JRR JSB1000シーズンレビュー
JRR JSB1000の2010年シーズンをご紹介します。
JRR JSB1000シーズンレビュー|平、藤原に並ぶ全日本3連覇に及ばず
中須賀&YZF-R1ランキング4位
中須賀&YZF-R1ランキング4位
2008年に初めてJSB1000のチャンピオンを獲得した中須賀克行。しかしこの時は、中須賀自身が「獲れてしまった」と振り返るように、ライバルの動向も中須賀に味方した。だが、このチャンピオン獲得で中須賀はひとまわり成長し、2009年はレースをコントロールするという、前年とはひと味違った強さと速さを見せて2連覇を達成したのである。そして2010年、中須賀は日本最高峰で3連覇の偉業に挑むことになった。
痛む右肩との戦いの中で見せた新たな強さ
これまで、日本最高峰で3連覇を達成しているのは、1983~1985年の平忠彦(GP500)と、1987~1989年の藤原儀彦(GP500)の二人だ。その平は現在、中須賀の所属するYSP Racing Team with TRCのチームマネージャーであり、偉業達成への体制は揺るぎのないものとなっていた。しかし、2010年の中須賀のシーズンインは、厳しい状況だった。なぜなら、開幕前に行われた3月8日のテストで、転倒を喫して右肩を痛めてしまったからだ。
完治しないままに迎えた開幕戦筑波。その前週に行われた3日間の合同事前テストは、初日、2日目が雨、最終日に雨は上がったものの、ドライ路面での走り込み不足は否めない。一般的に、ドライ路面でのマシンセッティングができていれば、ウエット路面への仕様変更は難しくないと言われているのだが、右肩を痛めている中須賀にとっては、あまりにも辛いテストデーとなってしまった。
開幕戦に向け、通常よりも一日早く特別スポーツ走行が設けられたが、翌日が雨となりマシンのセットアップは天候に阻まれる形で一進一退を繰り返す。そして公式予選では決勝を見据え、マシンを仕上げながらのタイムアタックとなり、5番手スタートとなった。昨年の筑波は、他車に巻き込まれて転倒・ノーポイントに終わっているだけに、体調は万全ではないながらも結果を残したい中須賀。しかし、そのスタートでは気持ちが空回りして、進行方向に対してマシンが真横を向いてしまうほどにリアタイヤを激しくスピンさせてしまったのだ。だが、ここからうまく態勢を建て直すと着実に順位を挽回。上位の転倒も手伝って、終わってみれば3位表彰台に立った。どのような状況下にあっても、的確なレースマネージメントにより結果を導き出す。中須賀のライダーとしての進化は、開幕戦にして早くも発揮されたのである。
続く第2戦鈴鹿2&4レースは開幕戦から2週間後に行われた。右肩は「完治はしていないけれど、開幕戦の時よりも確実に良くなっている」(中須賀)状態だったが、ノックアウト予選では2番手として、今季初のフロントローから決勝レースを迎えることになった。
そして決勝では、中須賀、秋吉耕佑(ホンダ)、高橋巧(ホンダ)の3人が、息をもつかせぬ白熱したトップ争いを展開。結果、中須賀は3位となるが、優勝した秋吉とは0.141秒、2位の高橋とは0.067秒という僅差で、レースファンにとっては素晴らしいファイトであった。しかし、肩の痛みを堪えながら戦った中須賀は「これが今の自分の実力。ベストは尽くせたので、この結果を受け止めて次につなげたい」と、唇を噛み締めた。
着実な戦いがタイトルを呼び寄せた
第3戦オートポリスは、決勝が荒天のために中止。予選結果により、通常の半分のポイントが与えられることになった。もちろん、決勝日の天候が荒れることは、予選の段階で予想されていた。それだけに中須賀は「明日は何が起きるか分からない状況だったので、予選ではいつも以上にアグレッシブに攻めました」と語ったように、予選2番手=11ポイントを獲得したのである。
約3ヵ月のインターバルを経て、8月28日にスポーツランドSUGOでシリーズ後半戦の幕が開いた。もちろん、シーズン前に負った肩の負傷も完治し、中須賀にとってはここからが3連覇に向けてのスタートとなった。今年の夏は、日本列島を猛暑が襲い、8月下旬とはいえ、残暑が厳しい中で行われたノックアウト予選。Q1、Q2、Q3の全セッションで中須賀は3番手となったが、そのQ3では、従来のコースレコードを上回る1分27秒755をマーク。ポールシッター伊藤真一(ホンダ)には0.232秒及ばなかったが、予選2番手の秋吉に続いてフロントローに並び、好レースを期待させる予選内容となった。
レース前「スタートで前に出てレースをコントロールしたい」と語った中須賀は、スタート直後の第3コーナーで、トップ伊藤をアウトから強引にオーバーテイク。わずかでも隙があれば、どのコーナーでもパッシングポイントとしてしまうのが、中須賀のライディングの大きな魅力の一つだ。だがその後、中須賀のマシンにトラブルが発生。結果、6位でチェッカーとなり今季、初めて表彰台を逸してしまう。
続く岡山国際は、ウエット路面でノックアウト予選が行われ、中須賀は伊藤に次ぐ2番グリッドを獲得。決勝はドライ路面となったが、ここで中須賀は、すでに彼の代名詞ともなったロケットスタートを決めると、オープニングラップで後続を引き離して行く。だが、中須賀のスタートダッシュに伊藤が反応し、3周目にトップの座を伊藤に明け渡してしまう。その後、中須賀は伊藤をマークして逆転のチャンスをうかがうが「まったく隙がなかった」と語るように、伊藤に次ぐ2位でチェッカーを受けた。
前戦スポーツランドSUGO、そして岡山国際で、いよいよ心技体が整った中須賀。残すレースはツインリンクもてぎ、鈴鹿サーキットの2大会3レース。ポイントランキングでは、岡山国際を終えた段階で、トップ高橋に1ポイント差の2位となっていた。
3連覇への夢とライダーとしてのプライド
迎えた第6戦ツインリンクもてぎ。ノックアウト予選の結果、中須賀は、秋吉、伊藤に次ぐ3番グリッドを獲得。これで第2戦鈴鹿2&4レース以来、5戦連続でフロントロー・スタートだ。そして中須賀は、決勝レースで好スタートを切り、オープニングラップではトップに浮上した。だが、予選でコースレコードをマークした秋吉、さらに予選2番手の伊藤が中須賀に襲いかかり、トップの座を明け渡してしまう。
この後、伊藤と秋吉のマッチレースとなったが、秋吉がコースアウトしたため中須賀が2番手に浮上。そして中須賀は、亀谷長純(ホンダ)とのバトルを制して、伊藤に次ぐ2位でゴールする。一方、ポイントリーダーの高橋が6位となったことから、中須賀が逆転でポイントリーダーの座を奪取。ランキング2位の高橋に6ポイント差をつけて最終戦を迎えることになった。
だが、中須賀はポイントリーダーという現実を、手放しでは喜べない状態にあった。それは、これまでのレースで未勝利だったからだ。「平さん、藤原さんという、ヤマハの偉大な先輩が築いた日本最高峰クラスでの3連覇は、やはり達成したい。でも、ライダーとして未勝利でシーズンを終わりたくない」。ツインリンクもてぎを終え、中須賀の心は最終戦MFJ-GP鈴鹿で優勝してのチャンピオン獲得に固まった。
そのMFJ-GP鈴鹿は、2レース制で行われた。昨年は東コースでの開催で、そのレース1で中須賀は優勝を遂げている。しかし、今年は2レースともにフルコースでの戦いとなり、両レースで優勝者から順に、通常ポイントに加えて3ポイントのボーナスポイントがつく。すなわち、両レースで優勝すれば、一挙56ポイント獲得になる。また、予選はノックアウト方式だが、Q1での結果がレース1のグリッドとなり、Q3の結果がレース2のグリッドとなる。
こうした中、中須賀は、Q1で2番手となるが、Q3では転倒を喫してしまう。しかし、ピットに戻った中須賀は「マシンにダメージはほとんどなく、身体も大丈夫」と、Tカーに乗り換えて再びコースインすると、5番手タイムを記録する。これで、レース1で2番手スタート、レース2で5番手スタートが決定した。
「理想はダブル優勝。でも、勝負はレース1です。ここで勝って、気持ち良くレース2を戦いたい」と語った中須賀。そのレース1では、秋吉、伊藤、中須賀の3人が、スタート早々にトップグループを築く。その中で、秋吉が徐々に伊藤と中須賀を引き離しはじめ、これに対して伊藤と中須賀もペースアップ。だが中須賀は、伊藤の背後に迫った9周目の逆バンクで、痛恨の転倒を喫してしまう。マシンは大破したが、中須賀にけががなかったことが救いでもあった。しかし、無念のノーポイント。ランキングでも、追われる立場から、追う立場へと一変してしまった。これに中須賀は「攻めていっての結果だから仕方ない」と語り、その後のYSP応援団との交流に姿を見せると、ここで気持ちを切り替え、レース2での大逆転に挑むことになった。
そのレース2に、中須賀はTカーで出場。メインマシンに比べて、細かい部分でのセットアップは出し切れていない。しかもレース2は、ウエットコンディションとなった。こうした中、ポールシッター秋吉が、スタート早々に独走態勢を確立して、2連勝を達成。2位には伊藤、中須賀は3位で今季最終戦を終了。ランキングは4位となった。
このレースに、応援に駆けつけていた藤原儀彦は、「自分もチャンピオンをとった1年目は、がむしゃらに戦って、(チャンピオンが)獲れてしまったという印象が強い。2年目は、周りの状況も見えてきて、ある程度、精神的に余裕を持つことができた。でも3連覇となると、平さんの記録に並ぶというプレッシャーが出て、シーズンを通してうまく戦えなかった記憶がある」と、当時を振り返った。そして中須賀も「3連覇のプレッシャーがなかったと言えば嘘になる」と、レース後に本音を語ったが、「でもそれ以上に、勝ちたかった」と、ライダーとしてのプライドが勝ったことを打ち明けた。