創立25周年を迎えた1980年、ヤマハは新事業の芽となる商品を模索していた。同じ時期、農林水産省の外部団体である(社)農林水産航空協会が農薬散布方法の改善を目的に、遠隔誘導空中噴霧装置「RCASS」(Remote Control Aerial Spraying System)の開発研究に取り組んでいた。その流れの中で、ヤマハへエンジン提供の打診があった。これがヤマハの無人ヘリコプター開発への契機となり、やがて1983年4月には、同協会からRCASSについてエンジンを含めた機体の全面的な開発が当ヤマハに委嘱された。

当初は依頼主の意向を受けてスノーモビル用のエンジンを搭載した機体の開発・研究を進めていたが、特殊な方式である二重反転ローターでは、複雑な機構の克服はもちろん、重量面やコスト面、安定性、操縦方法など、幾多の問題が山積し、解決が困難ではとの判断が技術陣の間で取り沙汰された。このため、1985年からは自主的な企画によって、一般的なヘリコプターと同様な形式である「シングルローター+テールローター式」の無人ヘリコプターの開発も始めた。

ヤマハ主導によるシングルローター式の新RCASSの開発は順調に進み、1986年6月に試作1号機が完成。一方、二重反転ローター式RCASSは問題解決にはほど遠い状態が続いていた。こうして、開発はシングルローター式に絞られ、産業用無人ヘリコプター「ヤマハ・エアロロボットR-50」の名称が正式に与えられた。

1987年には第1号モデル「R-50(L09)」が完成。(社)農林水産航空協会主催によるデモフライトで、当初の目的通りペイロード(有効積載量)15kgの薬剤散布飛行で好成績を収めた。同年12月からは、限定20台のモニター販売を開始した。

第1号モデル「R-50」の試作機

R-50は、当初は農業用として水田や果樹などへの農薬散布、ゴルフ場などの松食い虫防除のための薬剤散布を目的に実用化が進められた。やがて実績を積み、農薬散布の対象は、水稲をはじめとして、麦や大豆、レンコン、大根、栗、柑橘などさまざまな分野に広がった。R-50の実用化により、従来は重労働であった害虫防除作業を軽減し、農家の後継者問題にも明るい話題を投げかけた。

1991年には農林水産省が「無人ヘリコプター利用技術指導方針」を認可し、1992年には初の「全国産業用無人ヘリコプター飛行技術競技大会」が栃木県で開催された。その後、散布面積は年々増加し、03年現在では、56万2,830ヘクタールに達している。産業用無人ヘリコプターの操縦オペレーターも順調に増え続け、2003年の時点で農林水産省のオペレーター資格取得者数は、全国で9,574名に達している。

産業用無人ヘリコプターのプレゼンテーション(1986年)

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