1980年代、国内では好況を背景に所得や余暇が増え、マリンレジャーやマリンスポーツを楽しむ層が一気に広がりを見せた。また、自動車・半導体を中心とした日本製品の輸出拡大によって諸外国との軋轢が高まったことから、政府による内需拡大政策が打ち出された時期でもあった。

内需拡大策の一環として、レジャー、スポーツなどの振興にも力が注がれた。1985年5月、運輸省(当時)が港湾整備の一環として総合的な港湾空間の創造を基本目標とする「21世紀への港湾」を公表。その中に「水際開発計画」(ウォーターフロントプロジェクト)が盛り込まれた。また、1987年には国会で「リゾート法」(総合保養地域整備法)も成立した。これにより、マリーナ整備にも官民一体となった取り組みが行われるようになった。

日本では、プレジャーボートやヨットなど、ハードを手に入れることは比較的容易になっていたが、そのソフトとなる保管場所が絶対的に不足し、普及に対する最大のネックとなっていた。こうした背景から全国各地にさまざまなマリーナ構想が計画された。

横浜ベイサイドマリーナ

ヤマハは、かねてから商品や施設を通じて、マリンレジャーに関する幅広いノウハウを蓄積してきたが、そのノウハウを活かすべく、1987年11月にマリーナの企画、開発、運営コンサルタントを事業内容とする株式会社マリナス開発(本社・東京)を設立した。同社は国や地方自治体のマリン関連の調査業務や「横浜ベイサイドマリーナ」「広島観音マリーナ」「天草フィッシャリーナ」をはじめ、全国各地で多数の施設の設計を含む立ち上げをサポートするなどマリンレジャーの環境整備に関するシンクタンクとしての機能を果たす。

輸入大型プレジャーボート
「YAMAHA-50 CANARY-MY」(1989年9月)

また、1980年代後半にはバブル景気に乗って超大型プレジャーボートの需要も増加し、ユーザーの商品に対するニーズの多様化や個性化が進んだ。ヤマハでは商品ラインアップ強化の一環として、より豪華で個性的な超大型プレジャーボートの輸入販売を決定し、1986年4月、アメリカの超大型高級ボートメーカーの名門、バートラム・トロージャン社と日本における総代理店契約を締結した。この輸入契約は、当時、日本の一方的な輸出超過により深刻化していた日米貿易摩擦に対応する政府の輸入拡大方針にも沿ったものだった。為替も円高で、輸入製品は身近なものとなりつつあった。

同じ年、6月10日からはトロージャン・インターナショナルクラス(10.8mエクスプレスから12mセダンまで7モデル)の輸入販売も開始。艇体価格は10mエクスプレスの5,246万円からで、内外とも贅を尽くし「浮かぶ別荘」とも呼ぶべき世界最高級の商品だった。

.