通称:スカイツリー®
人々が心に抱くモノ:「東京スカイツリー」の名称をもつ以前、「新電波塔」というそっけない言葉を耳にした人の反応はさまざまだった。“失われた10年”から解放してくれる「希望」を感じた人もいれば、愛着のある東京タワーが日本一でなくなることに複雑な気持ちを覚える人もいた。そして、今となっては意外なことに、当初は建築関係者・ファンの会話は賑わしていたものの、一般的な反応は東京タワー建設時のように論争を呼ぶわけでもなく、“静かな”ものだった。
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やがて、建設が進み、形を成し始めるにつれて、人々が古今東西の塔がもつ「磁力」をスカイツリーにも感じるようになったこと、そして、スカイツリーの登場が東京の人の流れを変えてしまったことに異論をもつ人はいないだろう。絶好の撮影スポットを探す人がいたるところに出没して、路上に転がって空に向けてカメラを構える人がニュースになり、「ここからも見える」が巷の会話、ネットを賑わすようになった。アニメや特撮映画の分野でも、“先輩格”の東京タワーと同じように“愛されている”。
スカイツリーが人々の心に決定的に根をおろしたのは、1000年に一度の災いに傷つき、見えないパニックを起こしていた人々が、「不屈」と「勇気」をスカイツリーに見たときだと感じている人は多い。つまり、設計時のコンセプトにある「時空を超えたランドスケープ」は見事に体現されているのである。
概要:正式名称は東京スカイツリー。東京周辺の旧国名・武蔵にちなんだ全高634m、日本一の高さをもつ建造物で、ギネス世界記録TM認定の世界一高い自立式電波塔でもある。「木枝」を思わせる丸い鋼管が美しく組み合わされ、和の伝統に根差した曲線「反り(そり)」「起り(むくり)」を描いて東京上空に伸びる姿は、まさに「名は体を表す」である。
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有数の桜の名所、春の訪れとともに日本人の多くが口ずさむ唱歌で知られる隅田川のほとりで、千年以上の長きに渡って東京(江戸)一の繁華街であった浅草の対岸に立ち、夜になれば、LED照明によって、道往く人や川下りを楽しむ人に「粋」や「雅」の何たるかを伝える。そして、スカイツリーの登場は、関東随一といわれる隅田川の花火にも新たな趣きを加えている。
技術、コンセプト、美意識、さまざまな側面で、東京、そして日本の今を象徴するランドマークである。もちろん、“空中回廊”首都高を駆け抜けるときにも、その姿を目にすることができる。
歴史:2006年3月に新タワー建設地として決まり、2008年6月には一般公募で寄せられた案のなかから「東京スカイツリー」の名称が選ばれ、翌7月に建設が始まった。約1年半後の2010年3月には東京タワーを超えて日本一の建造物となり、2011年3月1日に600mを超えて自立式電波塔として世界一の高さとなる。
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そして、その10日後にスカイツリーを試練が襲った。東日本大震災は東京にも震度5強の揺れをもたらし、当時、伝えられる到達点を楽しみに毎日を送っていた誰もが「建設中のスカイツリーは・・・」と心配したはずである。しかし、塔への被害はなく、作業員も全員が無事だった。そして、1週間後の3月18日、スカイツリーが634mに到達したことが発表されたとき、日本中が勇気づけられ、何かを共有したことは疑いもない。
2012年2月29日に竣工、3月11日には震災の犠牲者を追悼するライティングが行われた。開業からわずか1年後の2013年5月には展望台への来場者が634万人に到達、NHK・在京民放キー局7局の本放送も開始されている。