1962年7月7日から3日間、大阪と東京間の外洋コースで、第2回太平洋1,000kmモーターボートマラソンが開かれた。前年圧勝したのに続き、ヤマハは新しいモーターボート2隻を投入。このレースでは、悪天候で16艇が転覆、浸水で脱落。完走したのはヤマハの2隻だけだった。このレースの出場艇が13年間にわたって生産された「ヤマハストライプ18」シリーズの原型となる。

1960年代はハイフレックス型やストライプ型など「ヤマハデザイン」の方向性を決める船型を生み出した点で重要な時期だった。日本の海は潮流や地形による気象・海象の変化が激しく、安定した穏やかな日は少ない。そうした海でも安全にスピーディに走るようにするには、この日本の海洋条件に合った船型を開発する必要があった。

まず1962年1月にハイフレックス船型を発表。次いで10月にストライプ船型が第19回全日本自動車ショーの二輪車会場のプールに展示され披露される。

ハイフレックス型の出発点は「乗って楽しいフィーリング」。海でボートに乗る楽しさを引き出すため、FRPシェル構造のメリットを十分に活かして、船底の断面形状を滑らかで美しい曲面にした。また、全幅を1.5mにし、小型自動車でトレーラー曳きできるようにした。走行性能は抜群によくなり、さながら戦闘機のように自由自在に水面を旋回できた。そのシャープな動きを目にした川上源一社長(当時)が、ハイ・フレキシビリティ(高い柔軟性)の意味を込め、「ハイフレックス14」(H-14)と命名する。

「ハイフレックス14」(1963年11月発売)

一方、外洋レースでの経験がベースになったストライプ船型は、ボート・デザイナーの固定観念を破るものだった。

外洋での過酷なレースで勝つためには、高い波を乗り切ることのできる船体が必要になる。それまでは、波の衝撃をやわらげるために前部の船底勾配を大きくし、中央から船尾にかけての勾配はゆるやかにしていた。船底勾配が平らに近いほど抵抗が少なく、加速もよくなるからだ。だが、高速艇が波間を疾走すれば必ずジャンプする。着水時の衝撃を軽減するには、船尾まで大きな船底勾配をつければクッションがよくなる。だが、滑走面の効率は悪くなる。つまりスピードと乗り心地は両立しないと多くのデザイナーが思い込んでいた。

「ヤマハストライプ18CR」(1963年12月発売)

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