人々が心に抱くモノ:誰からも異論がなく、最も多くの人が口にする言葉は「ファッション」である。隣接する(正確を期すれば、交錯する)原宿・裏原宿もそれは同じだが、表参道を歩く人々と、そのどこかで一つ角を曲がった先の路地を歩く人々の間には、明らかに異なる風情がある。同年代で比較しても、外見や物腰、話し方が違っている。表参道沿いのブランドショップをお目当てに通りを歩く人々が求めるものは、“華やかさ”であり“歴史の裏書き”である。
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表参道は他の街にはない“標本”が折り重なるように息づく街でもある。原宿と表参道の接点・結界のひとつ、神宮前交差点の変遷をたどれば、日本のファッション・ポップカルチャーの移り変わりを知ることができるし、過去・現在の表参道沿いに建つランドマークを列挙しても同様の果実を得ることができる。
最新のコト・モノがいち早く現れる場所として、過去半世紀以上にわたって常に注目を集めてきた街・表参道。この地に漂う“新しさ”、その“キモチよさ”に浸っていたいがゆえに人はこの地を訪れる。この地で日々を送るカタカナ職業であっても、休日だけを過ごす人であっても、それは変わらない。
概要:明治神宮の南参道につながる、青山通りから神宮橋交差点までの参道。門前町で始まり、通りを中心に拡がった街の通称でもある。銀座と並んで、高級ブランドのショールームや旗艦店が集まっていることで知られるが、原宿、青山に隣接しているため、カテゴリー・ルーツ・新旧・大小を問わず、ブランドショップの多彩さという点では銀座以上である。
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片側2車線(駐車帯も含めれば3車線)、ケヤキの大木が並ぶ中央分離帯と歩道が約1kmにわたって一直線に伸びる空間設計には、欧米の影響が強く感じられる。その一方で、246や明治通りとの交差点にたつ石灯籠、歩道の一部に残る石垣は、神宮への「参道」であることを物語っている。まさに和洋折衷、非常に日本的な景色をもつ道である。
歴史:明治天皇と昭憲皇太后の崩御にともなって明治神宮が創建されたのは1920年(大正9年)のこと。その南参道と大山街道(246の前身)を結ぶ表参道はその前年に整備された。それ以前には通りはなく、江戸時代には大名屋敷、明治になってからは民家と原っぱが広がる土地であった。
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参道が通されてからもすぐに栄えたわけではなかった。初詣などの参拝客が大勢訪れるとき以外は静かな、いわゆる“参道”であった。現在のように個性あふれる店舗で埋め尽くされ、年中、買い物客であふれる通りになるきっかけは、戦後のワシントンハイツ建設にある。米軍関係者を相手にする店が通りに増えていくにつれて、異国の目新しいモノに惹かれた日本人が集まるようになる。新しいコト・モノを生み出すカタカナ職業・商売の街としての表参道の歴史はこのように始まった(とされている)。
その象徴として語られることが多い原宿セントラルアパート(現存せず)の一室に、日本のライディングシーンを変貌させた名車パッソルの企画スタッフが入居したのは1975年2月のことである。