日本から海外へ。モトクロスでの活躍
2009年 企画展 Vol. 2
頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since 1955・後期
1973年、250ccクラスで初めてモトクロス世界選手権チャンピオン(ハカン・アンダーソン)を獲得したヤマハチームは、'77年・'78年にはヘイキ・ミッコラのライディングで500ccクラスも制覇。そして'80年代に入ると、250ccクラスで'81年ニール・ハドソンと'82年ダニー・ラポルテ、続く'83年には500ccクラスでハカン・カルキビストが、それぞれタイトルをもたらした。
しかしそれ以降、ヤマハチームは世界選手権で500cc以外のファクトリーマシン投入を休止し、市販型YZベースのモディファイマシンに切り替えた。その影響もあって、250ccクラスではジャッキー・ビモンドが2年連続ランキング2位に甘んじたが、'86年、ついに念願のチャンピオンを獲得。
さらに'87年、ジョン・バンデンベルクがヤマハチーム初の125ccチャンピオンとなり、'88年には250ccクラスも制した。
一方500ccクラスでは、軽量・コンパクトな空冷エンジンのファクトリーマシンに代えて、'87年、アルミフレームに水冷エンジン搭載にYZM500(0W83)を投入。チーム通算4回目のタイトル獲得をめざしたが、果たせず、'88年を最後に活動休止となった。
また、'70年代にシリーズ戦が整備されたアメリカのAMAスーパークロス、AMAナショナルモトクロスでは、'80年代にかけてヤマハチームのボブ・ハンナやブロック・グローバー、マイク・ベル、リック・ジョンソンなどが活躍。その人気は日本にも波及し、大ブームを巻き起こした。