「ヨットのF1」とも称され、ヨット技術の世界最高峰を競う「アメリカズカップ」。その第1回大会は1851年で、日本では黒船到来の年。全英オープンゴルフやFIFAワールドカップをしのぐ歴史を持つ世界最古のスポーツトロフィーとして知られている。150年を超える歴史の中で、4年に1度の開催を基本としたレースには、世界に名だたる海洋国が参戦。まさに国対国の威信をかけたヨット建造技術と、セイリングタクティクスの熱い闘いが繰り広げられている。

日本が初挑戦したのは、1992年の第28回大会。続く1995年の第29回大会と、2回の出場艇「ニッポン」号の建造をヤマハが担当した。社内に「アメリカズカップ室」を設けてプロジェクトチームを結成。2回のレースで、5隻のハイテクヨットを新居工場で建造した。CFD(Computational Fluid Dynamics)による流体解析、FEM(Finite Element Method)による構造解析およびVPP(速度予測プログラム)による性能分析をベースにした船型、キール、ラダーなど、レースに勝つため、細部に至るまで先進的な設計を施し、さらにノーメックスハニカム芯材を使ったカーボン・プリプレグ艇の建造技術など、最先端技術を惜しみなく投入した。

開催地は、2回とも前回覇者の権利でアメリカのサンディエゴだった。クルーのセーリング技術にも磨きをかけた「ニッポン」号は、経験豊かなアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどの強豪を相手に善戦。準決勝まで駒を進め、世界中のマリンスポーツファンの注目を集めた。

アメリカズカップ挑戦艇「ニッポン」号(1992年)

一方、世界中のヨットマンが羨望する「ホイットブレッド世界一周レース」は、地球一周半に相当する32,000マイル(約6万km)で競う世界最長の外洋ヨットレース。いわば「海のパリ・ダカールラリー」である。4年に1度の開催で、実際の航海日数は約120日。途中の寄港地での時間を合わせると、スタートからフィニッシュまで9か月を要するヨットレースとしては世界で最も過酷な海の闘いだ。

この世界最高レベルが結集する1993~94年の大会に、ヤマハがメインスポンサーとなり、海洋普及室のスタッフ・小松一憲氏がクルーとして乗り込んだ「ヤマハ・ラウンド・ザ・ワールド」が、日本からの初出場で初優勝の栄誉に輝いた。

世界12か国からエントリーしたのは15艇。1993年9月25日、イギリス南部の港町・サウサンプトンをスタートし、大西洋を縦断して、赤道から南氷洋の荒海を超え、南極大陸を一周する形で大西洋を北上してアメリカに渡り、さらに大西洋を横断して再びサウサンプトンに戻る過酷なもの。満帆でもまったく速度の出ないドルドラムと呼ばれる赤道無風帯や、常に強烈な熱帯低気圧が渦巻き「吠える40度線」と恐れられるサザンオーシャンなど、海の難所の数々が待ち受ける環境、そして世界の強豪がひしめく中で「ヤマハ・ラウンド・ザ・ワールド」は、新設されたW6クラスで劇的な優勝を飾った。通算所要時間120日14時間55分の新記録だった。

「YAMAHA Round the World」号(1994年6月)

.