常にもう一段、高いところを狙う。タンク成型現場の伝統
モーターサイクルの燃料タンクは、エンジンに供給するためのガソリンを貯蔵する重要な機能部品。引火性、揮発性の高い燃料の容器であるからには、何よりも安全性が優先される。しかもその外観は製品の意匠性を決定づけるほどの存在感を担い、さらにはニーグリップによって人車の一体感を生み出す重責まで負わされる。これら複数の、かつ極めて重大な要件を高次元で集約し、鋼の板から立体を生み出してゆく。簡単であろうはずがない。複雑な面と線の組み合わせで独自のキャラクターを構成する「MT」シリーズを代表するモデルなら、なおさらのことだ。
美顔の
大敵、
荒れとシワ。
燃料タンクの成型現場の中央に大きなプレス機が鎮座する。「最新の機械とは言えないが、なにしろ付き合いが古い。長く付き合うことで、人と機械が互いの癖をつかみ合っている。タンクプレスの工程はダイナミックな一方で、じつに繊細。技と母材のギリギリの攻防では、癖をつかみ合うというこの感覚が非常に大切になってくる」。タンクプレスの技術者たちは、「ギリギリ」という言葉を何度も繰り返した。
一枚の鋼の板に大きな圧力が加えられ、瞬時にかたちを浮かび上がらせるその光景を思い浮かべてほしい。立体は複雑である。必要以上に大きな圧力がかかった部位の鋼は延びて肌荒れをもたらし、荒れた部分で余った鋼はどこか別の場所でシワをつくる。肌荒れとシワ。美顔のタンクを成型するための大敵とも言える存在だ。安全性と意匠性、さらには表面の仕上げを高次元で成立させるために、鋼板の特性を限界まで使い切る。つくり込みに向き合うその姿勢は、まさに玉成と呼べるものだ。「できることだけを前提にしたものづくりなら、その苦労はない。でもギリギリを狙っていくなら必ず通る道」。その後方で、また一つプレス機が大きな音を立てた。
歪みを
解消する、
匠の技。
プレスを打たれてかたちを得たタンクは、次の工程で進行方向に向かって左右に分割される。天面にあたる左右の2枚と、底面を支える1枚。これらをシーム溶接することで、つなぎ目のないタンクの形状が浮かび上がる。各ピースを組み付けていく工程では、溶接痕とわずかな歪みが発生する。クラフトマンは細く息を吐きだし、ゆっくりゆっくり電極にタンクピースをあてがって母材同士を貼り合わせ、同時にその歪みを解消してゆく。
ものづくりの現場には矛盾がある。シミュレーションによって最適解が導き出されたとしても、それはあくまで「こうなるはずだ」という予測に過ぎない。4M(人、機械、素材、方法)に潜むわずかなバラつきの積み上がりによって生まれた歪みを解消していくのは、クラフトマンの手技である。その美しく流れるような手の動きを、工芸家の手さばきとでも言えば伝わるだろうか。
日々の
変化をつかむ
目と手。
燃料タンクは、モーターサイクルの意匠性を左右する代表的な部品の一つである。もちろんその美しさに対して妥協などできるはずがない。型や鋼板、プレス機や溶接機が起こす日々の変化。それらを目と手で感じ取り、細かく条件を調整する。高品質な製品を安定して量産するためには欠かせない心配りだ。
外観仕上げの工程には幾重もの手が入る。幾重もの厳しい目でチェックを受ける。それらをくぐり抜けたものだけがようやく良品と認定される。タンクの面を手のひらで撫でる検査工程。目視では確認できないわずかな不具合も、クラフトマンの手のひらは見逃さない。一方、さらに微小な傷を浮かび上がらせるのはポリネットによる検査。その掛け方一つにも熟した技が潜む。経験を積んだクラフトマンのタッチだけが見つけることのできる傷もある。
「現場に漲るのは、もう一段高いところにいくんだ、という意欲。たとえば、新型『MT-09』。その天面の張り出したエッジからニーグリップまでの深絞りは、これまでのものづくりでは表現できなかった造形。それをやり遂げた。また一段、登った」