2011年3月11日、宮城県の東南東沖を震源とする日本周辺における観測史上最大(マグニチュード9.0)の地震、東日本大震災が発生した。この地震により10m以上の巨大津波が押し寄せ、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部は壊滅的な被害を受けた。死者行方不明者は1万8,000人以上、建築物の全壊・半壊は合わせて約40万戸という未曽有の大災害だった。
この震災により、合わせて2万隻ともいわれた東北・関東沿岸部の和船の多くが被災し、そのうち残存・修理可能な船はわずか1,000隻あまり。この地域の漁業は、壊滅的な状況に追い込まれた。
こうした中、「復興のため、一刻も早く新しい船を漁業従事者に届けよう」と水産庁による共同利用漁船建造補助事業がスタートし、ヤマハはこの枠組みの中で2013年3月までに約4,000隻の製造を担うことになった。しかし、前年の漁船・和船の製造数が約250隻という生産体制の中で、4,000隻はまさに大増産というべき数字(その後、追加注文もあり、合わせて約4,900隻を受注)。船を建造する際のFRPの型や治具の追加をはじめとする設備投資に加え、定年退職したOBや被災地から造船関係者を募るなど、増産に向けたさまざまな対応が求められた。
さらに問題を困難にしたのは、船の艤装という課題だった。通常、漁船や和船は工場から出荷されたままの状態で使用されることはなく、地域によって異なる漁法に合わせて地元の販売店によって最終的な艤装が行われる。しかし、販売店もたいへんな被害を受け、4,000隻もの艤装には対応できない。そこでヤマハでは、国際サーキット「スポーツランドSUGO」併設の屋内テニスコートに臨時の艤装センターを設置し、20数名の従業員を募って艤装の対応を行った。この従業員の多くは被災地からの雇用だったが、報道を見て遠方から駆け付けた人もいた。
稼働率が上がると1日に10隻のペースで艤装が完了し、次々に被災地の販売店へと運び込まれた。こうしてほぼ計画通りに造船・艤装の作業が進められ、その原動力となったSUGOの臨時艤装センターも2013年8月にその役割を終えることになった。東日本大震災に起因する和船・漁船の増産は2015年時点でまだ継続しているが、艤装作業は震災前と同じように地域の販売店に引き継がれ、東北の漁業は一歩一歩復興へと向かっている。
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