1982年発売の軽二輪スクーター「シグナス」をはじめ、125cc以上のスクーターが人気を博していた1990年代初頭、ヤマハはこのジャンルの市場性に着目して市場調査を実施した。その結果、需要の大半は、東京・大阪・名古屋の3大都市圏で、用途は通勤がメインであり、さらなる成長性を秘めていることがわかった。
ヤマハは、この分野に新機種を投入することを決定。開発スタッフは実際に東京での通勤体験をすることからスタートし、郊外の町田市から都心の渋谷まで約20kmの通勤について、各種の交通手段で実験を行った。電車やバスを乗り継ぐ場合、自転車の場合、モーターサイクル、スクーターの場合と比較調査したが、到着結果は二輪車が圧倒的に早かった。しかも、公共交通機関と比較して時間の自由度は比べものにならず、二輪車の優位性を再認識することになった。
しかし、二輪車によるラッシュ時の20kmにわたる長距離走行は、かなりハードだった。通勤体験を終えたライダーは、一様に疲労感を覚えていた。そして、毎日この距離を安心して走るためには、オートマチック250ccスクーターがベストであるとの結論に達した。
新機種は、それまでのスクーターのイメージを一新し、「スポーツ性と快適性を兼ね備えたプレステージコミューター」をキーワードに設定した。通勤用途を主なターゲットとしていたが、実用性ばかりでなく、週末のツーリングも楽しめるよう、長距離走行時の快適性には特に気を配った。
エンジンは、静粛性に優れた水冷4サイクル250cc単気筒。シフト操作の不要な自動変速装置を採用し、アクセルとブレーキだけの簡単な運転とした。タイヤは乗り心地を重視し、クラス初の12インチホイールを採用。シートは可変バックレストと、小物入れなど使い勝手にも気を配った。また、空力特性に優れたフェアリングを採用するなど、従来のスクーターの概念を超えたスポーティなスタイルのスクーターが誕生した。
「マジェスティ250」は、1995年8月に発売。その快適性とスポーティなデザインが話題を呼び、一躍、人気モデルとなった。当初年間3,000台の生産を見込んでいたが、それを大幅に上回る年間生産1万台以上のヒット商品となった。また、マジェスティは海外市場でも好評を博し、新たな需要を創出した。中でもヨーロッパでの販売台数は、1996年以降、毎年国内を大きく上回っており、2000年の実績は2万台を超えた。
1990年代は国内の二輪車需要にかげりが見える中で、他のカテゴリーでもヤマハの商品が人気を集めた。レトロなデザインと女性デュオPUFFYをイメージキャラクターに起用した原付スクーター「ビーノ(VINO)」、ロー&ロングのシルエットでジャパニーズ・アメリカンをリードした「ドラッグスターXVS400」、すでにロングセラーモデルとして実績のあったマウンテントレール「セロー225」シリーズや、ビッグシングルの定番「SR400」も1990年代に入ってその人気が再燃することとなった。
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