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いつか、エンジニアが選択肢になるように子どもたちに「きっかけ」を届けたい

ヤマハ発動機企業ミュージアム コミュニケーションプラザで開催されている子ども向け体験イベント「エンジン分解・組立教室」や「ウインドカー工作教室」をご存じですか?これは子どもたちにものづくりの楽しさを知ってもらうための取り組みで、活動は社内有志のボランティアグループ「おもしろエンジンラボ」によって23年にわたって運営されています。リーダーを務める甲斐 学さんと副リーダーの町田 久さんに、活動の歴史と今後の展望をうかがいました。

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いつか、エンジニアが選択肢になるように
子どもたちに「きっかけ」を届けたい

LSM開発部
甲斐 学
マーケ統括DX推進部
町田 久
ヤマハ発動機企業ミュージアム コミュニケーションプラザで開催されている子ども向け体験イベント「エンジン分解・組立教室」や「ウインドカー工作教室」をご存じですか?これは子どもたちにものづくりの楽しさを知ってもらうための取り組みで、活動は社内有志のボランティアグループ「おもしろエンジンラボ」によって23年にわたって運営されています。リーダーを務める甲斐 学さんと副リーダーの町田 久さんに、活動の歴史と今後の展望をうかがいました。

ものづくりの街・浜松から始まった、小さな”エンジニア育成活動”

甲斐さんと町田さん。入社年度が18年も違うおふたりですが、じつはほぼ同時期に「おもしろエンジンラボ」の活動に参加することになりました。
1986年入社の甲斐さんは、スノーモビルのエンジン設計からキャリアをスタートし、長年実験畑を歩んできたエンジニアです。この活動を立ち上げた当時の上司から甲斐さんが誘いを受けたのは、2004年頃のことでした。「ちょうど自分の子どもの手が離れてきた頃でした。エンジンの開発をしていたので、その知識を子どもたちに伝えるのも面白いなと思ったんです」と甲斐さんは語ります。
一方2004年入社の町田さんは、新入社員研修でこの活動を知り、参加するようになりました。現在「おもしろエンジンラボ」では甲斐さんがリーダー、町田さんが副リーダーを務めています。

「おもしろエンジンラボ」は2002年、浜松科学館の呼びかけから始まりました。当時、社会では理科離れや機械離れが話題になっていたのです。「業界の中でもエンジニアの数が減っていくだろうなっていう懸念がありました」と甲斐さんは振り返ります。そこで子どもたちに向けて、機械に触れたりものづくりを体験する機会をつくろうということになったのです。

活動を開始したばかりのころ、イベントの目玉は「エンジンの分解・組立教室」でした。カート用の空冷2サイクル単気筒のエンジンを、クランクケースを開けてピストン、コンロッド、クランクシャフトが繋がった状態まで分解し、また組み立てて元に戻します。スタート当初は10台ほどのエンジンを用意して、1回の講座に十数人の子どもたちを受け入れました。「小学校高学年から中学生が中心で、エンジンに興味のあるメカ好きな子が応募してくるので、みんなすごく熱心にやられてましたね」(甲斐さん)。

小さな子も気軽に参加できてハマりやすい、ウインドカーの世界

活動開始から数年後、新たな試みとなる風の力で走る「ウインドカー」の製作が始まります。技術会の社員レースで行われていたものを、子ども向けに改造して導入したのです。
「ウインドカーは、小学校低学年でもつくれるように工夫しました。完成後は風速3m/s、全長3mの風洞コースを風上に向かって走ったタイムを計測します。タイムが出ると、友達や兄弟と競争になり、多くの子どもたちが早くすることに没頭していきます」(町田さん)。
ウインドカーの醍醐味は、個体のばらつきが大きいことにあります。ベースは同じキットでも、木材部品の加工精度、使用する輪ゴムの張り具合など、様々な要因でタイムが変わってくるので、同じように作ったウインドカーでもタイムは1台1台異なります。「1台1台個性があるからこそ、『自分の車はどうやったら速くなる?』とトライ&エラーをしながら改良していくモノづくりの面白さがあるんです。子どもたちの発想は本当に自由で、いろんなやり方を試します。プロペラを増やす子は必ずいます。なかには家に持ち帰ってモーターを追加してハイブリッド化を試みた子もいました。うまく走りませんでしたが、彼のチャレンジ精神に感動したことを覚えています」と町田さんは振り返ります。
部品の改良も重ねました。「当初は四輪車でしたが、まっすぐ走らせるのが難しく、前輪を一輪にした三輪車にして、プーリーとワイヤーガイドを設置しました。ギアとシャフトの動力伝達は途中から輪ゴムに変更してます。プロペラやタイヤは模型用の市販品を使っていますが、木の部品はヤマハ発動機で設計したものを、社内で加工して作ってもらっています」(甲斐さん)。子どもたちが組み立てやすく、さらに完走→改造の工程をより楽しんでもらえるように、ベースカーのつくりやすさと安定走行を追求してきたのです。またタイム計測もストップウォッチから、より正確さを期すためにスイッチ式に。タイムを画面表示することで、ゴール後に結果が表示された瞬間に大盛り上がりする、という演出にもひと役買っています。

困難を乗り越え、活動の歴史を紡ぎ続けてきた23年間

23年間の活動には困難もありました。2011年の東日本大震災では「何か我々でできることはないか」と考え、同年8月には仙台科学館に出張講座を実施。科学館も一部被災していましたが、夏休みに修復が終わり、満席状態で子どもたちを迎えました。「普通に浜松科学館や静岡科学館に来る子どもたちとあまり変わらず、楽しんでやってくれてホッとしました」(甲斐さん)。この活動がきっかけとなり、自動車技術会の「キッズエンジニア in 東北」の開催につながりました。
またコロナ禍では、キットを配布してDVDマニュアルで自宅製作してもらうリモート開催も試みました。非常事態宣言が出ていない間はマスクやフェイスガードを着用し、参加人数を制限して開催。「エンジン分解・組立教室」は中止せざるを得ませんでしたが、のちに復活し、活動を絶やさない工夫を続けてきました。
そして現状抱えている大きな困難は、後継者不足。「当初始めた頃のメンバーがリタイアだったり高齢になったりでだんだん抜けてくる。その抜けた穴を埋める若い人が入ってきてるかっていうとそうでもなくて・・・」と甲斐さんは危機感を募らせます。
最近では、誘い方も変わりました。「休みの日にこういったボランティア活動に私が勧誘するのは、現代では職責的にハードルが高いです。現状できるのは、興味を持った方に自発的な参加を期待することです。今後どうすればこの活動を継続していけるのか考えなければいけません。それが残ったメンバーで取り組む課題だなと感じています」
現在副リーダーの町田さんは、来年甲斐さんからリーダーを引き継ぐ予定で、この課題については誰よりも心を巡らせてきました。
それでも希望はあります。23年間の活動を経て参加した、延べ1万5000人の子どもたちの中から、ヤマハ発動機に入社し、エンジニアとして活躍する社員が2名生まれました。「23年かけて2名ですが、それでもヤマハ発動機に来てくれたこと自体に、私たちの活動の意味があると思えました」と町田さん。それは数字では測れない、確かな成果でもあったのです。

写真は2024年開催のキッズエンジニアin東北の様子

ずっと先に思い出してもらえるような、小さな「きっかけ」を届けたい。

なぜ、20年以上もおふたりは休日を割いてまで活動を続けるのでしょうか。
「子どもたちと接するのが嫌いじゃないし、子どもたちが一生懸命やって、『楽しかったよ、また来るね』と言ってくれると、こっちも元気をもらえる」と甲斐さん。「それに自分自身も、会社に入っていろんな知識や技能を教えてもらいました。それを後の世代に伝えていくことも、会社への恩返しだと思っています」と、定年まではリーダーとしてやり遂げる覚悟です。
町田さんの答えはシンプルで、「この活動自体がヤマハ発動機の財産だと思っているので、それをなんとか残していきたい」と語りました。
ふたりが共通して大切にしているのは、「きっかけを提供する」ことです。「子どもたちが将来エンジニアになってほしいとか、ヤマハ発動機に入ってほしいとか、そういうことは考えていません。学校ではできないことや、家庭では提供できない体験、そんなちょっとしたきっかけを提供できればそれでいい」と町田さんは言います。
甲斐さんも同じ思いです。「いろんなことを経験する中で自分に合った道を見つけてもらい、その中の一つにエンジニアになるという道があればいい。いろんな経験をしてもらうなかのワン・オブ・ゼムであればいい」。
時代は変わり、将来は内燃機関に触れること自体が貴重になるかもしれません。それでも、二人はきっかけという種を蒔き続けます。その種がいつか、どこかで芽を出すことを信じて。
「子どもたちの中で楽しいイベントの思い出になって、ふといつか『あ、そういえばエンジンの分解と組み立て、面白かったな』と選択肢の一つとして思い出してもらえたら」と町田さん。
おもしろエンジンラボは今日も、子どもたちに小さな「きっかけ」を届け続けています。

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