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最大排気量・最速のロードレーサー

2009年 企画展 Vol. 1

2009企画展 Vol.1
頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since 1955・前期

フォーミュラ750の興亡を見届けた最大排気量・最速のロードレーサー
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ヨーロッパと肩を並べるモータースポーツ先進国・アメリカでは、1962年のTD-1(250cc)発売以来ヤマハ市販レーサーの人気が高く、ガリー・ニクソンなど数多くのライダーがAMA選手権で活躍した。しかし、もっとも人々の注目を集めたのは、伝統のデイトナ200マイルレースをはじめとする大排気量クラス。'67年から350ccのTR-2プロト(YZ608)でデイトナ200への挑戦を開始したヤマハ発動機は、初勝利('72年)をTR-3に乗るプライベーターのドン・エムデに譲ったものの、'73年、ヤーノ・サーリネンがファクトリー仕様のTZ350プロト(YZ634)で優勝し、750ccマシン相手にも負けない実力をアピールした。
ところがその間、FIMは新カテゴリーとして'73年からフォーミュラ750(F750)の導入を決定。デイトナ200もそれに準じた車両で行われることになり、ヤマハ発動機は新たな市販レーサーTZ750を開発。デビュー戦となった'74年のデイトナ200では、ファクトリー仕様のTZ750に乗るジャコモ・アゴスチーニとケニー・ロバーツが1-2フィニッシュ。翌'75年はYIC仕様のTZ750Rで出場したジーン・ロメロが優勝し、16位までTZ750系マシンのライダーが独占。その後も圧倒的な勢いで連勝記録を伸ばしていった。
一方、ヨーロッパのF750シリーズは、'77年から世界選手権へと発展。ここでもYZR750とTZ750が無敵の強さを誇ったが、より速いマシンに仕上げるコストや高速化によるリスクの増大が参加台数の減少を招き、'79年で幕を下ろした。 しかしデイトナ200だけは、独自規定によって'84年までTZ750やYZR750の出場が認められ、ヤマハ車13連勝に貢献した。

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