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ボールを追いかける歓びを、次の世代へ スリーク浜松、20年の軌跡

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ボールを追いかける歓びを、次の世代へ 
スリーク浜松、20年の軌跡

調達本部 調達品質強化部
高柳英明
サッカーが盛んな県として知られている静岡県。県内の各地域にはたくさんのクラブチームやスポーツ少年団が存在し、子どもたちの育成を支えています。ヤマハ発動機には、会社員としての業務の傍らでサッカーやフットサルの指導に携わる人が複数在籍しており、高柳英明さんもそのひとり。20年以上にわたって指導を続けているフットサルチーム「スリーク浜松」の成り立ちとその歩みについて、お話をうかがいました。

はじまりは、幼稚園の園庭から

ヤマハ発動機に入社したのはちょうど2000年、18歳のときでした。以来、オートバイの品質を守る仕事にずっと携わっています。いろんな取引先と協業しながら、ユーザーに喜んでもらえる品質レベルを目指して工程を作り込む。そんな地道な改善を積み重ねることで、当社製品の品質を支えています。

そんな仕事の傍らで、私にはもうひとつの顔があります。フットサルチーム「スリーク浜松」の代表として、子どもたちにボールを蹴る楽しさを伝える「指導者」という顔です。
きっかけは20年ほど前のこと。親戚のママさんから「幼稚園のチャイルドサッカー大会があるんだけど、コーチがいなくて」と声をかけられたことでした。この大会、じつは私自身も幼稚園時代に同じ大会に出た経験があります。あのとき教えてくれた女性コーチの明るい指導のおかげでボールを蹴る楽しさに目覚めて、私はヤマハジュビロサッカースクール(当時の名称)に入り、そこからジュビロ磐田の下部組織へと進んだ経歴があります。自分がサッカーを始めたきっかけと、指導者としての出発点が思いがけずリンクしたことに、不思議な縁を感じましたね。

親戚の相談をきっかけに指導を引き受け、土日は幼稚園の園庭に通って2カ月ほど園児と練習を行いました。迎えた大会では一勝することができたのですが、指導した子どもたちもそのご家族も、みんな飛び跳ねて大喜び。あの光景はいまも忘れられません。子どもだけでなく、応援に来た家族や友達などみんなに喜びを届けられる。指導の醍醐味を初めて知った瞬間でした。

大会を無事に終えたのちに、何名かの園児とそのご家族から「このまま小学校でも続けたい」という声をいただき、チームとして正式に立ち上げたのがスリーク浜松です。ありがたいことに地元の小学校の先生がご厚意で体育館を貸してくださったことで、練習拠点も作ることができました。最初は20名でのスタートでしたが、それが口コミで少しずつ広がり、いまでは70名を超える子どもたちが思う存分に技術を発揮し、楽しみながらボールを追いかけています。

言葉を選び、待つ。指導者として学んだこと

指導を始めた当初、まず気づかされたことのひとつが「言葉選び」の大切さでした。たとえば低学年の子どもにいきなり「パスして」と言っても、「パスってなに?」と返ってくる。当たり前を疑い、段階を踏んで、子どもにもわかる言葉で伝えなければなりません。
もうひとつは、根気強く寄り添って成長を「待つ」こと。教えたことを最初から器用にこなせる子もいれば、練習しても一朝一夕には上達できない子もいます。スポーツに関しては自分は前者のタイプだったので、その子にとって何がつまずきになっているのか、どんな言葉で伝えればいいのか、最初は大いに悩みました。そこに指導の難しさと、やりがいの両方がありました。

そんななかでも、指導のやりがいに繋がったある選手の思い出があります。彼は低学年の頃ドリブルもままならず、年次登録の更新時期がくるたびに「辞めてしまうのでは…」と気をもんでいました。それでも彼はフットサルを続けてくれて、高学年になる頃にはめきめきと上達。いまではチームの主力選手となり、頼もしい活躍を見せてくれています。

うまくいかない子には、まず低いラインから「できたね」を積み重ねて、小さな達成感を味わってもらう。そうやって「もっと頑張りたいな」という気持ちを引き出しながら、少しずつ要求を上げていく。伸びるかどうかは、最終的に本人がどれだけ「やってやろう」と覚悟を決められるか次第だと思っています。私たち指導者にできるのは、その気持ちを引き出す手助けだけなのかもしれません。

この考え方は、会社での後輩や部下の育成にも通じるものがあります。結果だけで評価せず、「どう頑張ったか」に目を向けること。失敗を「成長するための経験」と捉えて、こちらも我慢強く見守ること。子どもたちを教えていながら、こちらが教わっていることがじつはたくさんあるのです。

家族とともに育んできた「スリークらしさ」

いまチームには、私を含めて3名のヤマハ発動機社員が指導者として関わっています。そのうちのひとりは、私の息子です。彼は幼稚園の頃からスリーク浜松でプレーし、中学・高校でサッカーとフットサルを続けてきました。誰に言われるでもなく自分から指導者資格や審判資格を取り、いまではすっかり頼もしいコーチのひとりとなってくれました。

そして、チームの活動を陰で支えてくれているのが妻の存在です。保護者の方々からの問い合わせは、すべて妻が窓口となって受け止めてくれています。そのおかげで私は余計な気を回すことなく、目の前の指導に集中できているのです。また、当チームでは大会後に選手だけでなく保護者を交えて慰労会を行ったり、夏休みには川遊びなどを企画したりしています。そんな「スリーク文化」とも呼べるアットホームな雰囲気が育まれてきたのも、妻がそれに伴う予約や手配全般を担ってくれているから。彼女の支えがあってチーム運営が成り立っているので、本当に感謝しかありません。おかげでチーム内は和気あいあいとした温かい人間関係が育まれています。選手は私のことを「ヒデ」と呼びますが、これもお互いに信頼し合えるフラットな関係性を築いているから。ただ技術を教える指導者と選手の間柄ではなく、それを超えた「フットサルを通じてともに成長する仲間」のような存在でありたいですね。

そしてチームを支えてくれる仲間は、家族やスタッフだけではありません。保護者の皆さんは選手の送迎だけでなく、なかには自ら審判の資格を取ってくださった方や、祝勝会や残念会の準備を率先して引き受けてくださる方もいます。そうした「スリークファミリー」のサポートには、いつも感謝の気持ちでいっぱいです。また、対戦してくださるチームや協会の方々の存在があってこそ、選手たちに試合の舞台が用意されます。そうした「フットボールファミリー」にも、心から感謝しています。

そんなスリーク浜松の合言葉は、「ギラついていこうぜ」。低学年のうちはワイワイ楽しく、一生懸命に。そこからは、勝負にこだわる強さも育ってほしいという思いを込めています。現在の高学年チームは設立以来最高成績を収めていて、今年の夏のバーモントカップ・東海大会と東京選抜大会では見事優勝を果たしました。じつはその前戦となった静岡県大会の決勝では、PK戦の末に敗れて全国大会出場を逃し、悔し涙を流したのです。でもそこから選手たちは「東海大会(*)は絶対に優勝しよう!」と声をかけてチームを鼓舞し、ベンチも含めて全員でギアを上げていった。そして、指導した以上の成果を出してくれた。あのときの一体感は、20年以上指導を続けてきたなかでも格別なものでした。
(*)公式の本大会とは別に、東海地方各県の予選上位チームで競う大会が行われました。

感動を、次の世代へつないでいく

チーム設立から今年で21年目。これまで本当にたくさんの子と関わってきて、なかにはサッカーやフットサルでプロになる人も出てきました。そんなかつての教え子たちがオフシーズンに顔を出してくれて、子どもたちを大興奮させてくれることもあります。プロとなった彼らを見て思うのは、プレーの上手さだけでは決してその場所にたどり着けない、ということ。目標に向かって、努力を積み重ねられる人間になれたこと。そのことのほうが、私にはずっと誇らしく感じられます。

今後の夢は、このチームで育まれたマインドを持った卒業生たちが、プレーやその姿を通じてまた次の世代の子どもたちに感動を手渡していってくれること。自分はフットサルの指導を通じて、その感動の連鎖を支え続けていきたいですね。
もちろんフットサルだけでなく、何か他の分野に挑戦していく教え子も、私は心から応援しています。フットサルという競技を通じて、自分の目標(ゴール)に向かって努力したり、それを達成して仲間と喜びを分かち合う楽しさを、ひとりでも多くの子どもに知ってもらえたらいいなと思っています。

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