人々が心に抱くモノ:「日本で最もおしゃれな街」というイメージで語られる街である。有名無名・大小のアパレルショップが連なり、美容院・ヘアサロンが最も多いエリアとも言われる。隣接する表参道・原宿・裏原宿、渋谷と同じく、「ファッション」という言葉で語られるが、青山の特徴は何か?といえば、この地を本拠としたファッションブランドが、時代を変えたと言って差し支えない影響を及ぼしたことが挙げられる。 つづきを読む
1960年代半ば、若い世代のファッションシーンは爆発的な変化を見せた。“アイビースタイル”を提唱した石津謙介率いるファッションブランドVANの登場と、それを取りあげたメディアに、日本の若者たちは文字通り、虜になった。単なる服装ではなく、アメリカや欧州のライフスタイルを紹介したことで、センセーションを巻き起こしたのである。
バイクやスポーツカーに乗ることがスタイルであること、“TPO”“ “カジュアル” “Tシャツ” “ヘビー・デューティー”といったファッション用語、“キャンペーン” “プレミアム”などの宣伝業界の用語を日本に定着させるなど、青山にベースを置いたVANがきっかけとなっているコト・モノは数えきれない。
VANの後には、70年代のNICOLやBIGI、80年代のコム・デ・ギャルソン、Y's(もしくはYohji Yamamoto)など時代を代表するブランドの登場が続き、メディアも取り上げ続けたことで、青山は新たな時代の震源地として認識されていった。
「最もおしゃれな」という最上級の賛辞が、銀座でもなく、表参道でもなく、青山のものになった理由は、海外のよきモノ・スタイルを徹底的に取り入れ、さらにそれを昇華させる日本人の得意技が顕著に表れた場所であるからかもしれない。それは、石津謙介が仲間とつくりあげたファッション誌「TAKE IVY」へのNew York Timesの評価 “a treasure of fashion insiders-ファッション関係者の宝”にも伺える。
概要:青山1丁目交差点あたりから骨董通りとの交差点にかけての246号線の両側とその南側一帯を呼ぶ際に使われる地名だが、行政上の地名は、北青山一丁目から三丁目、および南青山一丁目から七丁目。 つづきを読む
都内でも有数の広さを持つ青山霊園があり、明治維新に功績をあげた偉人、日本の近代化を担い日本に骨をうずめた外国人、作家や学者などの著名人(渋谷ハチ公も主人とともに安眠している)などが眠る。北側にある神宮外苑とともに貴重な緑の空間となっており、春には霊園の南北を貫通する通りが満開の桜で彩られる。
歴史:この一帯が青山と呼ばれる所以は、江戸時代の初期に青山氏の邸宅ができ、246の前身・大山街道沿いが「青山宿」「青山百人町」と呼ばれるようになったためとされている。今は246との間にビルが建ってしまっているため気付く人は少ないが、小林一茶が「春風や牛に引かれて善光寺」と呼んだ信州善光寺の別院が、この地に建立されたのも江戸時代の初期である。
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明治になると後に神宮外苑となる一帯が青山練兵場となり、青山氏の屋敷跡は青山霊園として整備された。江戸時代からすでに人の往来で賑わう地であったが、神宮外苑、表参道が作られ、「東洋唯一の地下鉄道」と呼ばれた日本最古の地下鉄・銀座線の開通、前回オリンピックの開催に合わせた246の拡張などを経て、四百年以上にわたり、常に人を集める街として発展してきている。