TZ250の進化とVツイン・YZR250
2009年 企画展 Vol. 2
頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since 1955・後期
1960年代に世界GP250を席捲したヤマハ発動機は、ファクトリー活動休止後も市販レーサーTD-2、TD-3、TZ250シリーズを継続的に供給。'70年代を通じてプライベーターの絶大な支持を集め、同クラスの発展に貢献した。しかし同時に、アエルマッキ(ハーレー・ダビッドソン)やモルビデリ、カワサキも強力なファクトリーチームを擁して数に勝るTZライダーたちを抑え、'74年以降タイトルを譲らなかった。
その間ヤマハ発動機は、TZ250の車体や足まわりを中心にさまざまな改良を加え、'81年にはYPVS装備の新型エンジンで大きく戦闘力をアップ。
また新人ライダーの登竜門・RDカップレース※を開催してライダー育成にも注力し、'82年、ジャン・ルイ・トルナードがヤマハ発動機にとって9年ぶりのチャンピオンを獲得。さらに'83年カルロス・ラバード、'84年クリスチャン・サロンがTZ250で3年連続の世界一に輝いた。
しかし、その栄光も束の間。'85年、ホンダがV型2気筒のファクトリーマシンRS250RWをフレディ・スペンサーに託して参戦。500ccと250ccの2クラス制覇を達成すると、ヤマハ発動機もYZR500ゆずりの技術を駆使したYZR250(0W82)で対抗し、'86年ラバードがタイトルを奪還。
その後'90年代にかけて、世界GP250はイタリアのアプリリアを巻き込んだ三つ巴のVツインバトルに発展していく。
※'81年にドイツで始まり、ヨーロッパ各国に広がったRD350LC/250LC(RZ350/250の海外モデル)によるワンメイクレース