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進化する独創技術 1980年~1984年

2003年 企画展 Vol. 3

2003 企画展 Vol.3
WGP500最高峰への挑戦
WGP500 最高峰への挑戦  YZR500 30年の進化

進化する独創技術

モノクロス・サスペンション、パワーバルブシステム、アルミデルタボックスフレームそしてV4エンジンレイアウト・・・・既成の概念を超越した発想から生まれた独創技術のかずかずが、試行錯誤の中で確実に完成度を高めていく。

1980~1984年 年表
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1982 YZR500[OW61]
500ccGPマシン初のV型4気筒
'77年のOW35から'81年のOW53まで5年間、6代にわたり並列4気筒・ピストンバルブエンジンでの熟成を重ねてきた『YZR500』は、'81年のOW54、'82年のOW60と2代のロータリーディスクバルブ吸気・スクエア型4気筒エンジンを経て'82年の第2戦・オーストリアGPから2ストローク500ccマシンとしてはGP史上初のV型4気筒エンジンを搭載したOW61へと発展した。吸気方式もVバンク内にキャブレターをセットした独創の背面ロータリーディスクバルブを採用。後のGP500におけるV4主流の先駆となったモデルであり、車体下に進行方向横向きに配した独創的なリア・サスペンション、アンダーループが廃止され後のデルタボックスフレームの萌芽を示すフレーム構成も特徴であった。


1983 YZR500[OW70]
ケニー・ロバーツ選手乗車マシン
アルミ・デルタボックスフレームを初採用
V型4気筒の2代目モデル。アルミ製デルタボックスフレームやフロントの17インチ設計を初めて採用したマシンでもある。'83年はこのOW70を駆るK.ロバーツ選手と、ホンダV型3気筒NS500を駆るフレディ・スペンサー選手(USA)が最終戦まで熾烈なチャンピオン争いを展開し、年間144ポイントを獲得したF.スペンサー選手が、わずか2ポイント差でライダーチャンピオンを獲得した。


1984 YZR500[OW76]
平忠彦選手乗車マシン
ロータリーディスクバルブからクランク室リードバルブ吸気へ
始動性の改善のためにそれまでのロータリーディスクバルブからクランク室リードバルブへ吸気方式が急遽変更された。また素材技術の進歩によって樹脂製リードバルブがロータリーディスクバルブ同等以上の出力を絞り出すことが可能になったことも変更理由であった。アッパークランクケース部にリード室が設けられている。WGP参戦2年目でこの年からヤマハワークスのエースとなったE .ローソン選手は、開幕戦の南アフリカGPで初優勝するなど全4勝を上げて、初のチャンピオンを獲得した。
また全日本V2中の平忠彦選手が、WGPにスポット参戦、オランダ、ベルギーと2GP連続で6位入賞を果たした。


1982 HONDA NS500
フレディ・スペンサー選手乗車マシン
(展示協力:ホンダコレクションホール)
1967年以来モーターサイクルレースから撤退していたホンダは、10年間の空白を経て1978年WGP500ccクラスへの復帰を果たした。当時主流をなしていた2ストロークマシンに対してあえて4ストロークマシンによる挑戦であった。4年に渡ったこの試みの後'82年から2ストロークに変更、水冷2ストロークV型3気筒・ピストンリードバルブエンジンを搭載した『NS500』である。翌'83年には、この『NS500』を駆るフレディ・スペンサー選手(USA)と『YZR500』OW70のK.ロバーツ選手が、ともに年間優勝回数6回、2位3回、ポールポジションも6回ずつという「歴史的」なデットヒートを演じ、F・スペンサー選手がホンダにWGP500クラス初のライダーチャンピオンとメーカーチャンピオンをもたらした。
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