Part 2 ヤマハ市販レーサー特集
2011年 企画展 Vol. 1
YAMAHA Grand Prix Racing 50th Anniversary
世界グランプリへの挑戦 1961-2011
GPにYAMAHAを根付かせた市販ロードレーサーの系譜
1961年、初めて世界GPにファクトリーチームを送り込んだヤマハ発動機は、'63年以降125/250cc両クラスで着々と勝利を積み重ね、一躍トップメーカーの仲間入りを果たした。しかし、車両規則変更(125/250cc:2気筒・6速以下など)によって'70年以降V4エンジン搭載のRD05AやRA31Aが使用できなくなり、'68年を最後にファクトリー活動を休止。代わって新しい市販レーサーTD-2(250cc)/TR-2(350cc)を投入し、プライベートチームやライダーの支援に力を注いだ。
ヤマハ市販レーサーのルーツは'62年に遡る。ロードレースを参加型モータースポーツとして幅広く普及させようと、GP活動の傍ら、クラブマンレースで活躍していた市販車YDS-1改造マシンに代わるレース専用モデルの開発に注力。250cc・2ストローク・並列2気筒、最高出力32PSのエンジンを新設計ダブルクレードルフレームに搭載するTD-1を完成させた。
当時、国内レースを統括するMFJ(現・日本モーターサイクルスポーツ協会)の規則では使用車両が公道用市販車に限られており※、国内向けモデルにはヘッドライトやテールランプ、ウインカーが標準装備された。一方、カウリングなどレース用キットパーツを組み込んだ完成車はTD-1Aと呼ばれ、アメリカを中心に世界各国で活躍。やがてTD-1B、TD-1Cへと進化した。
その後継モデルがTD-2/TR-2である。新開発の2ストローク・2気筒エンジンに加え、フェザーベッド型ダブルクレードルフレームや大径ドラムブレーキ、新型サスペンションなどファクトリーマシンの技術も数多くフィードバック。'69年にデビューすると、スウェーデンのライダー、ケント・アンダーソンがTD-2でベネリの4気筒ファクトリーマシンに乗るケル・キャラザースと激しいタイトル争いを展開。GP250優勝2回、ランキング2位に入る活躍を見せた。そして'70年ロドニー・ゴールド、'71年フィル・リードがTD-2でGP250チャンピオンを獲得。GP350ではタイトルにこそ届かなかったものの、ゴールドやキャラザース、アンダーソンなど多くのTR-2ライダーが上位にランクインし、GP500に挑戦するライダーも現れた。
こうしてヤマハ市販レーサーは瞬く間にユーザー層を拡大し、TD-3/TR-3を経て新シリーズTZ250/350とTA125が登場すると、各クラスの主力マシンとして定着。GP500を中心に再開したファクトリー活動との両輪で、YAMAHAブランドを世界GPに深く根付かせる原動力となった。
※1972年からレース専用マシン解禁
カテゴリー | 年式 | 製品名 |
市販レーサー | 1962 | |TD-1| |
1966 | |TD-1B| | |
1969 | |TR-2| | |
1971 | |TD-3| | |
1973 | |TZ250| | |
1979 | |TZ350| | |
ファクトリーマシン | 1974 | |YZR500(0W20)| |
1983 | |YZR500(0W70)| | |
1984 | |YZR500(0W76)| | |
1986 | |YZR250(0W82)| |YZR500(0W81)| |
|
1987 | |YZR500(0W86)| | |
1988 | |YZR500(0W98)| | |
1990 | |YZR250(0WB9)| | |
1993 | |YZR500(0WF2)| | |
1995 | |YZR500(0WF9)| | |
1998 | |YZR500(0WK1)| | |
2001 | |YZR500(0WL6)| | |
2002 | |YZR250(0WN1)| |YZR500(0WL9)| |YZR-M1(0WM1)| |
|
2004 | |YZR-M1(0WP3)| | |
2005 | |YZR-M1(0WP4)| | |
2009 | |YZR-M1(0WS8)| | |
2010 | |YZR-M1(0WS9)| | |
特別展示 | 1968 | |RA31A|RD05A| |
1969 | |RF302| | |
1975 | |YZR350(0W24)エンジン| | |
1983 | |YZR500(06K)| |