人々が心に抱くモノ:老若男女を問わず、そして国境を越えて人々が「原宿」という言葉に描くのは「ファッション」である。隣接する表参道との最大の違いは、世代が「若モノ」に限定されるところにある。そして、巣鴨が「お年寄りの原宿」と形容されることからも分かるように、販売されているモノやサービスのノリ・価格が、庶民的・個人的であることにある。変化のスピードがとてつもなく速い(突然、熱狂し、あっという間に醒める)というイメージもある。
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表参道との違いは、街の味わい方にも見られる。原宿を訪れる人は、路地を歩き、モノを気軽に手に取りながら思案する。テイクアウトのファストフードを食べながら路上でくつろぐ。ちなみに、70年代に突如として日本における認知・普及が進んだクレープは、必ず「原宿」とセットで語られた(今では、日本各地で開催される花見、神社での祭りに欠かせない屋台でも、クレープは必須アイテムとなっていて、幕や旗のキャッチコピーに「原宿」が頻繁に現れる)。
原宿を“本拠地”とした人、“最新&奇抜なカルチャー”が生まれる場所と想う人にとっては、現在の原宿は、良くも悪くも言葉を選ぶ街となっている。彼ら(と一括りにできない趣向・分野・世代の分布があるが、あえて)にとっては、追想の地と言っても過言ではない。それぞれにとっての全盛期の残り香がかすかに薫り、それに憧れて訪れる人々であふれる原宿は、嬉しくもあり、さびしくもある。これはバイクファンにも完璧に当てはまる話である。
概要:明治神宮に隣接する駅から明治通り周辺にかけて広がるエリア。駅の名称には「原宿」が使われているが、住所として「原宿」が使われている地域はない。行政区分でいえば神宮前1丁目、JR山手線・表参道・明治通りに囲まれた一帯が、一般的に「原宿」と呼ばれている地域で、その中心に竹下通り商店街がある。
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高級・老舗ブランドショップが集まった表参道とは対照的に、若い世代を対象にした、(一般的には)無名・新興ブランドのアパレルやアクセサリー等を扱うショップ、ファストフードを提供する飲食店が軒を並べる。そして、修学旅行シーズンに訪れると、さまざまな制服姿とお国言葉に出会う街である。
歴史:現在の原宿・表参道の一帯は、古来、原宿村・穏田村の名で呼ばれていたが、その由来は不明とされている。江戸時代には、渋谷と同じく江戸と郊外の境界であったため、伊賀者が住み、武家屋敷が点在していた。また、穏田の名に違わず、豊かな田園風景も広がっていたことは、葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」のなかのひとつ「穏田の水車」からも伺える。
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明治の世を迎えると、現在の明治神宮がある一帯が御料地(皇室の所有地)となり、山手線が轢かれて原宿駅が作られた。昭和になると、「アドミラル東郷」として世界中に名を馳せ、TIME誌のカバーを飾った東郷平八郎を祀る東郷神社が創建されたが、依然として住居と田園がひろがる静かな土地であった。
静寂の時代に終わりを告げたのは戦後のこと。表参道と歩調を合わせ、原宿にも目新しいモノ・それに惹かれる人々が集まり始める。1960年代の「原宿族」の登場が契機となり、現在の「原宿=若者ファッション」という街のイメージを決定づけ、全国に知らしめたのは70年代終わりの「竹の子族」・「アンノン族」の登場であった。この付近には“ファッションの聖地”がひしめくが、そのひとつ、ラフォーレ原宿ができたのも1978年のことである。