会社員とバレーボール指導者、「二足のわらじ」で地域を元気に



会社員とバレーボール指導者、
「二足のわらじ」で地域を元気に

選手、コーチ、監督兼選手。異なる立場を経験してわかった「役割」
静岡県富士市の出身で、バレーボールを始めたのは8歳のとき。兄がバレーボールをやりたいと地元のクラブチームに入ったのですが、ボール遊びが好きだった私も一緒に入団テストを受けたんです。地域のチームながら全国大会を目指す強豪チームだったので、背の高い兄と違って体も声も小さかった私は、兄のついでに合格したようなものでした。
中学・高校でも、それなりに強い地元の学校でバレーボールを続けました。「将来は地元で体育の教員になりたい」と東京の体育大学に進学したら、そこは本気で日本一を目指すバレーボールの超強豪校。「県内では通用する」くらいだった自分でしたが、そこで全国レベルの指導を受けることになり、一気にアスリートの世界へと引き上げられました。
教員を志望していましたが、当時は静岡国体に向けて強化の気運が高まっていたこともあり、卒業後はヤマハ発動機にプレイヤー枠で入社しました。幼い頃からバイクや海への憧れを通じて、親近感のある企業だったんです。
国体出場を経て、26歳のときに選手を引退しました。その後はコーチとして指導の道に進みましたが、34〜35歳のころに復帰して、選手と監督を兼務した時期もあります。プレイングマネージャーというのは難しいもので、育成中の若手選手を使いたくても、キャリアの長い自分が出た方が、試合がスムーズに進む局面もあるんですね。でも、それを続けてしまうと「どうせ最後は自分が出るんでしょ?」という空気が生まれてしまう。器用な方ではないので、その割り切りは悩ましいところでした。
振り返ってみると、私に求められたのは技術というより、「つなぐ」役割だったのではないかと思います。20代前半の若手と30代のベテランが同じチームにいて、短期間でチームを作らなければならない。そんな中で、選手の気持ちもスタッフの立場も、両方わかる存在が必要だった。私はたぶん、両者をつなぐ「接着剤」として呼ばれていたんだと思います。このときの経験は、後の指導やチーム作りの土台となっています。
選手を育成するうえで、心がけてきたこと
その後、静岡県内の大学や高校でコーチ・監督を務め、2018年からはブレス浜松のジュニアチーム(U-15)で監督を務めています。たまたま指導キャリアが大人から始まり、大学生、高校生、中学生へと段階的に下りていったことは幸いでした。「もっと前の段階でこれができていれば」という気づきを、指導に反映できるからです。
また選手の年齢だけでなく、成熟度、理解力などの違いで指導の仕方を調整するようになりました。たとえば10のうち全部言わなくても汲み取れる子もいれば、手取り足取りすべて教えてやっと伝わる子もいるんです。だから終着点は同じでも、指導パターンは常に何個も用意していますね。そして教えた内容が伝わっていなければ「”はい”って言ったけどわかってないよね?」とちゃんと認識させます。わかるまで分解して伝えること、そして技術をわかりやすい言葉で言語化することも、指導者として大切にしていることです。
30年近くバレーボールの指導を続けていると、時代による変化も感じます。一番変わったのは叱り方ですね。昔は学生に対して「お前」という言葉を使う指導者をよく見かけましたが、いまは絶対に使わないです。それに最近の中学生は、「親友より親」というくらい親子の距離が近いんです。練習や合宿に帯同してくださることも多いので、横で見ている親御さんにも納得してもらえる叱り方や言葉遣いを意識しています。
チームビルディングにおける「共通点」とは?
会社員としての私は、自動車エンジン開発のサポート業務で、3Dモデルの作成・解析を担当しています。体育大学出身の私には全く馴染みのない分野でしたが、エンジニアの方々に教えていただきながらなんとか知識と経験を積み上げてきて、現在は8人のチームをまとめる立場です。
目的こそ違いますが、じつは仕事とバレーボールのチームビルディングには多くの共通点があり、リーダーとして考えるべきこともあまり変わりません。いかにやる気になってもらうか。自分がどう振舞えばメンバーがいい状態でいられるか。そして安心して力を発揮してもらえる環境づくり。どちらにも当てはまることが多いんです。
個人の特性を見極めて、適材適所に配置するところも同じですね。ディフェンスが強い子はそれを伸ばしてチームの力につなげるように、仕事でもメンバーがなるべく得意な仕事、成長を促せる仕事をつけることで、全体のパフォーマンスを高めていきたい。仕事と部活動を同列に語るのは失礼かもしれませんが、結局は人がやることなので考え方は共通しています。
どちらにおいても私が大事にしているのは、「自分が一番頑張っている状態を作る」こと。人が敬遠しそうな業務は自分が率先して受けますし、高校生の指導でも「ゴミ拾いやっといて」とは言わず、自分も学生と一緒に拾います。「この人、口ばっかりで自分はやらないよね」と思われるのだけは避けたいですから。
職場は入社以来変わっていません。この環境が、じつは私のバレーボール指導に大きな影響を与えてくれました。理系の職場においては、道理や論理が重視されます。自分がそれを学べたとまでは言いませんが、指導でも「起きた現象」についてロジカルに話すようになりました。スポーツも結局は物理の世界です。体育会系の私ですが、理系のものづくりに触れたことで、指導することばやニュアンスが変わってきたと感じています。もし学生からそのまま教員になっていたら、理不尽なことですぐ怒る先生になっていたかもしれません(笑)。
受けてきた「支援」のバトンをつなぎ、次の世代を育てたい
指導をしていて何よりもうれしいのは、教え子がバレーを続けてくれること。だから中学生を教えたら高校の試合を、高校生を教えたら大学のリーグ戦やインカレの試合を見に行きます。そうやって「あなたを見てるよ」「成長を見守っているよ」という思いが伝わる状況を意識的に作っているつもりです。
私はブレスジュニアの監督ですから、最終的には育てた子たちを選手としてブレス浜松に迎えて、地域で活躍してもらうのが私の夢です。だから言葉には出しませんが、「プロになるんだったら地元のチームを選んでほしい」という思いを感じ取ってもらえたらうれしいですね。実際に「最後は地元で」と言ってくれた選手もいて、「待ってるよ」と伝えました。最近は県内の高校で教えた子から2名のプロ選手を輩出することができました。他県のチームですが、将来が楽しみです。
そんな生活をしているせいか、土日は指導と試合観戦に明け暮れていて、ほとんど家にいることがありません。国内であればだいたいどこでも駆けつけますし、もはや私の趣味ですね(笑)。
こうして子どもたちの指導や教え子の試合観戦に情熱を注げるのは、地域の方々の応援があって今の私があるから。会社が応援バスを出してくれたこと、県協会の方々が試合を運営してくれたこと、試合で大きな声援をいただいたこと――そんなたくさんのサポートがあってこそ、選手はコートに立つことができるんです。今度は私が次の世代を育て、支える側でその恩返しをしたい。そうやってバレーボールで地域を元気にすることが、私の役目だと思っています。
バレーボールは、チーム全員でボールをつなげ合うスポーツです。ボールを介して仲間への思いやり、信頼、絆を育んでくれる、いわば「心をつなぐスポーツ」でもあります。プレーするだけでなく観戦やサポートも含めて、バレーボールで心がつながる人がもっと増えていくことを願っています。




