Imatranajo 2010
フィンランド・イマトラ市の公道サーキットで開催
コミュニケーションプラザ館長:伊藤太一
左からYCRT代表のF・ブラウワー、ゲストライダーのD・ブラウンとS・ベイカー、R・ゴールド、P・コーホネン、オーガナイザーのS・バックマン
ライダーを大勢の観客が取り囲み、世界GPさながらの熱気を見せるパドック
2年前、このコーナーでベルギーの「バイカーズクラシックス 2008」というクラシックレースイベントをご紹介しましたが、今度は7月24日・25日、フィンランドで開催された「イマトラナヨ(Imatranajo)2010」に行ってきました。
会場は、ロシアとの国境に近いイマトラ市。1953年に初めてTTレースが開催され、'64年から'82年までは二輪ロードレース世界選手権・フィンランドGPの舞台となった街です。当時のサーキットは市郊外の一般道路を一部閉鎖して作られ、森と湖に囲まれた美しい風景と、貨物鉄道の踏切をジャンプして疾走するマシンの姿がフィンランドGPの名物になっていました。
イマトラナヨは、そうした歴史と伝統を後世に残そうと企画されたイベント。実際にGPで使用された公道サーキットがそのまま再現され、趣旨に賛同したさまざまな団体や個人が自慢のオールドレーサーを持ち込み、模擬レースやデモ走行を披露するというものです。それらの内容は、バイカーズクラシックスなどほかのクラシックレースイベントとあまり変わりませんが、参加者や観客はコース付近に点在するホテルや湖畔に設けられたテントサイトに宿泊し、市周辺の観光もたっぷり満喫できるということで、フィンランド国内はもちろん、ロシアやバルト海沿岸の各国からモータスポーツファンや観光客が集まる一大イベントとして定着。今回も市の人口(約3万人)が2倍に増えたと言われるほどの賑わいを見せました。
サーリネンがライディングしたマシン。左が'72年GP250でチャンピオンを獲得したヤマハTD-3改、右はPUCH(プフ)の'67年型125ccモデル
ヤマハに移籍しGP500チャンピオンとなった'75年も、アゴスチーニはイマトラで同クラス優勝を飾っている
フィンランドという国はもともと各種のレースイベントが盛んで、四輪F1のケケ・ロズベルグやミカ・ハッキネン、ラリーのユハ・カンクネン、トミ・マキネンなど有名なレーシングドライバーを輩出していますが、二輪ロードレースでいえば、やはりヤーノ・サーリネンがNO.1でしょう。1960年代後半、アイスレースを経て二輪ロードレースに転向した彼は、'70年代に入ってヤマハのサポートを受け、'72年世界GP250チャンピオンを獲得。翌'73年にはヤマハファクトリーライダーとしてGP500、GP250に参戦。惜しくも第4戦・イタリアGP開催中に事故で亡くなりましたが、開幕戦から天才的な速さを見せつけ、首都ヘルシンキのスポーツ博物館にはサーリネンの展示コーナーが設けられるほど、深くフィンランド国民に愛されています。
こうしたつながりもあって、ヤマハ発動機グループは今回、スポンサーとして協力。現地ディストリビューターがスポーツ博物館からサーリネンのマシン(TD-3改)を借り出して展示したほか、「ヤマハクラシックレーシングチーム(YCRT)」がコミュニケーションプラザ所蔵の1975年型YZR500(0W23)や自ら所有する歴代レーサーを20台以上持ち込んで展示・走行させました。
また、クラシックレースに欠かせないゲストが、往年の名ライダーたち。ヤマハのマシンで世界チャンピオンを獲得したロドニー・ゴールドやディーター・ブラウン、スティーブ・ベイカー、ホンダのジム・レッドマン、ルイジ・タベリ、スズキのジャンフランコ・ボネーラなどがパドックやコース上で元気な姿を披露し、観客を喜ばせました。
なかでも一番人気は、やはりジャコモ・アゴスチーニ。GP最多122勝のうち、イマトラで500cc・10勝、350cc・7勝を上げた彼は、フィンランドの人たちにとっても当時から特別な存在だったのでしょう。今回は、ヤマハに初のGPチャンピオンをもたらしたYZR500(0W23)のほか、イマトラでもっとも馴染み深いMVアグスタ500-3のライディングも依頼され、それぞれ専用のツナギとヘルメットに着替えて走行。ひときわ熱い視線を浴びていました。
同じクラシックレースとはいえ、国によってサーキットによってさまざまな個性があり、その楽しみ方もいろいろです。これがもし日本で開催されるとしたら、どんな雰囲気のイベントになるだろう? 日本らしさってなんだろう? と考えさせられる旅でした。
2010年9月掲載