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時代を変えた4ストロークYZの活躍

2009年 企画展 Vol. 2

2009企画展 Vol.2
頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since 1955・後期

21世紀のモトクロスを変えた4ストローク・YZの衝撃
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1988年、水冷2ストロークエンジン・アルミフレームのYZM500(0W83)を最後に、ヤマハ発動機はモトクロス世界選手権500ccでの活動を休止。その後10年の間に、同クラスのマシンは主流が2ストロークから4ストロークへと移り、600ccを越えるパワフルなヨーロッパ製マシンが上位を席捲していた。しかし、強大すぎるパワーと重さが難点でもあり、「バランスに優れた250ccクラスの2ストロークマシンこそ最速」という定説を覆すには至らなかった。
そこでヤマハ発動機は、250cc・2ストロークマシンに匹敵する軽さと性能をめざし、あえて排気量400ccに抑えた4ストローク・DOHC5バルブ・単気筒エンジン搭載のファクトリーマシンYZM400Fを開発。'97年の世界MX500とアメリカ・AMA選手権(特別参加)に投入し、翌年、市販モデルYZ400Fの発売に踏み切った。
すると'98年、ダグ・ヘンリーが市販YZ400FベースのマシンでAMAナショナル250ccチャンピオンを獲得。'99年にはバルトリーニがファクトリーマシンYZ426Fで世界MX500を制し、21世紀最初の2001年からはステファン・エバーツが連覇。そして'03年、世界選手権のクラス編成が変わり、2ストローク・250ccと4ストローク・450cc混走によるMX-GP(翌年MX-1に改称)となった後も、エバーツは2006年まで前人未踏の通算6連覇を達成。ヤマハ4ストロークモトクロッサーの実力を証明して見せた。


地域を越えて活躍の場を広げ、さらに飛躍するYZ450F/250F
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モトクロスの4ストローク化が進むなか、タイトでトリッキーな特設サーキットを使うアメリカのAMAスーパークロスだけは、瞬発力に優れた2ストロークマシンが長く優位をキープ。1998年から'00年まで、ジェレミー・マクグラスがYZ250Mで3連覇を達成。'04年チャンピオン、チャド・リードのマシンもやはりYZ250Mだった。
しかし時代のすう勢は変わらず、'06年を境にほとんどのライダーが4ストロークへ移行。ヤマハチームでは、'08年のリードに続いて、今年ジェームス・スチュワートがYZ450Fでチャンピオンを獲得している。
全日本選手権では、レギュレーション上、'00年から4ストロークマシンを投入。250cc(IA1)クラスでYZ426Fを走らせた大河原功次が、第9戦・SUGOで初優勝を果たした。しかし、4ストローク初の250ccチャンピオンとなったのは、'04年、当時ホンダの成田亮。
翌年、小池田猛が2ストロークのYZ250Mでタイトルを取り返したものの、'06年からは4ストロークマシンが圧倒。ヤマハチームでは、ファクトリーマシンYZ450FMに乗り換えた成田亮が、'07年・'08年連覇を達成した。
また'00年、YZ250Fが全日本最終戦・125ccクラスでデビュー。エルネスト・フォンセカのライディングで初勝利を飾り、市販化された翌年には、AMAスーパークロス125cc西地区でフォンセカ、全日本125ccクラスで田島久がチャンピオンを獲得。さらに世界選手権でも、アントニオ・カイローリが'05年・'07年MX-2クラスを制した。

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