人は小さな地球である。医師・石黒伸が語る、身体と環境を貫く「流れ」の原理
体の不調も、荒れた土地も、その背景には「流れ」の滞りがある。認知症の在宅医療に携わる医師・石黒伸さんが、臨床と里山再生から見出した命が巡る仕組みとは。
体の不調も、荒れた土地も、その背景には「流れ」の滞りがある。認知症の在宅医療に携わる医師・石黒伸さんが、臨床と里山再生から見出した命が巡る仕組みとは。
森、里、海。それらが連なり、一続きになったエリアを「流域」と呼びます。この広大なフィールドで人々の移動や生活を支えてきたヤマハ発動機は、まさにそのつながりを担う存在に他なりません。本連載では、「流域」という視点を通して、よく生きるとは何か、その原点を探っていきます。
ある講演で、スクリーンに2枚の写真が映されました。一枚は、オランダの広大な河川流域を空から捉えたもの。もう一枚は、人間の心臓を走る冠動脈の造影写真。どちらも本流から細流へと網の目のように枝分かれしていて、その造形は驚くほどよく似ています。
「人と地球は、構造が同じです。構造が同じなら、壊れ方も同じ。淀み方も、そして巡り方も。流域の話はつまり、あなた自身の身体の話なんです」
こう語るのは、20年近くにわたり認知症の在宅医療の現場に立ち続けてきた医師の石黒伸さん。診療ではまず、体内の「詰まり」を見つけ、滞った流れを取り戻すことから始めます。臨床の現場で磨かれたその視点は、いま、人の身体を越え、環境再生の現場へと広がっています。
「里山再生は、僕にとって医療の延長。人の体に空気や水の流れを取り戻すように、傷んだ土地にも巡りを取り戻してあげる。結局、患者さんも土地も、流れを取り戻せば、自分で治っていくんです」
彼はなぜ、患者の体と荒れた大地を、同じ目で診ようとするのか。その問いを手がかりに、石黒さんの思想と実践を追いました。話を聞きながら見えてきたのは、命とは、絶えず巡り続ける流れの中にあるという、一つの世界の見方でした。
治すことは、流すこと
大きく二つあります。一つは、在宅医療の現場での臨床です。大阪・西本町の「アクアメディカルクリニック」を拠点に、主に認知症や神経難病を抱える高齢者の方々のケアにあたっています。診療で大切にしているのは、体の流れを根本から整えること。「脳・腸・菌」の相互作用に着目した独自のメソッドを取り入れ、一人ひとりの体と向き合っています。
もう一つは、里山再生です。大阪府内の山林にある古民家を購入し、約1000坪の荒地に手を入れながら、土地本来の循環を取り戻す活動を続けています。
端的に言えば、どちらも「流れ」を取り戻す仕事だからです。 僕は職業としては医師ですが、自分自身の生業は「命の巡りを整えること」だと思っています。滞りがあるのが身体なら医療にあたるし、それが土地なら再生する。そうした命が巡る仕組みを、僕は「流域」という言葉で捉えているんです。
ええ。ただ、僕はそれを、森・里・海をひと続きに巡る「水の循環」そのものだと考えています。山に降った雨が川となり、海へ注ぎ、また雨となって山へ還る。
ここで大切なのは、どこか一か所でも滞りが生まれれば、それが全体に波及するということ。山が荒れれば川は濁り、その影響はやがて海にまで及ぶ。逆に海だけをきれいにしても、源流が傷んだままでは本来の循環は戻らない。
人の身体も、これと同じ仕組みだと思うんです。心臓は源流のように絶えず血液を送り出し、腎臓は地層のようにその流れを浄化する。そして腸は豊かな土壌のように命を育む栄養を生み出していく。それぞれが単独で動いているわけではなく、すべてつながっている。身体もまた、一つの「流域」なんです。
僕自身、この視点を持ったことで、体の不調を一つの臓器だけの問題としてではなく、その人を取り巻く環境まで含めた「流れ」の問題として診られるようになりました。
長く在宅医療を続けてきて実感するのは、患者さんの身体の状態と、その人が暮らす環境の状態が、驚くほど重なっているということです。 例えば、窓が閉め切られ、空気が淀んだ家には、むくみや便秘があったり、表情にも活気がなかったりと、体の巡りが滞った患者さんが多い。
そんなとき、僕はすぐに薬を増やすことはせず、まずは、その人を取り巻く「流れ」を整えることから始めます。部屋に風を通し、水をきちんと飲んでもらい、食事や生活習慣を見直す。そうやって、体のどこで巡りが滞っているのかを探りながら、一つずつ流れを回復させていくんです。
以前、10年間すり足で、誰かが支えないと歩けなかった認知症の患者さんが、たった二週間後には、介助なしで歩けるようになったことがあります。なにか特別な治療を施したわけではありません。やったことといえば、部屋に風を通し、菓子パン中心だった食事を見直し、水をきちんと飲んでもらっただけ。
もちろん、誰もが同じように良くなるとは限りませんが、流れを整えることで身体が本来持っている力を取り戻していく場面は、在宅医療の現場で何度も目にしてきました。そうした経験を重ねるうちに、「治す」とは「流す」ことであり、「治る」とは「めぐる」ことなんだと確信しました。
これは身体の中だけの話ではありません。人は空気を吸い、水を飲み、土が育てたものを食べて生きている。つまり、僕たちの身体そのものが、大きな自然の循環の中に組み込まれているということです。だからこそ、人の健康を考えるうえでは、その人を取り巻く環境も切り離すことはできません。
こうした見方は「プラネタリーヘルス」と呼ばれ、近年、医学の世界でも注目されています。人の健康と地球の健康は切り離せないという考え方ですね。里山再生を始めることになったのも、今思えば必然の歩みだったのでしょう。僕にとって環境再生は、医療から離れた挑戦などではなく、これまで身体に向き合うなかで培ってきた視点を、そのまま外へ広げた実践なんです。
大地への「往診」が教えてくれたこと
始まりはちょっとした偶然でした。コロナ禍のさなか、自宅の目の前でタワーマンションの建設が始まり、窓から排気ガスが入ってくるようになった。これは体に悪いと直感して、引っ越し先を探すことにしたんです。そこで出会ったのが、大阪郊外にある古民家付きの土地でした。
新築が建てられない土地ということもあって価格は驚くほど安く、そのうえ敷地がとにかく広い。おまけに小川まで流れていて、そこに「蛍が飛ぶ」と聞いた瞬間、思わず「買います」と即決していました。もともと無類の虫好き少年だったので、蛍が飛ぶ環境にはずっと憧れがあったんです。
とはいえ、そのままではとても人が暮らせるような状態ではなくて。篠竹(しのだけ)と葛(くず)が壁のように生い茂り、光も水も届かない地面はパサパサに乾いていた。蛍が飛ぶと聞いていた小川も、よく見れば生活ゴミがたまり、泥が堆積して、清らかな流れとはほど遠い姿でした。
基本的にはほとんど手作業です。週末のたびに通っては、草を刈り、溝を切り、小川をさらう。それをひたすら繰り返しました。
そのとき参考にしたのが、土中環境の専門家・高田宏臣さんの『これからの雑木の庭』という本です。そこに書かれていた「水と空気の流れを整えれば、土地は自然に蘇る」という考えに触れたとき、「これは在宅医療の現場で自分がやってきたことと同じだ」と思いました。
それからは、風の通り道を意識して隙間をつくったり、小川の石を積み直して、水に緩急が生まれるようにしたり。そうした地道な作業を繰り返していた3年目のある夜のことです。小川のそばに立っていると、闇の中にポツリ、ポツリと光が灯り始め、やがてそれまでに見たこともないほどたくさんの蛍が飛び交い始めたんです。
その光景を見て、「流れを整えれば、命は自ら動き出すんだ」と、手探りで続けてきたことが、ようやく確信に変わりました。
命を育む「ゆらぎ」の仕組み
今はもう、生態系がほとんど自走している状態と言ってもいいですね。蛍は毎年ちゃんと飛んでいますし、カワニナ(蛍の幼虫の餌になる巻き貝)も無尽蔵に増えて、小川は清流と呼べる状態になってきた。枯れていると思っていた梅や桃も、光が入るようになったら次々と息を吹き返して、春になるたびに花が咲き乱れています。
実は今、同じことを都市でもできると考えて、とある保育園の園庭に小さな流域、いわば「マイクロ流域」を作るプロジェクトも進めているんです。
「ヘキサゴンマウンド」と言って、見た目は六角形の花壇のようなものです。ただ中身は、自然界の「流域」を小さなスケールで再現したものだと考えてください。
例えば、森に降った雨は表層に染み込み、深部にゆっくりと蓄えられながら、時間をかけて湧き出してきます。ヘキサゴンマウンドも同じように、水が一様に抜けていくのではなく、場所や深さによって異なる速度で巡るように設計しています。
そうやって一つのマウンドの中で、湿っている場所と乾いている場所、変化の早い場所と遅い場所といった濃淡の差、つまり「ゆらぎ」を生み出しているんです。
「濃度勾配」という言葉を聞いたことはありますか。簡単に言うと、物質が濃い場所と薄い場所のあいだに生まれる「差」のことです。その差があるからこそ、水や物質が移動し、さまざまな生命活動が動き出す。
僕がそれを強く意識するようになったのは、学生時代、アマゾン原産の高級魚・ワイルドディスカスの繁殖に明け暮れていた頃でした。ワイルド(野生の)ディスカスは非常にデリケートな魚で、当時、タンクブリード(水槽内での繁殖)は至難の業とされていました。僕はそこに、アマゾンの雨季と乾季で生じる水質の変化、つまり濃度勾配が関係しているのではないかと考えたんです。
そこで大学の実験室を使い、流木を煮出した水や天然の塩で水質を調整しながら、アマゾンの環境を水槽の中で再現してみました。すると、しばらくして、魚たちの体がパァァッと赤く染まって「婚姻色」が現れたんです。自分の仮説が間違っていなかったと実感した瞬間でした。
考えてみれば、自然界にはさまざまな濃淡や変化がありますよね。潮は満ち引きを繰り返すし、季節が変われば気温や湿度も変わる。生命は、ずっと一定の環境に置かれているのではなく、動き続けているんです。ディスカスの繁殖に成功して以来、僕はそうした「ゆらぎ」というものを強く意識するようになりました。
きっかけは、ある保育園の先生から「園庭が砂漠のようで、子どもたちが遊びたがらない」と相談を受けたことでした。実際に見に行くと、そこにあったのは踏み固められた真砂土(まさど)だけの園庭。真砂土は粒子が均一で管理しやすい一方、水や空気も一様になりやすく、場所ごとの濃淡や乾湿の差が生まれにくい。すると、微生物や虫、植物がそれぞれに適した環境で暮らせる「居場所」がなく、命の巡りが育ちにくいんです。
そんな環境では、子どもたちだって気持ちよく遊べるはずがありません。だったら、園庭そのものに水や空気が巡り、さまざまな命が暮らせる環境をつくれないか。そう考えて開発することにしたんです。
これは僕自身も現場で見ていたのですが、設置したその日から、それまで砂埃を嫌って園庭の隅にいた子どもたちが、何の説明もしないのにマウンドへ集まってきたんです。 物珍しさもあったのかもしれませんが、六角形で周囲をぐるぐる回れる構造にしていることもあって、すぐにマウンドの周りを駆け回りながら遊び始めました。
さらに時間が経つと、マウンドだけではなく園庭そのものにも変化が現れてきました。湿度が上がり、風の通り方が変わり、虫や植物も少しずつ増えていった。先生方からは「以前はすぐ室内へ戻っていた子どもたちが、最近はなかなか戻ってこなくなった」という声も聞くようになって。
そう思っています。もちろん子どもたちは「濃度勾配」なんて言葉は知りません。でも、体はちゃんと分かっているんです。風が抜ける、水分が保たれている、虫がいて、土の匂いがする。そういう環境に触れると、人は自然と「気持ちいい」と感じる。その感覚こそが、命を動かす力につながっているのだと思います。
「流れ」を取り戻す暮らし
そうですか。ただ、当時から今のような考え方を持っていたわけではないんですよ。大学で熱帯魚の繁殖に明け暮れていた時も、20年間近く、高齢者の家を一軒一軒回っていた時も、考えていたのは「どうすれば目の前の命が動き出してくれるんだろう」ということだけでした。それが里山を買って、土を触り始めて、園庭づくりに取り組む中で、少しずつつながっていった。時間をかけて、それぞれ別々に見えていた活動が、一本の大きな流れとして結ばれていったんです。
今の世の中って、あらゆることが細分化されていて、つながりが見えにくいですよね。例えば医療の世界なら、腎臓は腎臓の専門家が診て、脳は脳の専門家が診る。それぞれの精度は上がっているんだけど、体全体で捉えたとき、本当にその人が健やかな状態に近づいてるのかというと、そこには別の問いが残ります。
むしろ大切なのは、やっぱり「流れ」を診ることじゃないですか。 そして、その「流れ」を感じる力というのは、実は誰もが最初から持っているんですよ。
子どもたちを見ていると、よくわかります。ヘキサゴンマウンドを設置した園庭でも「流れ」のあるところには子どもたちが自然と集まってきました。風が通って気持ちいい、木漏れ日が心地いい、土の匂いがいい。それを「気持ちのいい流れ」として感じ取る力は本来誰もが持っている。
だから決して難しく考える必要はありません。朝起きたら窓を開けて、部屋に風を通す。喉が渇く前に水を飲む。裸足で土の上を歩いてみる。庭やベランダに、緑を一つ置くだけでもいい。どれも些細なことですが、自分のまわりに「流れ」をつくるという意味では、すべて同じ実践だと思います。
自分の体から、暮らしている家へ。庭へ、街へ、森へ、そして地球へ。そのすべてがつながって、一つの大きな流れをつくっている。よく生きるというのは、その流れの中で、自分の命が気持ちよく巡り続けられる環境を、少しずつ育てていくことなのかもしれません。
取材:岡野春樹(Deep Japan Lab)/執筆:根岸達朗/撮影:木村華子/編集:吉山日向
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