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MotoGPシーズンレビュー

MotoGPの2010年シーズンをご紹介します。

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MotoGP

MotoGPシーズンレビュー|
ロレンソ&YZR-M1が初のチャンピオンを獲得!
ヤマハはMotoGP史上初の3年連続三冠を達成

2010年シーズン、ヤマハは3年連続となるライダー、コンストラクター、チームの三冠を獲得した。MotoGPマシン・YZR-M1のパフォーマンスとしては、盤石の一年だったと言っていいだろう。だが、そのマシンを操って全18戦のシーズンを戦ったフィアット・ヤマハ・チームのホルヘ・ロレンソとバレンティーノ・ロッシにとっては、それぞれに違った意味で波瀾万丈のシーズンになった。モンスターヤマハ・テック3・チームのベン・スピースとコーリン・エドワーズにとっても、それは同様だ。ライダー、チーム、レース展開など様々なフェイズで「安定」と「激動」が複雑に錯綜し影響し合ったこの一年の推移を、ライダーたちの視点とマシンパフォーマンスの視点から振り返る。


優勝9回、2位5回、3位2回の合計16回の表彰台に立ってチャンピオンを獲得。ヤマハの3年連続三冠達成をけん引した

予想外の負傷に襲われた前半戦

 シーズン序盤は、決して万全とはいえない状態での戦いだった。2月上旬に行われたプレシーズンのマレーシアテストではロッシがトップタイム、ロレンソも僅差の3番手と、両ライダーと2010年仕様のマシンはいずれも好調なすべりだしを切ったかに見えた。だが、このテスト直後にロレンソがトレーニング中のアクシデントで右手を負傷。手術を受けて、同月下旬に行われた2回目のマレーシアテストは欠席を余儀なくされた。ロレンソは負傷から約1ヵ月後のカタールテストで復帰を果たしたが、そのまま同地に居残る形で開催された開幕戦カタールGPが始まっても、右手の状態は万全ではなかった。特にブレーキング時には痛みを訴えていたロレンソだが、決勝レースではディフェンディングチャンピオンのロッシとトップを争い、最後は2位でチェッカー。期待以上の出来に胸を撫で下ろした。一方、安定した強さを発揮して開幕戦を制したロッシは、今シーズンもチャンピオン筆頭候補としての存在感をたっぷりと見せつけた。
 しかし、今度はそのロッシに不運が襲いかかる。開幕戦直後にモトクロスでトレーニング中、誤って転倒して右肩を負傷。本来、第2戦として開催される予定だった日本GPが、アイスランドの火山噴火による航空機運行への影響で秋へと順延されたため、ロッシは長い休養期間を取ることが可能になり、第2戦に繰り上がったスペインGPには参戦を果たした。とはいえ、「本来通りのスケジュールで日本GPが開催されていれば、おそらくレースを走ることは難しかっただろう」と回顧している。余談になるが、この当時は深刻な負傷と受けとめていなかったが、実際にはシーズン終盤になっても完治せず、最後までロッシを悩ませ続けてチャンピオンシップの帰趨にも大きな影響を与えることになる。
 その第2戦では、ロレンソが優勝を飾った。序盤に差を開かれても安定したペースを維持して徐々に追い上げる得意パターンで、同郷出身ライバルのダニ・ペドロサ(ホンダ)に迫った。ラスト2周は、後々まで語りぐさになるほどの熾烈なバトルが繰り広げられた。ときにマシンが接触する意地と意地のぶつかり合いは、ロレンソが制してシーズン1勝目。レース後には互いの健闘を讃え合い、かつて目も合わせなかった仇敵同士はお互いに敬意を抱くライバル関係へと成長を遂げた。 第3戦フランスGPでもロレンソは中盤以降に独走状態に入り、2連勝。ロッシは立ち上がり加速でのグリップに苦しみながらも2位でフィニッシュ。両名ともに3戦連続表彰台でYZR-M1は開幕3連勝、と死角のないシーズンスタートを切った。しかし、次の第4戦イタリアGPで、誰も予想しえなかったアクシデントが発生する。

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シーズン中盤-1 安定感と悲劇の交錯

 トスカーナ地方のムジェロサーキットで開催されるイタリアGPは、ロッシにとってシーズン全体の中でも特に重要なレースだ。毎年、スペシャルコスチュームやスペシャルヘルメットを用意し、必ず表彰台を獲得して会場中のファンを熱狂させる。ロッシファンで埋めつくされたそのムジェロサーキットで悲劇は発生した。
 午前のフリープラクティスがちょうど半ばを過ぎた頃、ピット作業を終えてコースイン2周目の出来事だった。最終コーナー手前の高速S字区間でハイサイド転倒を喫したロッシは、着地時の衝撃で右脚脛骨を開放骨折、ヘリコプターでフィレンツェ市内の病院へ搬送され、手術を受けた。1996年のマレーシアGP125ccクラスでデビューを飾り、230戦無欠場という記録が、これで途絶えることになった。
 日曜の決勝レースでは、ロッシの早期回復を祈るファンの横断幕がコースの至るところに掲げられる中、ロレンソが2位表彰台を獲得した。
 第5戦イギリスGP、第6戦オランダGP、第7戦カタルニアGPは3週連続開催。ロレンソはこの3連戦でいずれも優勝を飾って3連覇。チャンピオンシップで圧倒的な優位を築きあげた。イギリスGPは今年からシルバーストーンサーキットへと開催地が移転し、全選手とも今回が初体験というイコールコンディションのレースだった。つまり、MotoGPルーキーにとっては、ベテラン選手との差を埋める数少ないチャンスだが、スピースはその好条件を確実に生かして、フル参戦開始からわずか5戦目で3位表彰台を獲得した。昨年はWSBのデビューイヤーでチャンピオンに輝いた逸材は、ロードレースの世界最高峰でもその能力を早々に発揮し始めた。また、カタルニアGPでは、欠場中のロッシの代役として開発ライダーの吉川和多留が参戦。今後のマシン開発に貴重なデータを収集しつつ、決勝は15位でフィニッシュしてポイントも獲得した。
 そして、第8戦ドイツGPでロッシが劇的な復活を果たした。
 負傷からわずか41日での戦列復帰に世界中の注目が集まる中、決勝レースでロッシは驚異的な走りを見せて、表彰台寸前の4位入賞を果たす。ロレンソはこのレースでも安定した走りで2位表彰台。続くU.S.GPでは再び優勝を達成。シーズン前半9戦は全戦表彰台、しかも優勝6回2位3回という高水準の内容で折り返した。つまり、ここまでのレースで、YZR-M1は毎戦表彰台を獲得していたことになる。

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シーズン中盤-2 エンジン使用規制とライバル陣営の追い上げ

 サマーブレークが開けた第10戦チェコGPでも、ロレンソは相変わらずの好調さを披露して早くも今季7勝目。悲願のチャンピオン獲得は、確実に23歳の青年の射程距離に収まりつつあった。
 しかし、そう簡単に目標を達成させてくれるほど、MotoGPは甘い世界ではない。特にこの数年は「四強」という言葉に象徴される通り、ロレンソとロッシ、そしてロレンソと同世代のペドロサやケーシー・ストーナー(ドゥカティ)の4選手が互いにしのぎを削る激しい争いを展開している。
 また、世界不況に対応する新ルールとして、今年から年間のエンジン使用総数を6基までとする規制が定められた。シーズン全体を見据えながら開発を進め、投入スケジュールを調整することが必要になるが、これらの各条件があいまって、チェコGP以降の数戦ではライバル陣営が強力な巻き返しを図ってきた。インディアナポリスGP、サンマリノGP、アラゴンGP、そして日本GPと続く4戦では、ヤマハはいずれもライバル陣営に表彰台頂点を奪われる格好になった。8月末から10月上旬までのこの4戦は、2010年シーズン全体のなかでも特に苦しい戦いを強いられた時期と言っていいだろう。ロレンソは優勝こそ逃していたものの、インディアナポリスで3位、サンマリノでは2位に入り、開幕戦以来の連続表彰台を更新し続けた。また、続くアラゴンと日本では惜しくも表彰台を逃すものの、それでも不利な展開で連続4位を獲得するしぶとさを発揮。確実にポイントを獲得して足固めを続け、日本GP終了段階では、次戦のマレーシアGPで王座を手中に収める可能性をついに手元に引き寄せるに至った。

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念願のチャンピオン獲得。選手たちは新たな目標へ

 ロレンソはランキング2番手の選手に69ポイント差を開いた状態で、第15戦マレーシアGPを迎えた。このレース終了段階でポイント差が75に開けば、スペイン人二人目の最高峰クラス王座を獲得することになる。
 決勝レースは、ロッシが制した。ドイツGPでの復帰以来、U.S.GPで早速3位表彰台を獲得して驚異の復活をアピールし、その後も安定した高位フィニッシュを続けていたが、脚の負傷に加えてシーズン序盤に損傷した右肩が依然として完調からはほど遠く、外見からは窺えないほどの苦しいレースを続けていた。そのロッシが、終盤戦にようやくシーズン2勝目。しかもゼッケンと同じ勝利数の、ヤマハ46勝目という記念すべきレースになった。
 一方のロレンソは、無理なプッシュを控えながらも高レベルのラップタイムを維持し、3位でゴール。2010年のチャンピオンシップを手中に収めた。ここまでの15戦で表彰台を逃したのはわずか2戦のみ。23歳の若き王者は、年齢からは想像も出来ないほどの安定感でシーズンを制し、子どもの頃からの悲願を実現した。
 続く第16戦オーストラリアGPではロレンソ2位、ロッシ3位という今季7回目のダブル表彰台で、フィアット・ヤマハ・チームがチームタイトルを獲得。第17戦ポルトガルGPでロレンソ優勝、ロッシ2位という結果を得たことにより、ヤマハはコンストラクタータイトルも確定。これでヤマハは、MotoGP史上初となる3年連続の三冠を達成した。
 最終戦バレンシアGPは、新チャンピオンのロレンソがホームGPを制して有終の美を飾った。また、来季からライバル陣営へ移籍することが決定しているロッシは、3位表彰台でヤマハと共に歩んだ7年間の劇的な時代を締めくくった。スピースはランキング6位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。来季はファクトリーチームへのステップアップが決定している。スピースのこの活躍は、豊富な経験を持つチームメイト、コーリン・エドワーズの存在に支えられたという側面を見逃すことはできない。
 2011年シーズン、ホルヘ・ロレンソはディフェンディングチャンピオンとして新たな一年を迎える。ライバル陣営へ移籍するバレンティーノ・ロッシが、強力なライバルの最右翼候補となることは間違いないだろう。また、ロレンソのチームメイトとなるスピースも、さらなる成長を遂げて「四強」時代の一角を崩しにかかってくる。ヤマハとロレンソは、4年連続の王座を果たして守り抜くことができるのか。貪欲なまでに勝利を目指す戦士たちに、休息のときはない。2011年に向けた水面下の戦いは、すでにその火蓋を切っている。


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