東の地で独自の進化をとげた食べ物が存在することに戸惑う。そして彼らは一様に、日本の庶民にとって欠かせないものとなっている、という思いも寄らなかった事実に驚く。
※日本では一般的に「スパゲッティ」と呼んでいるが、JAS規格(日本農林規格)では1.2㎜以上の太さの棒状又は2.5㎜未満の太さの管状に成形したものをスパゲッティとして規定
歴史:日本の食卓の隅々にまで浸透しているナポリタンだが、コトの始まりの詳細は不明である。日本がサムライの時代に終わりを告げ、革命と言ってもおかしくないほどに、食文化だけでなく、社会のあらゆる面・人々の価値観が変貌した「明治維新」。その後にナポリタンの歴史が始まり、広まったという点だけは異論はないが、それ以外は定かではない。
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同様の端緒・進化(日本化)の道筋を辿った「カレーライス」「ハヤシライス」「オムライス」「ビフテキ」「とんかつ」・・・などの「洋食」と同じように、ナポリタンの歴史には諸説がある。Wikipediaだけを見ても、発祥について5つの説があり、さまざまな“文献”も発行されている。最近では、横浜税関も“論争”の一翼を担っているが、社会全体での共通認識は未だ存在していない(知の悦びが続く)。
過去50年ほどの間に、ファミレス・食堂・喫茶店のメニュー、スーパー・コンビニのお弁当、家庭や学校給食の献立と、日本の庶民の胃袋を支えるあらゆる場所をその勢力圏としたナポリタン。今後も独自の発展を遂げていくことは間違いない。