人々が心に抱くモノ:出身・住処・年代・生業・訪れる目的によって、脳裏に浮かぶ「街の顔」が多種多様な街が東京にはいくつかある。なかでも、渋谷は尋ねる相手によって、その答えが最も無限に異なる街である。
渋谷駅がある谷底からどの方角にも登り坂が見つかる渋谷特有の地形と同じく、「渋谷ってところは・・・」の行き着く先は、四方八方に拡散してしまう。例えば、渋谷=109&ギャルの街という人は年代を通じて多いことは容易に推測できる。しかし、その口調には「好き」と「嫌い」がはっきりと表れるだろう。
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バブル世代であれば、渋谷=PARCOに代表される“おしゃれな若者文化”(ファッション・音楽・出版物・映画・劇場・食事・etc.)がまず頭の中に思い浮かぶ人が、少なくとも「多数派」ではあるだろうし、さらに上の世代で横浜方面に住む人達にとっては「それは本来の渋谷ではない」となるかもしれない。渋谷を東横線で訪れ、駅の東西にある百貨店、プラネタリウムがあった文化会館(現在のヒカリエの地にあった)、今や海外にも知られる東急ハンズまで、渋谷を語るには「東急」が枕につくモノで始まるのが彼らにとっては自然なのかもしれない。
世代・嗜好によって「円山町」という言葉に抱くイメージも極端に異なる。繁華街から外れた途端に閑静な高級住宅街が広がるエリアもある。のんべい横丁の温もりをこよなく愛する人もいる。
かように一筋縄で語れない街であり、そこにある“坂”の数だけさまざまな文化風俗が混在する“すり鉢”のような場所。これこそが、誰もが納得もしないが否定もしない、「渋谷(シブヤ)」に抱くイメージである。
概要:渋谷は文字通りすり鉢状の「谷」に広がる街。現在は大部分が暗渠となっている渋谷川のほとりにある渋谷駅を中心に、道玄坂・宮益坂を始めとする大小の坂道に、新旧ない交ぜの繁華街が拡がる「坂」の街でもある。
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東京でも有数のターミナル駅である渋谷駅では、JR(山手線・埼京線・湘南新宿ライン)・地下鉄(銀座線・半蔵門線・副都心線)・東急(東横線・田園都市線)・京王井の頭線の9本の鉄道が“谷底”でつながる。そして、日本最古の地下鉄で開通時には「東洋唯一の地下鉄道」と呼ばれた銀座線が、駅の“3階”に滑り込む。
国道246号線・首都高3号線・六本木通り・明治通りの4本の幹線道路もまた、渋谷の「谷底」で交差しており、前回の東京オリンピック・日本経済の高度成長とともに、その姿と存在を大きく変貌させた街の一つである。
歴史:街の名の由来は地形ではなく、桓武平氏に連なる武将「渋谷氏」が本拠地としたことにあると言われている。八百年ほど前の当時も、後に日本初の武家政権が樹立される鎌倉と大宮を結ぶ『鎌倉街道』と246の前身『大山街道』が交差する要衝の地であった。つまり、“人馬が走る”という意味では現在の都心部=江戸よりも長い歴史を有する街である。
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渋谷は江戸時代には“江戸の外れ”であった。渋谷川に下っていく宮益坂は『富士見坂』とも呼ばれ、大山街道を西に行く旅人のための茶屋や酒屋があり、川を越えて道玄坂を登り切った先には、人々が湯を浴む『弘法湯』や将軍の『御鷹場(鷹狩を嗜む場所)』があった。
明治になると、“忠犬ハチ公”の舞台となったことで伺われるように住宅地として開発が進み、駅前には繁華街が形成されていく。
前回の東京オリンピック・高度成長期に現在の幹線道路(先述)も整備されて渋谷は変貌を開始。円山町の花街に代表される「大人」の街であった渋谷は、70年代には原宿と並び「若者文化」が発信される街と目されるようになった。
現在は2026年度の完了に向け、渋谷駅周辺に建つ超高層ビル群を始めとする再開発が始まっており、渋谷は新たな「地形」を成そうとしている。