スノーモビルの技術開発がスタートしたのは、1965年春のことだった。
まず、ボンバーディア社(カナダ)製のスノーモビルをサンプルとして購入し、徹底的に分解・調査するところから開発を始め、翌1965年の夏には試作車「YX15」を完成させた。YX15は、走行安定性を高めるためトラックをダブルに変更した苦心の作だった。早速、遠州灘に面した真夏の中田島砂丘を雪原に見立て、走行テストや強度テストを実施。立山や志賀高原など降雪地でもテストして問題点を改良した上で、1966年2月、いよいよスノーモビルの本場、北米でテストすることになった。
約3週間をかけてトロント、オタワ、ケベックなど各地を転々としたが、結果は惨憺たるものだった。車体のフロント部が重すぎて、雪の中に潜ってしまう。現地のテストライダーに「これは雪上車ではなく、雪中車だ」と揶揄された。それだけではない。安定性を確保するために、エンジンをフレームの中に組み込んで重心を低くしていたが、「安定しすぎてスノーモビルの醍醐味がない」と一蹴された。コーナーリングの際、操縦者が体でバランスを取るアクロバティックな面白さを楽しめないということだった。
この試作車の失敗により、すでに決まっていた生産計画は直ちに中止され、開発は仕切り直しとなった。その後も紆余曲折があり、そのたびに対策を施し、ようやくモニター機として300台の製造に踏み切ったのは1967年の秋のことだった。北米各地で実施されたモニター結果は芳しくなかったが、技術的な課題を一つひとつクリアしていくことによって着実に市販レベルに近づけ、ついに1968年7月、スノーモビル第1号の「SL350」を発売する。
しかし、まず北米でクレームが多発する。下り坂で減速してコーナーを曲がろうとすると、トラックがたるんでスムーズに曲がれない。エンジンもパワー不足とみなされたし、操舵スキーの破損なども報告された。こうした市場の声を受けて、走行実験グループが北海道士別市に長期滞在し、飛行場の跡地をテストコースに使って不具合の改良に追われた。
1969年5月には開発体制を強化し、次々に3つのモデルを市場に送り出した。これらのモデルは北米で手堅い評価を獲得する。スノーモビルの開発は、スタートから4年目にしてようやく軌道に乗ることになった。
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