青春をかけた“クルマづくり”「学生フォーミュラ」を支える思い



青春をかけた“クルマづくり”
「学生フォーミュラ」を支える思い

ものづくりのプロセスを総合的に学ぶ、学生フォーミュラ
「学生フォーミュラ」という大会があることを皆さんはご存知でしょうか。 これは大学生チームが1台のフォーミュラカー(レーシングカー)を自分たちの手で設計・製作し、走行性能、安全性、コスト計画などを競い合うものです。ものづくりを通じて技術力やマネジメント能力を養う「教育プログラム」の側面もあり、将来の自動車産業を担うエンジニアを育成する役割を担っています。1981年にアメリカで始まったこの大会は、いまや世界19カ国(世界ランキング対象大会)で開催されるようになりました。
日本で第1回目が開催されたのは2003年のこと。初回はわずか17チームの参加でしたが、現在は国内の大学・機関やアジア地域から80を超えるチームが参加し、2013年からEVクラスが設けられるなど、規模・内容ともに大きく発展しています。
事前の書類審査や動画審査で「車が完成していて走行できること」「フレームの安全基準を満たすこと」を証明し、審査をクリアすれば本戦に出場できます。本戦ではプレゼンテーションや質疑応答、車検や試走などが行われ、デザイン・コスト・ビジネス性(静的審査)やマシンの走行性能(動的審査)が多角的に評価されます。この1年がかりのプロジェクトを、学生たちは授業や研究と並行しながら進行して本番に臨むのです。
ベンチャー企業立ち上げのような「0→1」 を体験
ここで、私自身の体験を少しお話したいと思います。
学生フォーミュラが日本で初開催されることになった2003年の春。クルマ好きが高じて大学の機械工学科に入学した私は、キャンパス内の掲示板に「学生フォーミュラ参加者募集」の貼り紙を見つけました。自動車雑誌で学生フォーミュラの記事を読んでいた私は(これは運命だ!)と感じて、入学2日目でチームに参加。そこから大学を卒業するまでの4年間、学生フォーミュラに挑戦し続けることになりました。
チームでは1年目にカウル、2年目はブレーキペダルの設計と、少しずつ責任の大きな役割を担当しました。そして3年目は駆動系を担当し、初めての総合優勝を経験。最後となる4年目は足回りの取りまとめを担当するとともに、途中交代で30人を超えるチームのリーダーとして参戦しました。しかし前年の優勝校としてのプレッシャーは思いのほか大きく、連続優勝を逃す結果に。「守りに入ってしまった」というほろ苦い記憶とともに、私の4年間の挑戦は幕を閉じたのです。
4度挑戦した学生フォーミュラのなかで特に印象深いのは第1回目で、ゼロからクルマをつくるという経験ができたことです。学生はもちろん、大学の先生もクルマをつくった経験なんてありません。いざ着手しようにも「設計や検証するためのパソコン」「整備するための場所」「工具や什器などの設備」など、まず基盤となるインフラづくりから始める必要がありました。まるでベンチャー企業を立ち上げるかのような「0→1」を経験できたことは、大きな糧になったと思います。
またリーダーとして参加した4回目も思い出深く、すべての種目をそつなくこなすことに重点を置きすぎてしまい、メンバーの力を十分に引き出せませんでした。「上に立つ人」としての自分の限界を学生時代に経験できたことは、むしろ社会人になってから大きな強みになっています。
あの頃身につけた「ものづくりの型」が、今も自分を支えている
在学中にエンジンの提供とアドバイスを受けたことで、ヤマハ発動機社員の自由闊達な雰囲気に惹かれた私は、卒業後に入社して現在に至ります。入社後はコミューター・スクーター領域のエンジニアとして製品開発に携わり、プロジェクトリーダーも経験しました。現在はEV事業推進部で二輪の電動化戦略の企画・立案を担っています。
キャリアのなかでさまざまな仕事を経て実感したのは、学生フォーミュラの経験が確実に仕事に活きている、ということです。特に大きかったのは「上に立つ人の気持ちが想像できる」こと。かつてリーダーを経験したからこそ「今こういうことで困っているはず」と気づけるし、自然と手が届くようなサポートができるんです。またリーダーになったときは自分の限界を知っていたので、いかに周りのメンバーを巻き込むかに重きを置いてプロジェクトを回すことができました。
イチローさんは野球において「型をつくる」ことの大切さを説きましたが、私自身は学生フォーミュラで「ものづくりの型」をつくれたように思います。
その型が身についているので、仕事のなかに「余白」が生まれます。特別に能力が高いというよりも、その余白があるから他の人より一歩先を見たり、新しいことを考えられるようになったんだと思います。今のEV事業戦略のような、将来を見据えた仕事に思考を飛ばせるのも、あの時代につくった型があるからです。
活動が途絶えていたチームが、もう一度立ち上がった
入社してからは社内の「学生フォーミュラ支援タスク」に参加して、20年近く学生支援を続けています。3年前からはタスクフォースを統括するリーダーに就任し、全体のマネジメントを行っています。
長い支援活動のなかで最も心に残っているのが、コロナ禍を経て復活した3校のこと。コロナ禍で大会が中止になった年が続き、メンバーが集まらなくなりチームが解散——そんな事態が各地で起きていました。しかし2023年の冬ごろ、「部室にエンジンが眠っていたから、もう一度チャレンジしたい」と私たちに連絡してきた学生たちがいたのです。
2024年大会に向けて支援を決めたものの、最初は何もかもが途絶えた状態からのスタートでした。3校のうちの1チームは事前審査の書類不備で早々に出場を阻まれます。何とか出場に漕ぎつけたチームも、当日はエンジンをまともに始動することができませんでした。他大学のチームがきちんと走らせているのを目の当たりにした彼らは、あまりのレベルの差に焦りと悲壮感が漂い、心が折れていないか心配になるほどでした。
ヤマハ製エンジンを使うチームを本社に招いて整備講習会を開いたときも、彼らが持参したのはホームセンターの汎用工具。「これじゃ整備できないよ」と講師に苦言を呈されるほど、何もない状態だったのです。
私が彼らに伝えたのは、「これは絶好のチャンスなんだ」ということ。私が参加した学生フォーミュラの第1回大会が、まさにそういうものでした。誰も車をつくった経験がなく、工具もない状態でのスタート。これはベンチャー企業を立ち上げるようなもので、先輩の遺産を受け継ぐ強いチームには決して得られない、貴重な経験なんだよ、と。
正直なところ、言った直後はまだピンとはきていない様子でした。でも彼らはめげなかった。翌年の講習会で彼らが持参したのは、きちんと揃えられた整備用工具。そして2025年大会は3校とも本戦へと出場し、エンジンを始動させて全審査を走り切ることができたのです。
彼らが完走した瞬間、サポートを担当したサブリーダーは涙で膝から崩れ落ちました。私自身ももう泣く寸前・・・・・・。大人になって、誰かの達成を見てこんなに感動するとは思ってもいませんでした。
さらに嬉しかったのは、大会後の彼らの変化です。それまでは「何をどうすればいいですか?」という相談だったのが、「来年はこういうマシンをつくりたい」というポジティブな発想に変わっていました。その成長と変化が、この活動で何より嬉しかったことのひとつです。
ドットはいつか繋がる——10年、20年先を見据えた支援
スティーブ・ジョブズの「コネクティング・ザ・ドッツ」という言葉があります。20年以上支援活動を続けてきて私が確信しているのは、これが学生フォーミュラにもそのまま当てはまるということです。ここでの経験は、あくまでもひとつのドット。それが将来どこに繋がるかは、やっている最中にはわかりません。でも振り返ったとき、必ずどこかで繋がっていたと思える瞬間が来るし、人生を豊かにしてくれる。私自身がそれを実感できたのは、仕事を始めて10年ほど経ってからのことでした。
だから学生たちに伝えたいのは、「この時間を全力で駆け抜けてほしい」ということ。そのドットがいつ、何に繋がるかは、それぞれの人生の中でしか見えてきません。でもそれぞれのドットを深く、大きく掘り下げることが、将来の可能性を広げてくれるはずです。
夜遅くまでの製作、資金集めなど、学生フォーミュラは苦しい時間も伴います。だからこそ本番で走り切った瞬間の達成感は格別で、チームの仲間と感情を爆発させているのを見ると“青春だな”と羨ましく思います。「学生らしい若さ」と「ものづくりの厳しさ」が混ざり合うところに、学生フォーミュラの醍醐味があるのです。
いまは自動車産業も社会全体も、先行きが読みにくい時代になりました。決められたレールに乗るだけでは通用しない時代だからこそ、自分で道を切り拓く力が問われます。学生フォーミュラは、まさにその力を鍛えるのに最適な場所だと思います。クルマに興味を持つ学生が、一人でも多くこの大会に参加してもらえたら、と願っています。














