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世界最高峰のヨットレース「アメリカズカップ・ヨットレース」への挑戦

2001年 企画展 Vol. 4

2001 企画展 Vol.4
第2回ヤマハチャレンジ展

闘う「トップレベル」への挑戦


世界最高峰のヨットレース「アメリカズカップ・ヨットレース」への挑戦

浦賀に黒船が来航して日本中が大騒ぎとなった1851年、イギリスで開かれた第1回万国博覧会の記念イベントであるワイト島一周ヨットレースで、海洋王国イギリスが新興国のアメリカに大差で敗れ、高さ68.5cm・重さ3.8kgの優勝杯「銀の水差し」を持ち去られました。その優勝杯の奪還をめざして1870年より開始されたのがアメリカズカップ・ヨットレース。以来、4年に1回の開催を基本としたこのレースには、イギリスとアメリカだけでなく世界に名立たる海洋国が参戦し、まさに国対国の威信を掛けたヨット建造技術とセイリングタクティクスの闘いが繰り広げられています。
日本も1992年の第28回大会に初挑戦していますが、続く第29回大会と2回にわたる挑戦のレース艇建造をヤマハ発動機が担当し、CFDによる流体解析、FEMによる構造解析及びVPP(速度予測プログラム)による性能分析をベースにした船型、キール、ラダー等を設計していきました。そしてノーメックスハニカム芯材を使ったカーボン・プリプレグ艇の建造技術など、最先端の画期的技術を駆使したニッポン艇で、準決勝まで駒を進め世界中のマリンスポーツファンの注目を集めたのです。




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