V・ロッシインタビュー
V・ロッシ選手が自身の2010年シーズンを振り返ります。
V・ロッシインタビュー|ハッピーエンディング
ヤマハベスト3
今回が僕のヤマハで最後のインタビューとなる。複雑な心境だけれども、この7年間のことを思い返すと自然と笑みが浮かんでくるんだ。今までは、ヤマハでの素晴らしい勝利や業績、忘れられない思い出を記してきた。今シーズンは簡単にはいかなかった一年だったけど、いくつもの素晴らしい瞬間を皆と共有できたし、バレンシアの最終戦を表彰台で締めくくることになったのは、何よりのハッピーエンディングだったと思うんだ。
だから、今回この最後のインタビューにあたって、ヤマハで獲得した表彰台の思い出、この7年間で獲得した表彰台トップ3について綴ることから始めたいと思う。第3位は、2009年のカタルニアGP。ホルヘとの熾烈なバトルを繰り広げ、最終ラップ最終コーナーで劇的なオーバーテイクを達成したレースだ。僕のレースキャリア全体でも、あれは最も厳しく、だからこそ最高の気分を味わえた勝利の一つ、といっていいと思う。最終ラップ最終コーナーで勝ちとった勝利だから、満足感もひとしおだった。レースの2週間前から夢に見た展開で、まさに思った通りに運んだ。ホルヘに勝つためには勇気を振り絞って限界まで攻めなければいけなかった。優勝して獲得した25ポイント以上の価値があるレースだったよ。
2008年のラグナセカ、ケーシーとのバトルも価値のある勝利だったけど、昨年のカタルニア以上に意義があるレースだったので、これをヤマハ時代全体の2位にしたい。あのレースではスタートに成功して1周目でケーシーをパスした。ケーシーに前を譲ってはいけないことはわかっていたので、本当に1秒たりとも気をぬくことができなかったんだ。ケーシーとは何回トップの位置を入れ替えたか覚えていないけれど、とにかく素晴らしいバトルでファンの人たちにとってもそれは同様だったと思う。あのレースは、僕のアメリカ初勝利だった。大好きな国だから、感無量だったよ。心理的にもあれはチャンピオンシップにとって非常に重要な一勝で、プレッシャーを感じたケーシーはその後数戦でミスをおかし、それが決定的に一年の行方を決めてしまった。あの年のチャンピオン獲得は、僕にとって非常に意味の大きいものだったんだ。というのも、2006年以来の王座で、自分がまだこのレベルで戦えることを自分自身と世の中に対して示すことができたのだから。
とはいえ、ヤマハで最高の思い出といえばやはり、ウェルコムで挙げた最初の勝利だ。ヤマハとともに歩んできた歴史の中でも最高のハイライトだ。シーズン開幕戦でマックス・ビアッジに勝つことが出来るなんて、想像すらできなかった。あのレースで勝利を収めたことにより、僕は異なるメーカーのマシンで連勝を達成した最初のライダーになった。そして、懸命に取り組んだウインターテストの結果、ヤマハはタイトルを狙って戦うことができると世界に知らしめることになったんだ。長年のライバルだったビアッジと何度もオーバーテイクを繰り返す激しいバトルであったことが、余計に勝利を特別なものにした。僕と一緒にヤマハへ来てくれたメカニックたち、そして僕を信じ、僕のリクエストに応じてマシン開発に全力を捧げてくれたヤマハファクトリーのためにも、とても貴重な一勝だった。
MY YZR-M1
南ア・ウェルコムでのレースのことを考えれば、思いは自然と、ヤマハYZR-M1との長い関係が始まった最初の頃へと飛んでゆく。この機会を利用して、大好きなバイクたちとの思い出を少し語ってみようと思う。僕は今でも覚えているんだけど、彼女は最初、ちょっとブサイクだったんだ! 最初に変えたいと思ったのはカラーリングだった。スポンサーカラーのブルーに、僕のトレードマークのイエローを配色したら、彼女はとても美しくなった。フェアリングの下に隠されたシャシーは、さすがヤマハの仕事だけあって、すでに優れたものだった。とはいえ、やるべきことはたくさんあった。ブレーキングの安定性を高めること、リアグリップの向上、そして、エンジンのパフォーマンスはとりわけ良くしていかなければならなかった。古沢さんは3種類のエンジンを用意してくれて、そのなかから僕が選んだのは、パワーでは以前の仕様より劣るけれども、フィーリング面では勝るエンジンだった。よりスムーズで、扱いやすかったんだ。そこからヤマハは一歩ずつパワーを向上させてゆき、僕たちは初年度のチャンピオンを獲得することになる。
2005年の仕様は、おそらく今までのM1の中でベストだと思う。2004年モデルの取り回しの良さを残しながら、エンジンが長足の進歩を遂げたんだ。相変わらずスムーズで甘美なエンジンだけど、パワーがかなり増大していてストレートも速かった。その差をわかりやすく描写するとすれば、2004年モデルは開発途中の仕様で、2005年が最終形、とでも言えばいいだろうか。あらゆる意味で精緻なバイクで、空力特性を改善するためにカウルデザインも新しくなっている。僕の意見では、ヤマハで過ごした日々の中でこれが最も美しいバイクだ。バランスが素晴らしくて操作しやすく、セッティングを見つけ出すのも簡単で、この年はこのバイクで11勝を挙げた。
2006年はバイクを良くしようとしたのだけれども、運悪く大きな問題に直面してしまった。取り回しと旋回性を改善したかったのに、チャタリングを生むことになってしまったんだ。ハードブレーキングや高速コーナーではフロントの震動が大きくて、とても扱えたものではなかった。攻めようとすればするほど震動は大きくなり、いつでも切れ込み転んでしまいそうな状態だった。この解決にシーズン前半を費やした。エンジンが良くてポテンシャルの高いバイクだっただけに、本当に残念だ。問題点を究明して解決し、その後は何戦かで優勝も達成してタイトル争いに復帰した。しかし、シーズン終盤に向けてミシュランタイヤにも問題を抱えることになり、不運にも見舞われて、最後は最終戦で転倒してタイトルを逃してしまった。とはいえ、11位スタートから優勝を飾ったザクセンリンクのような、いい思い出もあるんだ。
800cc時代初年度の2007年は、僕たちにとってはあまりいい年ではなかった。おなじみのエンジンパワーという問題が発生した。開幕戦のカタールから、ライバル勢は明らかにアドバンテージがあった。僕たちが巻き返しにかかった頃には、ケーシーはすでにチャンピオンシップのはるか彼方で、手の施しようのない状態だった。
2008年仕様は大きな改善をしてくれたので、9勝を挙げてチャンピオンを獲得できた。エンジンがパワフルになったことに加え、燃費が向上したことで、パワーをより効率的に使うことができるようになったんだ。電子制御面でもヤマハは多大な仕事をしてくれた。アンチウィリーやアンチスピン、トラクションコントロールで大きな進歩を実感できて、コーナーごとにバイクの挙動をよりコントロールしやすくなった。ミシュランからブリヂストンへの変更で、荷重配分に関してもだいぶ見直さなければならないことになったけれども、タイヤ性能を最大限に引き出してチャンピオンを獲得できた。その意味の大きさは、上でも述べた通りだ。
2009年はバイクの大きな変更がなかった。2008年仕様はすでに強力なチャンピオンマシンだったからね。ブリヂストンで一年を経験したデータを持っていることが僕たちのアドバンテージだったけれども、この年も制御面で大きな進歩があった。路面温度の高低差や、あるいは特にウエット状態などのコンディション変化に対するセッティングの適応幅が大きくなったんだ。2010年仕様もその延長線上だが、今年はルールが変更されて全18戦を6基のエンジンで戦わなければならないことになった。ヤマハはこの対応に一生懸命取り組んでくれて、同様のパワーを維持しつつ耐久性を向上させたエンジンを製作してくれた。これは大変な作業で、とりわけシーズン前半は苦労もしたけれども、それでもヤマハはまたもやチャンピオンマシンを作り上げたんだ。あいにく、ライダーは僕ではなかったんだけどね!
2010年は、僕のレースキャリアの中でも最も深刻なけがをした。ムジェロでの転倒は愚かなミスで、路面に落ちたとき、脚を折ったなと思ったことは今でも覚えている。実際に脚の向きを見てみて、本当に折れていることがわかった。脚を突き破った骨を実際に自分の目で見ることはなかったけれども、それでよかったのだと思う。あの瞬間から、すべてが変わってしまった。じっとおとなしくして、自分の人生を正しい道筋に戻すために全力を集中しなくてはならなかった。これは、とても大変な作業だった。
ありがとう。チャオ!
そして今、皆さんご存じの通り僕の人生の道筋は新たな方向へ向かう。長年連れ添ったM1とバレンシアを最後にお別れすることになったのは、ラブストーリーの終焉のようで、とてもこの気持ちは言葉では言い表せない。2004年から2010年まで、さらなる速さ、さらなる賢明さ、そして、さらなる美しさを実現してきた。だから、決勝日の日曜に「バイバイ。ベイビー」と言うのはとても辛かったんだ。たくさんの素晴らしい思い出や、いくつかの辛い思い出。これだけの長い時間を共に過ごした後に、もう一度ゼロから始めるのはとても大変なことだ。でも、新しいガールフレンドと新たなスタートをするのにも似て、ワクワクすることでもあるんだよ!
ヤマハとのいい関係は、バイクに限ったことではない。ファクトリーの人々と素晴らしい友情をはぐくんできたので、今はとても寂しい気持ちがする。皆の友情は本当にうれしく思う。そして、新しいバイクでテストをする機会を与えてくれた古沢さんや中島さんをはじめとする皆さんのご厚情には、心からの感謝をしている。
この7年間、献身的なハードワークでしっかりと僕たちを支えてくれた磐田のファクトリーの皆さんにも、謝意を表したい。皆さんがいたからこそ、これだけの成功を成し遂げることができた。皆さんのひとりひとりが、この素敵なラブストーリーの重要な役割を演じていたんだ。僕はそれをけっして忘れない。
バレ#46