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ヤマハ発動機株式会社 Revs Your Heart

中須賀克行インタビュー

中須賀選手が自身の2010年シーズンを振り返ります。

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JRR JSB1000

中須賀克行インタビュー|「攻め」にこだわり続けた2010年


中須賀のこだわりである“一戦必勝”。今年は勝利こそなかったが、走りの中には勝利をめざす姿勢が常に現れていた

中須賀がこだわり続ける「攻め」の姿勢とは

 国内最高峰JSB1000に、YSP・レーシング・チーム・ウィズTRCからヤマハYZF-R1を駆り出場する中須賀克行。2008年、そして2009年にチャンピオンを獲得し、2010年シーズンには3連覇という記録がかかっていた。そしてこの記録は、平忠彦、藤原儀彦に並ぶものでもあった。だが、開幕前のテストで転倒し、右肩を痛めるとシーズン前半は我慢のレースを強いられ、結果はランキング4位。偉業達成はならなかった。
 しかし、アグレッシブという言葉では表現し切れないほどの中須賀のアツイ走りは健在。一般的に、各サーキットでのパッシングポイントは数ヵ所に限られている。しかし、中須賀の場合は、チャンスと判断すると、常識では考えられないコーナーでも勝負を仕掛け、そして打ち勝っていく。
 そしてもう一つの特徴が、スタートダッシュだ。レース界では、タイミング良くスタートを決めてダッシュしていくことを“ロケットスタート”と呼ぶが、このロケットスタートは、もはや中須賀の代名詞ともなっている。そしてこの二つの特徴が顕著に見られたのが、第4戦スポーツランドSUGOと、第5戦岡山国際だった。
 スポーツランドSUGOでは、スタートから第4コーナーまでにトップに浮上。岡山国際では、スタートダッシュを決めて、オープニングラップで後続を引き離したのだ。
 「スタートダッシュは、勝利への方程式のなかで、最も重要な部分です。このスタートで前に出て、どれだけレースをコントロールすることができるかが大きなポイント。だから、スタートの瞬間は、自分でも信じられないほどに集中しています。スポーツランドSUGOは、もちろんポールポジションを狙っていて、予選ではコースレコードを塗り替えることもできたのですが、伊藤(真一)選手、秋吉(耕佑)選手がすごく速くて、予選3番手になってしまいました。アベレージタイムを考えても、この二人を先行させてしまうと厳しい戦いになるので、スタートではいつも以上に集中していましたね」
 このレースで中須賀は、スタート直後の第2コーナーで伊藤をプッシュすると、第3コーナーでは、伊藤をアウトからかぶせて豪快にパスし、トップに浮上したのだ。スポーツランドSUGOの第3コーナーは、下り勾配の左コーナー。インを突いてのパッシングであればセオリーの一つではあるのだが、アウトからのパッシングは例を見ないもので、まさに中須賀の真骨頂だ。
 「岡山国際も、スタートでは集中力が高まっていましたね。自分の持てる以上の力が出せたのが、岡山国際でした。予選では、伊藤選手に次ぐ2番手でしたが、スタートダッシュが決まって、オープニングラップで伊藤さんを引き離すことができました」
 しかし、スポーツランドSUGOは、レース中にマシントラブルが発生して6位。岡山国際は2位。
 「岡山国際は、本当に悔しかった。伊藤選手に抜かれてからも、遅れずについていくことができたし、タイヤマネージメントにも自信がありました。そして、レース中盤以降でバックマーカーが出て来たので、チャンスがあるとも思っていましたが、伊藤選手は冷静で、ミスがありませんでした。でも、スポーツランドSUGO、そして岡山国際で、ライダーとして成長できたと思っています。攻めの走りが一段階上がったという実感があるのと、一瞬でマインドコントロールすることができるようになりました。これまで、JSB1000で2連覇していますが、それはライバルの不調や転倒に助けられてのもので、実力で勝ち得たものではありません。ライダーとして、もっと成長し、もっと強くなりたい。そのためには、技術的な部分、精神的な部分をもっと高めていかないといけない。でも、僕のレース姿勢の原点は、あくまでも攻めです。今年は未勝利となりましたが、これからも一戦必勝の姿勢を崩さずに、レベルアップを目指します。一度、守りのレースをしてしまうと、いざというときに、力を発揮できなくなりますからね。第6戦ツインリンクもてぎでポイントリーダーになって、最終戦を迎えましたが、レースでは、攻めること、そして勝つことに集中していました」

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けがとの戦いとトレーニング法

 「今年は、鈴鹿サーキットでの転倒で始まって、鈴鹿サーキットでの転倒で終わったという感じですね。改めて、けがはしてはいけないと痛感しました」
 今年、中須賀が公式の場に現れたのは、3月6日・7日に行われた鈴鹿サーキットでのモータースポーツファン感謝デーだった。そして3月8日に同サーキットで行われた合同テストで、中須賀はS字コーナー進入でハードクラッシュしてしまったのだ。そして右肩のじん帯を断裂してしまう。
 「正直、しまったという気持ちでした。結局、じん帯の再生は不可能と診断されたため、ここからは痛みとの戦いでした。開幕戦の筑波は、約1ヵ月後の4月3日開催でしたが、実は、レースを戦える状態ではありませんでした。だから、このレースだけは、優勝を目標から外しました。よくて表彰台。ただ、悪くても5位以内ではチェッカーを受けたいと。だから、3位でレースを終えられたことは、本当にラッキーでした。そしてその後の第2戦鈴鹿でも、レース後半ではブレーキングに右肩が耐えられなくなって、リアが振れ出したころには、上半身がついてこなくなっていました。こういう状態ですから、鈴鹿での3位も、運が良かったとしか言いようがありません」
 中須賀は、住まいの近くにある小高い山に登ること、そしてランニングをトレーニングのメインとしている。これは、ライダーを志した当時から変わっていない。だが、漠然とランニングをしていた当時とは異なり、レースタイムを想定して、レース後半にあたる時間帯に合わせて、心拍数を上げ、より多くの負荷をかけるようになった。また、右肩を痛めたことから、インナーマッスルを鍛えるトレーニングも取り入れた。
 「右肩を痛めて以来、チューブを用いたトレーニングを加えて、インナーマッスルを鍛えています。軽めのトレーニングですが、このけがは、筋肉で補っていくのがいちばんですからね。それと、今オフには、体力アップのためにモトクロスをトレーニングに加えようと思っています。ライダーによっては、ジムに通っている人もいますし、自転車を取り入れている人もいますが、これに関しては、取り入れようと考えたことがありません。トレーニングにも、やはり主旨が大切だと思っていて、ちゃんと目標を立ててやるべきだと思っています。他のスポーツ選手がやっているからとか、単なる真似でのトレーニングは意味がありませんからね」

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環境の変化

 中須賀には過去に、チーム・ナカスガを結成して父親とともに全日本ロードレースを転戦した時代がある。その父親は2004年に他界したが「もし生きていたら、今年の戦いに関して、まだまだ甘いと言ったと思います。勝てない自分が悪い。もっと自分を追い込めと。厳しい父でしたが、反面、勝てばよくやったと褒めてくれた。そんな父でしたね」と中須賀は振り返る。そして昨年、中須賀自身が一児の父親となった。
 「結婚式は、今年の11月23日に挙げましたが、入籍は昨年のことで、子どもも生まれました。よくライダーは、結婚したり子どもが生まれたりするとモチベーションが下がるとか言われますが、そう言われないためにも、昨年はチャンピオン獲得が必須でした。また、趣味を持つことで気持ちがリフレッシュされると言いますが、僕は本当に無趣味で、強いて言えば、トレーニングを兼ねた登山が趣味でした。でも子どもが生まれて、本当に気持ちがリフレッシュされるようになりました。僕が、父や母から受けた愛情を、同じように子どもに注いでいきたいですね」
 もちろん、サーキットに入れば、父親からレーシングライダーへと早変わりする。気持ちの切り替えは「得意です」と語る中須賀だが、その早さという意味では、今年のMFJ-GPで、このようなシーンがあった。レース1で転倒した中須賀は、「攻めていっての転倒だから仕方ない。これが守りに入っての転倒だったら、悔しさ倍増ですけどね」と語っていたが、本音の部分では、悔しくないわけがない。それでも、レース1とレース2のインターバルで行われたYSP応援団との交流に、笑顔で参加していた。
 「毎レースで、YSP応援団が大勢来てくれて、本当に励みになります。また、エリア監督制があって、毎回、違った方が監督としてスターティンググリッドに立ってくれて、応援してくれます。そして、ここでエリア監督と一緒に撮影するのですが、正直なところ、最初はスタート直前の撮影には戸惑いがありました。でも、皆さんの応援を直に感じることもでき、今では、レースに向けてスイッチを入れるための儀式のように、欠かせないものになっています。応援していただいた皆さんには、優勝シーンをお見せできず、さらにチャンピオンを逸してしまって申し訳なく思っていますが、これからまた3連覇に向けて新たなチャレンジが始まりますので、今後も応援していただきたいです」


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