1969年の東京モーターショーに、ヤマハは初の4ストロークエンジン車「XS1」(650cc)を出品。鮮やかなグリーンとヤマハらしいスポーティで軽快なフォルム、そして何よりも「2ストロークのヤマハ」がつくった4ストローク大排気量車として話題となった。

この当時、大型モデルは「スーパーバイク」あるいは「スーパースポーツ」と呼ばれ、二輪専門誌では馬力や最高速度といった性能評価が毎号のように誌面を賑わせていた。しかし、XS1の開発企画は、パワーを強調していた他社とは一線を画すものだった。モーターサイクルは人が操り、人機一体となって走るもの、そのためには、スタイリッシュで軽量、スリム、コンパクトでなければならないというヤマハらしさの追求をテーマとした。

開発のポイントは「フレキシブルな高性能車」、「350cc並みの軽快なフィーリング」、「価格的にも身近なもの」という要素に加え、「大人の乗り物」として細部まで上質感のあるつくり込みを行った。米国で根強い人気の英国車「トライアンフ・ボンネビル650」をベンチマークし、シリンダー配置も同形式のバーチカルツイン(直立2気筒)とした。

XS1は東京モーターショー発表後の1970年2月に発売。ヤマハならではの感性を秘めた4ストローク大排気量車として、マーケットから好評を持って迎えられた。大型モーターサイクルで長い歴史を持ち、老舗メーカーの寡占状態だった欧米でも高い評価を得た。


1977年1月にアメリカのEPA(環境保護庁)が公表した大気浄化法改正法は、厳しい内容だった。この規制により、日本の二輪車メーカーが生産する2ストロークエンジンの大半が対応困難となり、アメリカ市場から閉め出されかねない情勢となった。このためメーカー各社は、排気ガス対策のしやすい4ストロークの大排気量モデルで規制への適合を目指した。

ヤマハも4ストロークを専門とする第4技術部を立ち上げ、開発を急ピッチで進めた。しかし一方では、創業以来一貫して、2ストロークスポーツの分野を切り拓いてきた自負があった。2ストロークを専門とする第3技術部でも排気ガス規制に適合させるべく、懸命の努力を続けた。

4ストローク省エネ型エンジンシステム「YICS」(1980年)
2ストローク省エネ型エンジンシステム「YEIS」(1980年)

1980年6月30日、ヤマハは独自に研究を続けてきた省エネルギー・エンジンシステムの新技術として、4ストロークエンジン技術「YICS(YAMAHA Induction Control System)」と、2ストロークエンジン技術「YEIS(YAMAHA Energy Induction System)」を発表した。

YICSは、シリンダーへの混合気吸入速度を速め、燃焼時間を短縮し、燃焼効率を上げて省燃費を図るもので、省エネルギーエンジンを低コストで実現した。

YEISは、吸気管内の混合気流速の変動を平滑化し、安定した吸気効率を確保することを基本原理とし、出力向上と燃費向上を図ったもので、実車テストで10%前後の燃費節約が確認された。2ストロークエンジンを中心に開発を進めたが、4ストロークエンジンへの適用も可能な技術である。YEISは、1980年モデルのYZを皮切りに、1981年モデルのモーターサイクル・2ストローク4機種で採用した。

「YPVS」を搭載した「TZ500」(1980年)

また、「YPVS(YAMAHA Power Valve System )」は2ストロークエンジン特有の機構を積極的に活用するシステムで、排気ポートに設けたバルブをマイクロコンピューターで制御、排気タイミングを低回転域では遅く、高回転域では速く開閉するよう、各回転域で最適にコントロールする。これにより全回転域にわたって出力特性が改善され、同時に燃費の向上も実現させた。もともとこのメカニズムは、排ガス対策のために開発されていたものだが、レース部門がこの発想に着目。いち早く実用化した。

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