アメリカでの排出ガス規制がより厳しくなり始めていた1970年代の後半、「ヨーロッパではピュアな2ストロークスポーツを望むライダーが多い」という情報が届いた。この情報が「2ストロークのヤマハ」を自負してきた多くの技術者たちに火を付けた。「これが最後になるかもしれない。だからこそ、ヤマハ2ストロークの集大成となるモデルをつくりたい」という熱い気概がみなぎった。こうして「RZ250/350」の開発がスタートした。

エンジンは、市販レーサー「TZ250/350」で培った水冷2気筒。250ccで35馬力、350ccで45馬力というスペックは、当時としては驚異的な数値だった。エンジン単体の重量は、空冷の「RD400」に対して12%の軽量化、フレームもやはり20%も軽い13kg。軽快な走行性を実現するため軽量化は外装部品にまで及び、フェンダーやサイドカバー、クランクケースに樹脂素材を多用した。パワーウエイトレシオはRZ250が3.97kg/ps、RZ350に至っては3.17kg/psという数字を達成した。

第23回東京モーターショーにおける「RZ250」(1979年11月)

かくして1979年に開催された「第23回東京モーターショー」のヤマハブースは、RZを心待ちにしていた大勢のファンで身動きできないほどの賑わいとなった。レーシングマシンのようなスペックはもちろん、存在感のあるパールホワイトの燃料タンクに火炎イメージのキャストホイール、多段チャンバータイプのマフラー、特徴的な黒く大きなラジエター、アルミ製バフ仕上げのフートステップブラケットなど、流麗で挑戦的なフォルムが空前のセンセーションを巻き起こした。

モーターショーが終わると販売店には予約が殺到し、全国の試乗会にも会場に入りきれない人々の列ができた。専門誌『オートバイ』主催による年間国産車ランキングでは、発売前の投票にもかかわらず堂々トップを獲得。国内で1980年8月発売のRZ250、1981年3月発売のRZ350は、いずれもベストセラーとなった。

一方、原付スクーターにおけるヤマハの看板商品であった「ジョグ(JOG)」は、RZが町にあふれていた1983年に誕生した。当時は女性を対象としたスクーターが主流だったが、ジョグは若者層をターゲットに軽快な走りを楽しむという新しいライフスタイルを提案してヒットモデルとなった。さらに1988年には「走る、曲がる、止まる」の基本性能を一段と高めた「ジョグスポーツ」を発売。同年10月に生産累計100万台を達成すると、翌1989年にはヘルメット収納機能を備えた「ニュージョグ」を発売し、グッドデザイン賞に選定された。

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