人々が心に抱くモノ:首都高3号線という言葉に“渋滞”をイメージする人は決して少なくない。しかし、日中の混雑が嘘のように空いた早朝に3号線を走れば、その印象はいとも簡単に覆される。
航空障害灯の赤い点滅が唯一の差し色となった高層ビル群のシルエットの向こうに、まだ星が瞬く深い藍色の空が、刻々と白みゆくさまを眼にした者は、生涯忘れることのない東京の一面を脳裏に刻みつけられる。
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夕刻をむかえ、ネオンやオフィスの明かりが存在感を増し始めた六本木から西に向かって走れば、渋谷の喧騒を登りのS字コーナーで一瞬にして走り抜け、終点・用賀に近づくにつれて左右のビルは低くなり、空が広がりはじめる。そして、人間技では決して作りだせない、息をのむばかりの茜色から藍色へのグラデーションに染まった空に出逢う。その下には、誰もが知るあのシルエットで霊峰富士が座している。
自ら走り抜けた者だけが、この道が結ぶもの、この道でしか目にすることができない美しさを知る道である。
概要:東名高速に用賀インターで直結する首都高の路線で、正式名称は「首都高速3号渋谷線」である。首都高都心環状線(C1)から六本木の谷町ジャンクションで分岐、渋谷までは「六本木通り」の頭上を、渋谷から先は「玉川通り(国道246号)」を高架で駆け抜ける。また、アジアハイウェイ1号線の一部を構成する道でもある。
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ほぼ全線が高架道路であり、両脇を高層ビルに挟まれたかたちで六本木・西麻布・渋谷の中空を貫く。渋谷では谷底を眼下に見ながらS字コーナーを描く。そして、約70mの高低差と急カーブで知られる4層ループ式の大橋ジャンクションによって、山手通りの地下を30m以上の大深度で走る中央環状線(C2)につながる。
その先は、池尻や三軒茶屋の繁華街のビル、246沿いに並び立つ高層マンションの合間を直線もしくは緩やかな弧を描いて終点の用賀に至る。
三軒茶屋を過ぎたあたりでは、美しい富士の頂きを垣間見ることができる道でもある。
歴史:前回の東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に渋谷4丁目出入口(暫定のもので現在は存在しない)から渋谷出入口までの区間がまず開通。1967年に谷町JCTから渋谷4丁目の区間の供用が始まった。さらに4年後、日本の高度成長が終盤を迎えた1971年、用賀までの全線が開通となった。
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モータリゼーションの発展とともに、2年前に同じく全線開通となった東名高速から3号線を介して都心に向かうヒト・モノの流入は加速度的に増加。3号渋谷線は首都高のなかでも指折りの渋滞で知られる路線となった。
2010年には、首都圏3環状道路の一つである首都高中央環状線(C2)と接続、中央環状線の最終工事区間である品川線との連結は2014年度末に予定されている。