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普及期 1991年~1998年

2002年 企画展 Vol. 5

2002 企画展 Vol.5
パリ・ダカールへの挑戦  ~ 20年間の軌跡展 ~

普及期 1991年~1998年
1991年『YZE750T Super Tenere』によるヤマハ ワン・ツー・スリーフィニッシュを経て活動は、ふたたびプロダクションマシン中心となった。
20年近くにわたって積重ね、伝承してきた技術成果を集大成したコンペティションモデル『XTZ850TRX』の提供によってパリ・ダカールラリーのエキサイティングな世界はより多くの人々の楽しめるものとなった。
それは「ヒューマシン(人機一体)技術による、エキサイティングな世界の創造」というヤマハブランド精神の具現化の第一歩でもあった。

 


1991年 YZE750T Super Tenere(OW C5)
前年のデビューレースで2位入賞を果たした2気筒モデル「YZE750T Super Tenere」、91年には低中速性能のアップやアフリカの低質ガソリンにあわせた耐久性の向上などで戦闘力をさらに高め、ソノートチームとイタリアチームあわせて大挙8台がエントリー。みごとな1、2、3フィニッシュでヤマハに10年ぶりのタイトルをもたらした。またステファン・ピーターハンセル選手が挑戦4回目にして初優勝、以後個人優勝6回の最多優勝記録の口火を切った。

● Engine type:Liquid-cooled 4-stroke DOHC 5-valve paralleltwin-cylinder 802.5cc
● Fueltank capacity: 64L(main38L+rear26L)●Weight:194kg

パリ・ダカマシンは、ともかく経験してみないとわからないことが多い。キャブレターのジェットニードルの針が振動ですぐに磨耗してしまう。この針はアルミの針にアルマイト処理をしたものだが、何度も何度もアルマイトを厚くしていってやっと対応した。エアクリーナーもボックスが上でエレメントを下から入れるのだが、これもこうしないと砂を噛んでしまうということを経験から掴んでいたからだ。
(MS開発部 性能開発担当 田村建寿)


1992年 YZE750T Super Tenere(OW D8)
第14回にあたるこの年は、フランス・ルーアンからシルトを経由してルカップ(ケープタウン)まで総走行距離12,500kmにおよぶ初のアフリカ縦断レースとなった。2気筒「Super Tenere」も3年目を迎え排気量を850ccにアップ、初の超ロングラリーにあわせて入念なファクトリーチューンが施された。この大会はピーターハンセル選手の2連覇に終わったが、この「YZE750T Super Tenere」が、モータースポーツ開発部が担当した最後のパリ・ダカールマシンとなった。

● Engine type:Liquid-cooled 4-stroke DOHC 5-valve paralleltwin-cylinder 849cc
● Fueltank capacity: 67L(main42L+rear25L)●Weight:189kg

 

1995年 XTZ850R
1994年のレギュレーション変更のためヤマハファクトリーは1年間活動を休止。翌95年から「一般市場で15台以上市販されているマシン」という新規定にあわせて開発したモデル。1991年に発売されたロードスポーツ「TDM850」の水冷、DOHC、5バルブ、850ccエンジンを採用してヤマハモーターフランスで製作された。市販モデルとはいえワークスレベルのポテンシャルを備えたモデルで、プライベーター達に大きな可能性を与えることとなった。

● Engine type:Liquid-cooled 4-stroke DOHC 5-valve paralleltwin-cylinder849cc
● Fueltank capacity: 53L ●Weight: 210kg

「XTZ850TRX」は、この後ファクトリーでマシン製作を行っている。エンジンのマウント数を増やしたり、車体も砂漠でのスネーキングを減らすために剛性を高めている。単気筒の時代にくらべると相当剛性は上がっていると思います。フレームに人間の体重をブラスして行う落下実験テストなども実施していました。
(MS開発部 性能開発担当 田村建寿)
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