1968年3月に市場投入した「ヤマハトレール250DT1」(250cc)の開発は、1960年代の後半にアメリカでスタートした。  開発のきっかけは、コロラド州デンバーを担当する現地セールスマンからの情報だった。「デンバーではロードスポーツモデルは売れていないのに、公道だけでなく草原や山を自由に走り回るタイプのモデルが人気を集めている。ヤマハでもつくってみたらどうだろうか」というものだった。

これを聞いた本社開発実験の担当者は、モトクロッサーとトライアルの両方の要素を兼ね備え、公道でもオフロードでも走行可能という新型モーターサイクルの提案に戸惑った。「アメリカではそれが定着しているという。しかし、オフロードとかトレールと言われてもピンとこなかった」と振り返る。

ヤマハトレールシリーズ

この時期、日本ではオフロードバイクの概念さえはっきりしていなかった。せいぜい市販のロードスポーツ車をアップマフラーに改造するくらいで、トレールとしての使い方や走り方を理解していたわけではなかった。YDS1の発売を契機として、ロードスポーツをスクランブラー仕様に変更するキットパーツが当たり前のように売られていたころである。

しかし、DT1のベースになるモデルがないわけではなかった。1967年5月、モトクロス日本グランプリで優勝を飾ったモトクロッサー「YX26」がそれだった。それまでは2気筒エンジンのYDS1をモトクロス用に改造していたが、YX26はモトクロス専用車として密かに開発したプロトタイプだった。その技術が量産車のDT1の開発にも活かされた。

250DT1

こうして生まれたDT1を、1967年10月、アメリカのセールスマンたちに披露すると、予想をはるかに超える大好評をもって迎えられた。全米のオフロード車の年間販売台数が4,000台という時代に、責任者は「年間2万台は売る」と意気込んだ。

実際に、DT1は「飛ぶように」売れた。この後、アメリカではキャンピング・ブームやモトクロス・ブームなど二輪車によるファミリー・レジャーの時代を迎え、トレールモデルの地位は確実に高まり、ヤマハのイメージも全米レベルで浸透した。

このアメリカでの勢いは、国内にも波及した。1968年3月の発売と同時に、オンロードも走れるオフロード車の登場は「今までにないまったく新しい車種のオートバイ」と注目され、爆発的な人気を集めた。DT1の導入とともに展開したヤマハトレール教室の効果も絶大で、月間500~600台も売れる大ヒット車種になり、二輪車の一大ジャンルとなるトレール市場を構築するまでに至るのだった。

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