通称:見附(ミツケ)
人々が心に抱くモノ:旧江戸城のお堀と石垣、一ツ木通り周辺の歓楽街、外堀通りと246の交差点、地下鉄銀座線・丸ノ内線、林立する高級ホテル、これらが脳裏に浮かぶ景色だろう。隣接する「赤坂」にはTV局や大手広告代理店があるため、芸能人や業界人が遊んでいるイメージを持つ人や、TVで目にした政治家が夜の会談を終えて料亭から出てくるシーンを思い浮かべる人もいるだろう。銀座、六本木、西麻布、青山などと同じように、「大人の遊び場」「高級な店」が多く、他の繁華街よりも敷居が高い、というイメージがある。
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バイクやクルマ好きであれば、緩やかな弧を描いて左右にくねり、適度なアップダウンもある「外堀通り」「246」「首都高4号線」である。渋滞がない早朝や深夜に駆け抜けたことが一度でもあれば、好きな道にリストアップされることは間違いない。また、赤坂見附交差点は「最終コーナー」として世界中に知られている。
概要:「江戸城三十六見附」のうちのひとつ「赤坂見附」の跡地、もしくは地下鉄・赤坂見附駅の付近一帯の名称である。「見附」とは、枡形門の外側にある門、あるいは街道の分岐点などの交通の要所に置かれた見張り所を指す言葉(ちなみに、ヤマハ発動機の本社がある磐田市中心部の地名も「見附」である)。
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赤坂見附の交差点では、旧江戸城の外堀を埋めて(あるいはその沿いを)走る環状線「外堀通り」と「国道246号線」が交わる。弁慶橋を介して紀尾井町からの道もつながる五叉路で、首都高4号線の高架線がその上を走る。また、赤様見附駅で乗り換え可能な地下鉄が5本あり、前回の東京オリンピックを契機に建設されたホテルニューオータニなどの高級ホテルも周辺に集まっているため、人の往来が絶えない。
歴史:付近で貝塚が発見されていて、古来、湧水にも恵まれていたことが分かっており、人が定住するようになってから数千年の歴史があるとされている。しかし、この一帯が「赤坂」と呼ばれるようになった時期は不明である。また、その由来には諸説がある。
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文献に「赤坂」が登場するのは江戸時代以降のこと。「赤坂見附門」が作られた坂道は、西に向かって下っていて、その地面は未舗装の赤土であったため、夕陽が差す時刻に坂下(現在の赤坂見附交差点)から見上げた際には、文字通り「赤坂」の様相を見せていたと思われる。
明治になると「赤坂」は正式な区名へと昇格した。現在、「赤坂見附跡」の周辺一帯は、行政区分上は、港区の「赤坂」「元赤坂」、千代田区の「紀尾井町」「永田町」に分けられているが、人々がこのエリアについて口にする際には「赤坂見附」の名称が一般的である。