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GX750 開発者インタビュー

展示コレクションの関連情報

目標や理想を高く掲げて、ヤマハにしかできないものを作る

PROFILE

中野正俊氏(なかの・まさとし)
GX750開発初期の車体設計チーフ
田村修氏(たむら・おさむ)
GX750のエンジン設計チーフ
吉田滋氏(よしだ・しげる)
GX750の走行実験担当

田村:GX750は、四輪エンジンから二輪に移ってきて初めて設計を担当したモデル。しかも生産が終わるまで、6年間も付き合ったのはGX750だけ。そういう意味で、苦労はしたけれど、一番愛着がある、思い出深いバイクですね。

吉田:確かに苦労した。3気筒エンジン、シャフトドライブ、キャストホイール(海外向けXS750)など新しいモノ、難しいモノをいっぱい詰め込んだバイクですから、開発の段階で課題が多く、本当に大変でしたね。



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中野:そうそう、よくやったと思うよ。当時、TX750に代わるヤマハの新しいフラッグシップとして、他社にはないものを作ろうとした。要するに差別化ですよね。

田村:より良いもの作るために必要なこと(仕様)は、何でも織り込もうという勢いがありました。

中野:僕は開発がスタートした当初の状況をよく知らなかったので、「そうか3気筒なのか……」「シャフトドライブ?」「トリプルディスクもつけるの?」って単純に思っていました(笑)。だけど、疑心暗鬼にはなりましたよ。3気筒エンジンにしてもシャフトドライブにしてもまったくノウハウがなく、本当に差別化になるのかってね。

吉田:そう、ほかにない特徴を持っていても、きちんと性能が出て、ちゃんと走るものでないと意味がない。しかし、ヤマハモーターサイクルのフラッグシップですからね。他社に負けないバイクというより、とにかく目標、理想を高く掲げて、ヤマハにしかできない発想で最高の性能、品質のバイクを作ろうとしたんです。

田村:参考にするために他社のバイクもいろいろ調べました。とにかく何かヒントになりそうなことを探そうと一生懸命でした。

吉田:なにしろ、すべてがイチからの立ち上がりでしたからね。エンジンひとつとっても、4ストロークはXS-1から始まってTX750、TX500に続いて4回目ですが、3気筒は初めて。ほとんどノウハウや技術の面で引き継げるものがなかった。

田村:だから、4気筒でやりたいという声が根強かった。性能や振動の面では、3気筒が不利なこともわかっていましたからね。それに四輪エンジンの感覚からすると、二輪の要求性能は高かったですね。

吉田:シャフトドライブを使うから、どうしても車重が重くなる。これを加味して初期型は60馬力としたんです。

田村:翌年のモデルチェンジでは口径の大きいキャブレターを使ったり、燃焼室形状を変えたりして、ピーク回転を500回転上げ、67馬力まで出しました。

吉田:その時、サイレンサーも1本から2本に変えたんです。

中野:当初のデザインでは、1本から3本まで全部試したんですよ。だけど、最終的に一番格好がいい1本になった。それが2本に変わったのは、排気特性などのほか、1本では重量が右に偏るとか、バンクしたときに接地しやすいということも理由だった。

田村:実はその時トライした方法で、真ん中の1気筒分を2本に分けて左右のサイレンサーにつなぐスタイルがあった。ドキドキするようなすばらしい音が出たんですが、当時は二重管をうまく分岐する技術がなくて、生産車として採用できなかったのが残念でした。

吉田:そういうトライ&エラーは当時いっぱいありましたね。特にこのGX750は、初めての要素ばかりで、思いついたことは何でも試してベストな方法を探し出す。その繰り返しでした。

中野:振動対策がその最たるものですよ。フレームはXS-1よりはるかに軽くて、操縦性も安定性もすべて最初からOKだったのに、振動対策のため、ギリギリまで試行錯誤が続いたんです。エンジンからタンク、シート、ハンドルまであっちこっちラバーで浮かせて、それでもダメで、田村さんに「一次慣性って消せないの?」って相談したら、「ダメです」って一言(笑)。

田村:ひとつだけ方法がないこともない。気筒間の位相を120度ではなく、180度にすることで一次慣性偶力は消せますが、爆発が不均等になる。試作品も作りましたが、評価はよくなかったですね。

吉田:乗ると音が変だし、回転の感触や鼓動の感覚も変なんですよ。

中野:そうそう、なんだか乗っていて気持ちよくないし、おもしろくない。

吉田:ヤマハ発動機が作る以上、それじゃダメなんです。


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中野:最終的に、振動はエンジンのマウント方式で解決しました。

吉田:確かに苦労をいっぱいしたけれど、その甲斐はあったね。4気筒や2気筒じゃ出せない、狙いどおりの鼓動感が達成できたと思いますよ。だからこそ、XSスペシャルのようなアメリカンタイプにも使われて、海外市場でも支持されたんです。

田村:吉田さんは、発売当時、アメリカへ行きましたよね?

吉田:はい。1976年3月、アメリカ大陸横断テストのために、生産試作車5台を持って渡米しました。現地スタッフと一緒に10,000kmの走行テストを行ない、その途中でデイトナレースに集まった10万人あまりの観客の前で走ってお披露目をしました。アメリカのスタッフも、初めての3気筒・750ccモデルがどんなものか不安だったでしょうが、これをやり遂げたおかげで自信を持って販売できたと思いますよ。3気筒と4気筒、シャフトドライブとチェーンドライブは、それぞれに良さがあって、どっちが上とかそういうことじゃない。我々は、GX750でその持ち味を最高のレベルで引き出すことができたと自負しています。

※このページのプロフィール、および記事内容は、2004年4月の取材によるものです。
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