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環境問題を、自分の手が届く距離に。石川善樹が語る「流域」という実践の単位

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんは、なぜ「流域」に着目するのか。各地の流域を訪ね、人と人をつなぐ活動の背景にある思想とは。

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんは、なぜ「流域」に着目するのか。各地の流域を訪ね、人と人をつなぐ活動の背景にある思想とは。

2026年10月21日

  • 連載
  • #流域実践
  • #石川善樹
  • #ウェルビーイング
  • #SWGs宣言

森、里、海。それらが連なり、一続きになったエリアを「流域」と呼びます。この広大なフィールドで人々の移動や生活を支えてきたヤマハ発動機は、まさにそのつながりを担う存在に他なりません。本連載では、「流域」という視点を通して、よく生きるとは何か、その原点を探っていきます。

心や体の健康だけでなく、人とのつながりや暮らし全体を含めた「よく生きる状態」を意味する、ウェルビーイング。その持続的な実現を、人・社会・地球の調和という視点から描いた新たなビジョンが、2025年10月に発表された「SWGs宣言」です。

SWGsとは、「Sustainable Well-being Goals」の略。経済規模を測るGDP(国内総生産)に加えて、暮らしの充実度を測る「GDW(国内総充実)」を新たな指標として掲げています。この宣言では、その調和を体感できる象徴的な視点として「流域」が位置づけられました。

大阪・関西万博の会場で行われた、SWGs宣言の発表の様子(出典:NIKKEI Brand Studio)

このビジョンを大手企業18社とともに取りまとめたのが、ウェルビーイング研究の第一人者として知られる石川善樹さん。流域を意識することは「地球規模の環境問題を、自分の手が届く単位にまで引き寄せること」だと語り、福岡・糸島を拠点に、各地の流域を訪ねて人と人をつなぐ活動を続けています。

経済界とも接点を持ち、多様な観点から「よく生きる」を探求してきた石川さんは、今なぜ「流域」に着目するのか。長良川の支流で沢登りを終えたばかりの石川さんに、その背景にある思想と実践について伺いました。

「流域」という実践の単位

まずは本日の沢登り、お疲れさまでした。石川さんはこの長良川には何度も足を運んでいるそうですが、今日はいかがでしたか。

いやあ、気持ちよかったです。長良川って、本流にダムがないんですよね。だから水の流れや土砂の動きが、本来の自然なサイクルに近い形で保たれている。今日歩いた支流でも、川が本来持っている流れの豊かさを肌で感じることができました。

実は、ここに来るまでにはちょっとした経緯があって。奈良県の川上村へ源流の森を見に行ったとき、「次は長良川に行った方がいい」と勧められたんです。川上村は二つのダムによって、村の集落が相次いで水に沈んだ場所。だからこそ、本来の川の姿が残る長良川を見てほしかったんでしょう。

そもそも石川さんは、どうして各地の流域を巡るようになったのでしょうか。

もともと僕は、友達をつくる旅みたいなことをずっとやってきたんですよ。父親がそういう生き方をしていて、気づいたら自分もそうなっていた。子どもの頃、お中元やお歳暮で食べ物が届くたびに、「いろいろな場所に友達がいるっていいな」と、幼いながらに感じていたんです。

だから僕としては、流域を巡っているというより、各地の友達を訪ねている感覚の方が近い。たまたま、その人たちが流域に関わっていたというだけなんです。

石川善樹 (いしかわ・よしき)東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行なう。

では、最初から流域に強い関心があったわけではないのですね。

そもそも僕にとって、「流域」はずっと遠い言葉だったんです。あまりに複雑で「どうせ自分には理解できないし、何もできないだろう」と思っていたというか。

それが重要なテーマとして語られていることや、実際に環境改善などに取り組んでいる人たちがいることは知っていたんですが、僕はあくまでウェルビーイングや予防医学の文脈から「人がよく生きるとはどういうことか」を研究している人間です。SDGsにしても、流域にしても、そういう難しいテーマはその道の専門家たちに任せておけばいい、と考えていました。

でも今は、SWGs宣言の策定にも関わり、ご自身でも実践活動をされています。考えが変わるきっかけがあったのでしょうか。

YAMAPの春山慶彦さんに誘われて、福岡の英彦山(ひこさん)に登ったんです。英彦山は修験道の山で、古くから豊かな自然が守られてきた場所。ただ最近は人の手が入らなくなった影響で、野生動物の食害が起きていました。下草が食べ尽くされて土がむき出しになっていたり、若い木が育たなくなっていたりと、実際にかなり山が荒れていたんです。

その光景を目の当たりにして、ニュースで見聞きしていたような環境問題が、本当に起きているんだと実感しました。ただ、その時はまだ「流域」という視点も薄く、自分がどう関わればいいのかも見えていなかった。そこに一つの気づきを与えてくれたのが、その後にご縁があって訪れた、三浦半島の「小網代の森」でした。

小網代の森は、以前当メディアでも取り上げたことがあります。三浦半島の先端近くに残る森ですね。実際に訪れて、どんなことを感じましたか。

とにかく美しくて、気持ちのよい場所だなと。森の中を「浦の川」という川が流れていて、源流の森から湿地、干潟、そして海まで、ひと続きにつながっているんです。

話を聞けば、かつては宅地開発の計画が進み、森も荒れ、このままでは流域そのものが失われかねない状況だったと。それを市民や研究者の提案を起点に、行政や企業、地権者などを巻き込みながら、30年以上かけて守り育ててきたというんです。しかも、ただ昔の自然に戻したわけじゃない。人が継続的に手を入れることであの生態系をつくりあげたという点が、本当に衝撃的で。その時に「流域」とは、環境問題を自分に引き寄せ、実際の行動につなげて考えられる単位なのだと思いました。

どういうことでしょうか。

環境問題って、どうしても大きすぎて、自分には手が届かないように感じてしまうじゃないですか。気候変動を止めるとか、生物多様性を守るとか言われても、どこから手を付ければいいのかわからない。でも、「自分が暮らす流域では何が起きているのか」というスケールにまで落とし込むと、地域でできることや仲間と一緒に始められることが見えてくる。

僕が研究してきたウェルビーイングにしても、SDGsの次の潮流として語られる生物多様性やネイチャーポジティブにしても、最終的には「地域でどう実践するか」という問いに行き着くんです。その問いに向き合う上で、「流域」という見方は一つのヒントになるんじゃないかと思うようになりました。

食と歌から始まる、流域との出会い方

では今、石川さんはどんな実践を行っているのですか。

福岡の糸島で、地元の牡蠣漁師の仲間たちと、食を入口にした流域との関わりを探っています。山で土中環境を整えたり、田んぼでお米をつくったり、その土地でつくられた食べ物をみんなで味わったり。山から海までの流れを、食を通じて丸ごと体感できる場を、地域の子どもたちと一緒につくっているところです。

どうして地域の子どもたちを交えた活動をされているのですか。

子どもの頃に体で覚えたことは、大人になっても残るからです。伊勢神宮でも、「お木曳」の行事に参加した小学5、6年生が、やがて次の式年遷宮の中心的な担い手になっていく。純粋に体験を吸収できる年齢のうちに、流域の自然と関わる機会をつくっておくことが、循環を次の世代に受け継いでいく上で一番大事だと思っているんです。

小網代の森は30年かけて流域を再生しました。でも、本当に価値があるのは、その30年が次の30年につながっていくことですよね。僕が仲間たちと立ち上げた「雲孫財団」という団体も、自分から数えて9代目の子孫を指す「雲孫」、つまり300年先を見据えたいという思いから名付けました。実際、土中環境の改善などはかなり時間がかかるんですが、そういう「すぐには結果が出ないもの」にこそ、じっくり向き合っていきたいなと。

石川さんが理事を務める「一般財団法人 雲孫財団」の施設。糸島滞在中の拠点で、国内外の研究者や経営者が集う合宿も定期的に開かれている

とても時間軸の長い活動をされているんですね。

そうですね。こうした長い時間軸の取り組みには、大きく二つの型があると思っていて。一つは、サグラダ・ファミリアのように、完成することを目指さないプロジェクト型。もう一つは、式年遷宮のように循環しながら次の世代に受け渡していく型。

糸島での活動は、この両方を意識しながら多世代の連携を模索しているところです。そこで僕が最近、大人と子どもをつなぐ共通言語として面白いと思っているのが「歌」なんです。

歌、ですか。

歌というのは、その土地の自然や風景を後世に伝える、一種の記憶装置みたいなものです。民謡でも、お祭りの歌でも、その土地について歌われていることが多い。中でも、地域社会において一番身近なのが校歌です。

思い返してみてほしいのですが、通っていた小学校の校歌って三番まである構成になっていませんでしたか。一番はその土地の自然、つまり山や川、海の風景を歌い、二番で地域の歴史や文化、三番で未来へのまなざしが歌われることが多い。つまり一番の歌詞を見れば、その学校がどんな流域の中にあるかが、だいたいわかるんです。

言われてみれば、そんな気もします。面白い視点ですね。

一つの流域にある小学校の校歌を集めて並べてみたら、もっと面白いんじゃないかと思っていて。上流、中流、下流にある学校の校歌をそれぞれ見ていけば、流域全体の姿が浮かび上がってくるはず。そういう「校歌マップ」みたいなものをきっかけに、校区を越えて子どもたちや地域の大人たちがつながっていくような場をつくれたらいいなと。

日常の中にあるものを、流域への「入口」にしようとしているのですね。

さっきも話した通り、僕自身、はじめから「流域」を意識していたわけじゃないんです。山に登ったり、海の恵みを味わったり、土地の人と話したりする中で、後から「ああ、これは流域の話だったんだ」と気づいていった。

牡蠣を食べながら「この海の栄養はどの山から来たんだろう」と思ったり、校歌を歌いながら「この川って学校の近くを流れてるやつかな」と気づいたりする。そうした一人ひとりの小さな気づきが、やがて地域の中で自然を大切にする文化や、人と自然の関係を次の世代へ渡していく力になっていくんじゃないかと思っています。

「流域」は、どうしたら伝わるのか

石川さんはこれまで、「ウェルビーイング」という新しい概念を、企業や社会へ広く伝えてきました。その経験から伺いたいのですが、人はどのような時に、新しい考え方を「自分ごと」として受け取るのでしょうか。流域という視点を社会へ広げていく上で、何か共通するものはありますか。

全く異なる三方向から、同じことを言われた時だと思っています。例えば、地元の市長が「流域治水」という言葉を使っていて、子どもが学校で流域について習ってくる。さらに、取引先のウェブサイトにも同じ言葉が載っている。

そうやって異なる文脈から繰り返し同じ言葉に触れると、「これは個別の話ではなく、何か大きな流れとして起きているのかもしれない」と感じるようになる。一つのコミュニティから一点突破で広げようとしても、なかなか届きません。それよりも、多様な場所で同時多発的に「流域」という言葉が登場する状況をつくることの方が、ずっと効果的だと思っています。

そのような状況をつくるために、石川さん自身はどのような活動をしているのでしょうか。

僕の場合、各地を旅すること自体が、そのまま活動になっていると思います。流域に関わる人たちを訪ね、時には「あなたたちも流域をやるべきだ」と焚きつけながら、それぞれの場所で出会った人たちを引き合わせていく。いわば「流域友の会」をつくっていくような感覚で動いています。

2026年6月上旬、各地で流域活動に取り組む「流域友の会」のメンバーと

一方で、流域とはまったく縁のない人たちにも、積極的に会いに行きます。そういう人たちに話してみると、「こんなにも伝わらないのか」と驚くこともあれば、「この切り口なら届くんだ」と気づくこともある。そのズレの中にこそ、学びがあるんです。そして、この活動において僕が何よりも大切にしているのが、「専門家」として振る舞わないことです。

そうなんですか。専門家の話の方が聞く耳を持ってもらえそうですが。

そう思いがちですよね。でも、専門家じゃないからこそ、みんなが気軽に「それ、間違ってますよ」「全然意味わかんないです」って言ってくれる。そのフィードバックこそが、概念を磨き、広げていくうえで一番大切なんです。だから僕は、「専門家」というより「世間師」くらいの立ち位置がちょうどいいなと思っていて。

世間師、ですか。

民俗学者の宮本常一さんの著書『忘れられた日本人』のなかで出てくる言葉なんですけど。世間話をしながら各地を渡り歩き、人と人、コミュニティとコミュニティをつないでいくといった、専門家でも活動家でもなく、その間を行き来する存在ですね。

世間師のよさは、誰とでもフラットに話せること。一つの領域に居を構えると、どうしても「流域といえば自分だ」という覇権争いが始まってしまう。世間師なら、そこに近づかなくていい(笑)。自分の興味関心を自由に語りつつ、あそこの流域にはこんな面白い人がいますよ、とつないでいく。そうやって世間をふらふら歩きながら、あちこちに風を通す人間も、一人くらいいていいんじゃないかと思うんです。

「遊んでいる場合じゃない」時こそ、遊ぶ

では、「世間師」として各地を歩いてきた石川さんの目から見て、今の「流域」はどのように映っていますか。

いい流れを感じますけどね。治水や環境保全といった専門領域を超えて、サステナビリティの文脈で注目する企業も増えたし、地域おこしや教育の現場でも使われるようになっている。さっき話した「異なる三方向から同じことが聞こえてくる」状態に、少しずつ近づいてきているんじゃないかと感じています。

ただ、僕はこうして熱が高まってきたときこそ、そのさらに外側、つまり「周縁」を意識しておかないといけないと思っていて。

「周縁」。中心ではなく、その外側に目を向けるということですか。

中心にいると、どうしても似たような問題意識や価値観が共有されていきますよね。一方、その外側には、中心の論理には収まらない視点や発想がある。そうしたものが持ち込まれることで、それまでになかった大きなうねりが生まれることがあります。

例えば、幕末の変革も、政治や文化の中心だった江戸ではなく、その外側に位置する長州や薩摩から始まりました。中心から距離を置いていた人たちが、既存の枠組みにとらわれない発想を持ち込み、やがて時代全体を動かしていった。同じようなことが、「流域」にも起こり得ると思うんです。

今後、「流域」という概念自体が変わっていくということでしょうか。

概念というのは、広まるにつれて手垢がつき、その意味も少しずつ変化していくものです。数年後には「流域」も、まったく新しい言葉に置き換わっているかもしれませんね。

新しい言葉が登場すると、最初は「それって何ですか」「定義は?」と混乱が起きます。でもその混乱の中で、人はもう一度本質に向き合うことができる。本質ってそんなに変わらないんだけど、変わらない本質を見続けるために、人は言葉のほうを取り替えて進化させていく。人類はずっとそういうことを繰り返してきたんじゃないかと思っています。

とはいえ、言葉や定義ばかりを追っていると、かえって本質を見失うこともあると思います。どうすれば、そこへ立ち返ることができるのでしょうか。

遊ぶことだと思っています。人って「意味のあることをやらなければ」という意識が強くなるほど、理屈で判断できるものしか選べなくなるんですよね。でも、本質って理屈の中にはないことが多い。むしろ「よくわからないけど面白い」とか、言ってしまえば「わけのわからない引力」の中に宿っていることの方が多い。

「遊び」というのはそもそも崇高な営みで、例えば僕らは天皇陛下の行為に対して「何々遊ばされる」と表現しますよね。日本語の敬語の中で、「遊ぶ」は最上級の表現なんです。学ぶよりも、働くよりも、食べることよりも尊い。昔の日本人は、遊ぶことが人間にとって最も大切な行為だと、言葉の中に刻んでいたんだと思うんです。

ただ、自分だけが楽しければいいという遊びでは意味がありません。環境を無視したり、遊びの輪の外に置かれた人のことを考えなくなってしまうからです。大切なのは、みんなが楽しくなる遊びを本気で追求すること。そうすれば自然と、その遊びを守るために何ができるかを考えるようになっていくんです。

僕らはよく「遊んでいる場合じゃない」って言いますけど、そういうときこそ本当は遊んだ方がいい。遊んでいるうちに楽しくなってきて、気づいたら流域を巡っていたなんてことになっているはずだから。

……ということで、そろそろこの記事は閉じて、遊びに出かけてみてはいかがでしょうか。

取材:岡野春樹(Deep Japan Lab)/執筆:根岸達朗/編集:吉山日向

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