人々が心に抱くモノ:一言で表すのであれば「居心地のいい場所」である。
独り静かに読書に耽ったり、思索を巡らす人もいれば、常連同士や店を切り盛りするマスター(ママ)との他愛のない会話を楽しみに通う人もいる。それぞれが思い思いのスタイルで過ごす、緩やかな時が流れる空間であり、温もりのなかで「素」の自分になれる場所である。
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店中に薫るコーヒーの香り、焼きあがるトーストの匂い、ナポリタンやピラフが炒められる音、マスターの趣味で選曲されたBGM、窓から程よく取り入れられた外の光と柔らかな照明・・・それらが混然となって醸し出す「喫茶店」という空間は、サラリーマンが疲れた足(と心)を休めるオアシスとしての役割も果たしている。つまり、夏の日の午後、アイスコーヒーが供されていなければ喫茶店とは言えない。
自宅と仕事場の合間で「自分を取り戻す」ことができる、という意味合いでは、代わるものがない場であるし、マスターの好みが色濃く反映された店の雰囲気は、自然とそこに集まる人々を選ぶことになり、その結果、気の合う仲間に出逢えたりもする。
こうした「喫茶店」のイメージは、実体験をした人だけが持っているわけではない。映画や小説、漫画やアニメを通じて、人々の心に描かれた理想郷でもある。喫茶店は単に飲食が提供される場所ではない。
概要:コーヒーや紅茶などの飲み物、サンドイッチやカレーライスなどの軽食を提供する飲食店である。そのうちの一部が「喫茶店」と呼ばれ、同様のサービスを提供するけれども、喫茶店として認識されないものの多くは「カフェ」に分類される。
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どちらも、飲食だけが目的で訪れる場所ではなく、そこで過ごす時間・休息に対して、客側は対価を支払う。けれども、「喫茶店」と「カフェ」の間には境界線がある。
条令で決められているわけでもなく、規模や立地、店舗デザインの時代性などで分けようとしても成り立たない。また、もし、多くの人が「カフェ」と感じる店舗・サービスであっても、店側が「喫茶店」を名乗れば、喫茶店として扱われ、その逆のケースも存在している。
喫茶店とカフェの境界は極めて空気的なもので、あえて言うならば日本化の度合いかもしれない。ゆえに個人の見解によるところが大で、一般的に共有されている定義はない。辞書の対訳だけでは紹介(翻訳)が難しい日本文化の一つでもある。
歴史:「茶」が日本に伝えられた時期は不明だが、他国と同様に中国から輸入された文化(嗜好の対象・薬効・精神のゆとり)であることが通説となっている。シルクロードを通じてローマやペルシャ帝国由来の文物が日本の都にも届き、インドの高僧も訪れていた奈良時代(8世紀)には、天皇が宮中の儀式で僧侶に茶を送った記録も残っている。
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武士が政権を担う鎌倉時代になると、禅の修行で「睡魔を払うもの」として「喫茶」が奨励され、お茶の薬効が一般に知られていく。室町時代には唐物(中国の芸術品や茶道具)を楽しむ「会所」が上流階級の間で流行し、「茶会」が催された。一方、庶民の間では「一服一銭」で気楽に茶を楽しむ文化も芽生えていた。その後、戦国時代にかけて、いよいよ本格的な日本化が始まる。権力に組みせず、個の自覚をもち、閑寂・質素を尊ぶ「わび」の価値観をもった「わび茶」が拡がりはじめたのである。
身分秩序にとらわれない精神性に重きが置かれる「わび茶」は、鉄砲・火薬の売買で急成長を遂げていた豪商を茶の世界に引き寄せる。それは、欧州から多くの人が訪れ、「黄金の国ジパング」として日本の存在が知られた頃の話である。豪商による自治都市・堺に代表される自由な時代の空気のなかで、日本的な精神性と美の世界を持つ「茶道」が形成されていく。
戦国時代が終わり、浮世絵に代表される庶民文化が花開いた江戸時代になると、お茶は庶民の暮らしにも欠かせないものとなる。大都市の街角、旅人が行き交う街道沿いには、人々が世間話を楽しみ、旅人が足を休める「茶店」が繁盛するようになった。そして、2百年以上にわたる安眠(鎖国)が解かれ、西洋の文明・文化が雪崩れ込んだ明治維新とともに、コーヒー・紅茶が到来した。
時代が昭和に移ると、高度成長で豊かになった日本の津々浦々に「喫茶店」が出現しはじめ、今も人々が集う場所として暮らしに中にある。その形態・メニューにある飲み物・食事は、西洋由来のものが主となっているが、日本における「喫茶の場」には、上記のように長い歴史が根付いている。