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カタリナ、デイトナ、そして世界GP制覇

2009年 企画展 Vol. 1

2009企画展 Vol.1
頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since 1955・前期

カタリナ、デイトナ、そして世界GP制覇。ヤマハチームの躍進を支えたマシンたち
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1958年カタリナGPで始まったヤマハ発動機の海外レース挑戦は、'61年からの世界GP進出によって本格化。はからずも'68年を最後にいったん活動休止したが、それまでの11年間は長足の進歩と数多くの成果をもたらす極めて濃密なものだった。
そのひとつがファクトリーマシンの進化である。カタリナで伊藤史朗が走らせたのは第2回浅間のYDレーサーをスクランブラー仕様に改造したものだったが、世界GP参戦に備えてすべてを一新。RD48(250cc)、RA41(125cc)というロータリーディスクバルブ吸気の2ストロークエンジンを搭載するマシンで4ストローク主流のGPに挑んだ。
RD56は、RD48の発展モデル。伊藤のライディングで第1回全日本ロードレースに初登場し、翌'63年デイトナUS-GPで海外レース初優勝を果たすと、世界GPシリーズでも初優勝(ベルギーGP)を達成。さらに'64年・'65年、フィル・リードとともに初めて世界GP250チャンピオンを獲得した。その後、250ccマシンはV型4気筒のRD05(空冷/水冷)、RD05A(水冷)へと進化。ライダー、メーカーそれぞれ3度目のタイトルに貢献している。
一方125ccマシンは、単気筒のRA41からRA75、並列2気筒のRA97までなかなか勝利に恵まれなかったが、'65年、水冷化したRA97に乗るリードがマン島TTを初制覇。続く'66年には年間4勝を挙げたビル・アイビーがランキング2位となり、'67年、水冷・V4のRA31で待望のチャンピオンを獲得。さらに翌年は、リードがRA31Aで同クラスを制した。


※大規模なローカルレースのひとつ

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