通称:内環(ウチカン)
人々が心に抱くモノ:バイクやクルマを走らせることが何よりも好きな向きには、内環は「楽しくて時間を忘れてしまう道」である。また、高層ビルや都市の夜景をこよなく愛する人にとっては、他に類のない「展望台」として、他の道路とは別格の存在となっている。
ビギナーにとっては「手強い」道路であり、内環の合流・車線変更はナビの実力が試される場所でもある。
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愛好者にはそれぞれ、お気に入りのコーナーやトンネルを抜けた先に拡がる景色がある。合流と分岐を頭に叩き込み、スマートに走り抜けることに悦びを見いだす人も多い。路上で感じるアップダウンと地面からの高低差の変化が比例していないため、タイヤが路面を確かに捉えているフィーリング、流れる景色がもたらす空中を走るような浮遊感、その2つが同時に味わえることを知ってしまったら、「内環」は呼び名ではなく符号となる。
そして、仕事で毎日走る営業マンであっても、週末の早朝・深夜を選んで走る数寄者(スキモノ)であっても、「内環」を知り尽くしていることは、どこか誇らしい気持ちにさせてくれる。地図やゲームでシミュレーションを重ねるよりも、彼らをナビゲーターにすることが、ビギナーにはおススメである(独り気ままに走るのが好きなタイプには厄介な存在だが)。
概要:正式名称は「首都高速都心環状線」、首都高を象徴する路線である。都心から半径3km以内を環状に走り、東西南北に拡がる放射線などにつながる9つのジャンクションをもつ。延長は15kmに満たないため、渋滞のない夜間であれば30分ほどで都心部を一周できる(基本的に昼間はその数倍である。ちなみに、観光客が押し寄せるGWや盆・正月の休みには、“走りたい”人にはおススメできない様相となる)。
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河川やお堀を覆って走る高架式、楓川や築地川を干拓した掘割式、斜面をつらぬくトンネル式が大半で、地面を走る区間はほとんどない。また、車線の呼び分けには、一般的に使われる「上り・下り」「走行車線・追越車線」ではなく、「内回り・外回り」「左車線・右車線」が使われる。
歴史:1958年に計画が議決され、「空中作戦」の名のもとに建設が始まった首都高。内環は文字通り、その中核となる路線として驚異的なスピードで建設が進められた。運用開始は1962年(昭和37年)、京橋から浜崎橋ジャンクション(JCT)の区間で、東京オリンピックの余韻がまだ残る1967年7月4日に完成された。
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高度成長とともに、内環の通行量は当初の予測をはるかに超えたスピードで増加した。そのため、奇跡ともいえる偉業を考えれば“汚名”でしかない、“首都駐車場”と呼ばれた時期もあった。
2013年の終わりには、2020年のオリンピック開催に向けた大規模更新・修繕の計画が発表され、日本橋付近の高架を地下化する論議もあるが、内環は日本の高速道路網の最深部で重要な役割を果たし続けている。