人々が心に抱くモノ:誰もが描く絵柄は「246から絵画館に向かって整然と伸びる銀杏並木の美しさ」である。晩秋の陽の光を受けて映えたつ鮮やかな黄色に染められた景色には、例えようのない素晴らしさがある。 つづきを読む
秋だけではない。熱帯のような暑さに見舞われることが毎年となった東京の夏。この地を訪れた人は、木陰や土の香りに一時の涼を得る。そして、季節を問わず、そこかしこからスポーツを楽しむ人たちの歓声、そして球音が聞こえてもくる。東京ではなかなか巡り会えなくなっている“広い空”があることも、この場所に惹かれる人たちが少なくない理由である。
神宮外苑の空間設計は日本古来のものに由来しない。近代になって西洋的なモノを“日本”らしく、和魂洋才で取り入れ、作りあげられたものである。それが“神宮”であること、そこで人々が野球やサッカー、ラグビーを楽しんでいることもまた、極めて日本らしい。
そして、一部のゲームファンにとっても神宮外苑と246は“聖地”となっている。実際に訪れて走り抜ける時を夢見るひとは世界中に存在している。
概要:国道246号線が「青山通り」と呼ばれる区間のほぼ中間にある「外苑前」は街の名称ではない。日本最初の地下鉄・銀座線の駅名である。「外苑」とは原宿にある明治神宮の北参道に連なる「明治神宮外苑」のことを差しており、その南西周辺のエリアが「外苑前」と呼ばれている。
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246にある「青山門」から聖徳記念絵画館へと伸びる全長300mほどの「銀杏並木」の美しさで知られ、紅葉の季節には多くの人が訪れる。また、さまざまな撮影のロケ地としても有名で、「新東京百景(公募で選定された都市や自然の景観、名所や旧跡といった都内の景勝地)」にもなっている。
前回(1964年)、そして次回2020年もオリンピックのメインスタジアムとなる国立競技場を始め、明治神宮野球場や秩父宮ラグビー場など、さまざまなスポーツのトップアスリートが頂点を競う地でもある。
歴史:江戸時代の初期には徳川家康の家臣「青山氏」の邸宅があったことから、この一帯は「青山宿」と呼ばれていた。
現在の外苑前交差点やそこから秩父宮ラグビー場に向かう坂は当時から存在し、その沿いには「青山甲賀百人組」の家々が並んでいた。その名にある通り、戦国時代に名をはせた「忍者」に由来をもつ人々で、当時、江戸城大手三の門の守備や将軍の寛永寺・増上寺参詣の警衛を務めた4つの百人組(鉄砲組)のうちの一つがこの地で寝起きをしていた。
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明治時代には、現在の神宮外苑とほぼ重なる区画が陸軍の青山練兵場となった。明治天皇崩御(1911年)の後、代々木に造営された明治神宮(内苑)とともに、神宮外苑が「体力の向上や心身の鍛錬の場、また文化芸術の普及の拠点」として整備された。
浅草から日本橋・銀座を通って渋谷に至る、日本最初の地下鉄・銀座線の駅ができたのは1938年。前回の東京オリンピック開催を機に246が拡張され、現在の区画となった。