World GP125/250/350
2009年 企画展 Vol. 3
頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since 1955・総集編
ヤマハ発動機が初めてモーターサイクルレースに出場したのは、1955年7月。第3回富士登山レースに2ストローク・単気筒エンジン搭載の製品第1号「YA-1」を持ち込み、125ccクラスで上位独占を果たすと、その後もYDS-1など市販車ベースの改造マシンで国内の主要レースを次々に制覇。また'58年には初の海外レース、カタリナGP(アメリカ)にも挑戦し、経験とノウハウを積み重ねていった。
そして'61年、ヤマハはロータリーディスクバルブ吸気を採用した2ストローク・250cc・並列2気筒の「RD48」と125cc・単気筒のGPマシンRA41を新開発し、ロードレース世界選手権(WGP)への挑戦を開始。'63年、RD48の発展モデル「RD56」に乗る伊藤史朗がベルギーGPで250ccクラス初優勝を果たすと、'64年・'65年にはフィル・リードが2年連続チャンピオンを獲得。また125ccクラスでも、'67年、水冷・V4エンジン搭載の「RA31」に乗るビル・アイビーがチャンピオンとなり、ヤマハは世界屈指のトップチームに成長していった。
しかしその頃、マシン開発競争激化を懸念したFIMは、'69年以降クラスごとにエンジン気筒数と変速機段数を制限すると発表。実質上ファクトリーマシンが使えなくなった日本の二輪メーカー各社は、あいついでWGPの活動を休止した。それに代わってプライベーターたちを支え、なお余りある活躍を見せたのがヤマハ市販レーサー「TD-2」「TR-2」だった。
250cc・2ストローク・2気筒エンジン搭載の「TD-2」と350cc「TR-2」は、1962年にデビューしたヤマハ市販レーサー「TD-1」シリーズの後継モデル。ファクトリーマシン「RD05A」の技術を随所に採り入れ、卓越した性能と信頼性を実現。その後「TD-3」「TR-3」に進化してロードレースの定番マシンとなり、世界選手権(WGP)ではケント・アンダーソンやロドニー・ゴールド、フィル・リード、ヤーノ・サーリネン、ケル・キャラザースといったトップライダーたちが覇を競った。
そして'73年、ヤマハ発動機はWGPでファクトリー活動を再開。125ccのアンダーソン('73・'74年YZR125)、350ccのジャコモ・アゴスチーニ('74年YZR350)、ジョニー・チェコット('75年YZR350)がチャンピオンを獲得した。また市販レーサーも、TD/TRを水冷化した「TZ250」「TZ350」、空冷・2気筒の「TA125」によってラインナップを一新。その後、着実な熟成・進化を重ねながら世界中に幅広く深く浸透し、数多くのTZライダーがWGPを席捲した。350ccチャンピオンの片山敬済('77年)やジョン・エクロード('80年)、250ccチャンピオンのジャン・ルイ・トルナード('82年)、カルロス・ラバード('83年)、クリスチャン・サロン('84年)はその代表といえる。
しかし、'82年に350ccクラスが閉幕すると、250ccクラスの人気が高まり、ファクトリーチームの勢力が増大。ヤマハもハイパワーなVツインエンジン搭載のファクトリーマシンYZR250を投入し、'86年にラバードがタイトルを奪還。さらに'90年ジョン・コシンスキー、'93年原田哲也、2000年オリビエ・ジャックがチャンピオンとなったが、やがて活動を縮小していった。
上記の内容は、2009年シーズン終了時のものです。
<ブース展示車両>
前期展示、または後期展示アーカイブの車両解説へリンクしています。
カテゴリー | 年式 | 機種名 |
World GP125 / 250 / 350 [ロードレーサー] |
1959 | |YDS-1 Asama Spec| |
1962 | |TD-1| | |
1965 | |RD56| | |
1966 | |RA97| | |
1968 | |RA31A|RD05A| | |
1971 | |TD-3| | |
1973 | |TZ250| | |
1986 | |YZR250(0W82)| | |
1993 | |TZ250M(0WF3)| | |
1994 | |TZ125| | |
2000 | |YZR250(0WL5)| |