ダカールラリー挑戦 20年の足跡
2009年 企画展 Vol. 2
頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since 1955・後期
フランスのパリからアフリカへ渡り、セネガルのダカール海岸まで約10,000kmを走破するパリ・ダカールラリーは、1979年に初めて開催された。
当初、二輪・四輪メーカーはほとんど関心を示さなかったが、フランスのヤマハインポーター、ソノート社※はジャン・クロード・オリビエを中心にプライベーターの参加を積極的に支援し、XT500改に乗るシリル・ヌブーが第1回、第2回大会で連続優勝を飾った。
その後、FIA・FIM公認となったダカールラリーは世界的なアドベンチャーレースとして名声を高め、各メーカーが続々と参入。レースの高速化・高度化を促した。ヤマハ発動機本社もソノート社などの要請に応え、軽量・コンパクトで総合性能に優れた単気筒マシンを開発。年々完成度を高めていったが、本格的なファクトリー体制を敷くBMWやホンダの2気筒マシンに苦戦。どうしても3勝目に手が届かなかった。
そこでヤマハ発動機は、4気筒などのトライを経て、2気筒エンジン搭載のYZE750T Super Tenere(0WB8)を開発。翌'91年、発展型の0WC5に乗るステファン・ペテランセルが待望の優勝を果たすと、その後も彼の勢いは止まらず、前人未踏の3連覇を達成した。
すると主催者はついに、加熱しすぎた開発競争を避ける名目で、'94年以降のファクトリーマシン使用禁止を発表。そのためヤマハ発動機は1年参戦を見送り、'95年、新しいラリー専用の市販モデルXTZ850Rを投入してレースに復帰。さらに翌年、270度クランクのXTZ850TRXにモデルチェンジし、チーム強化とプライベーター支援を両立した。そして'98年、4連覇と通算19戦9勝の記録を残し、20年にわたる挑戦に終止符を打った。
※現在のヤマハモーターフランス