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「殻を破る。欧州・世界選手権で生き抜くために!」岡本裕生選手インタビュー

レースに関連する広報発表資料をご覧いただけます。

2026年6月18日

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 2024年、中須賀克行選手との戦いの末、JSB1000のチャンピオンを獲得し欧州へと旅立った岡本裕生選手は今年、スーパースポーツ世界選手権への参戦2年目を迎えました。デビューとなった2025年シーズンは怪我などの影響とともに、欧州という異文化の中で、競技環境をはじめ、練習・トレーニングを含めた生活環境もガラリと変わったこともあり、ランキングは30位でシーズンを終えることとなりました。そして2026年シーズン、前半戦の只中にあった岡本選手に、異国の地で戦った昨年を振り返ってもらいながら、見えた課題に対しての変化や新しい試みについてお話を伺いました。



 話は、中須賀選手とJSB1000のタイトルを争った2024年シーズンから始まりました。「本当に正直に話すと、スーパースポーツ参戦のオファーをいただいた当初、新しくYZF-R9が出るタイミングで、自分の中でも乗ってみたい気持ちもありましたが、自分はJSB1000でしっかり戦えていた実感もあったし、600のクラスが得意ではなかったので、ヤマハさんにはスーパーバイクに行きたいという話をしていました」と当時抱いていた本心を教えてくれました。



 ところが、JSB1000のタイトルを獲得したわずか数日後の2024年11月6日には、スーパースポーツへのフル参戦がアナウンスされます。決断の理由は、「航汰くん(野左根選手)ですらスーパーバイクに挑戦したときに苦戦していました。初めてのタイヤ、初めてのサーキット… あらゆるものが初めてという環境でレースするのはすごい大変なことなんだっていうのはわかっていたので、自分はスーパースポーツをしっかり経験して、そこでサーキットを覚えながら結果を出してスーパーバイクに行くのが、一番自分がやらなきゃいけないことなんだろうなって考えて決断したんです」



 さらに、「11月にクレモナサーキット(イタリア)でR9に乗らせてもらいましたが、思っていたよりもスーパースポーツとして完成された印象でした。車両もカッチリしていて、パワーもあって本当にレーシーで、自分が思っていたよりもR1に乗っていた時の技術とか経験を活かせる車両なんだと思ったんです」と、YZF-R9のパフォーマンスが岡本選手のモチベーションを押し上げていったのです。



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 そのスーパースポーツの1年目、「2016〜2024年まで全日本で走ってきて、全日本でやってきたことが100%全部、海外で通用すると思っていたんです。でも、サーキットの作り方が違うし、タイヤもまったく違う。やっぱり接地しているところがすべてなので、タイヤが変わると何もかも変わってしまうんです。今までブリヂストンでのブレーキングが強かったからといって、それをそのままやっても一切通用しない。さらにバイクも言語もまったく違うし、本当に一つも共通点がありませんでした」



 こうした環境の変化に対して岡本選手はその変化を受け入れることができず、また全日本で学んだことを全部出そうというマインドを捨て切ることができず、「全日本の殻に閉じこもってしまった」と言います。その結果、「何も得られなかったし、何もなせなかったなっていうのが実感です。中須賀さんとたくさん過ごしてきて、例えばブレーキングの強さだったり、レースウィークの過ごし方だったり、学んできたことを生かせたところもありました。でも環境に合わせて自分を変えるべきだったのに、全日本で過ごしてきた生き物なので、簡単に変えることができなかったんです」



 こうして心に決めたのが、「自分の殻に閉じこもらないこと」でした。そして岡本選手は現場で小さな変化を積み重ねていきます。「チームの雰囲気作りとか、日本ではチームのみんなが頼まなくてもいろいろなことをやってくれるんです。全日本のファクトリーは、何もかもが完璧でした」と、過去を懐かしみながら、「でも海外は意思表示をしないと何もやってくれないので、今は自分から歩み寄ってコミュニケーションをとってチームの雰囲気づくりからやっています。英語がうまく喋れないからといって待っていては、何もうまくいかないっていうか、もう何もかも日本とは違うマインドでレースをしています。まだ正解かはわかりませんが、今シーズンはチームの雰囲気が変わり、スタッフから歩み寄ってくれることが多くなって、団結力みたいなものが生まれはじめています」



 もう一つ、マインドの変化についても触れてくれました。「割とどんな状況になっても動じなくなりました。例えばフリープラクティスをトラブルでほとんど走れなかったとします。昔の自分だったら、ただでさえ経験がないのに“やばい”って思い込んでたと思うんですけど、いろんな出来事に対して“自分はできる、予選で取り戻せる”みたいに、ポジティブに捉えられるようになりました」



 まだまだ改善事例が出てきます。「昨年はマンジ選手が勝っていたことで、シーズンの途中からR9の総重量(ライダー込み)が上がってしまいました。マンジ選手は体重があるので1キロも積んでないのに、僕はマシンに7〜8キロのウエイト積んでたんです。でもバイクよりも自分の体重が多い方がバイクも軽いし、自分が操れる力がついて絶対にいいので、昨年の途中からウエイトトレーニングで筋肉量を上げながら体重を増やしました。スーパースポーツに出場が決まった時に3キロぐらい体重を落としたんですが、今はそこからプラス10キロぐらい、JSBの時よりも体重は増えています」と、肉体的にも変化を加えています。



 こうしたいろいろなトライが成績にも少しずつ現れはじめています。昨年のオランダ大会のレース2ではトップから約30秒差でしたが、今年のオランダ大会のレース1は結果こそ19位でしたが、2回のミスがあり2秒程度のロスがあった中でトップと12秒差と大きく改善。20秒弱速くなっているのです。



 「自分はちゃんと改善できているし、オランダは自信を取り戻せたレースになりました。自分はしっかりとした体制、環境があれば結果を残せるライダーなんだっていうのを改めて再確認し、まだまだやれるって思えたんです。もちろん、経験も足りないし、技術も足りない。全日本よりラウンド数が多いので、ウィークに向けて身体を仕上げるみたいな感じじゃなく、もう常にウィークみたいな感覚があって時間も足りないんです。だから練習するときは絶対にピレリを使うようにして余計なことはしないし、1日1日を大事にするようにしています」と自分に言い聞かせるように語ります。そしてこのインタビュー後に行われた第5戦チェコ大会では今季最高の13位としてポイントを獲得し、自信を結果につなげつつあります。



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 そして、現状の課題についても明確です。「自分は序盤の位置取りや混戦を抜け出すことが苦手ということもあり、予選の順位をまずしっかりと上位に持っていくことが必要です。予選の順位を上げるためにも、フリーから1周たりとも無駄にしない、1周1周をめちゃめちゃ大事に走るようになりました」。日本のサーキットは三桁という周回数の実績があり、ウィークに向けては事前テストもあるため、十分に準備を整えてレースに臨むことができます。一方、スーパースポーツはフリーが1回のみ40分で15周(※スーパーバイクのフリーは3回)、予選の40分を含めると30周程度でレースを迎えるため、岡本選手は日本式のスケジュール感から脱却するため、各セッションに臨む姿勢を変えているのです。



 6月を迎えスーパースポーツもシーズン後半戦に入るにあたり、岡本選手に目標を伺いました。「自分の中で決めているのは、絶対にトップ10以内にいることですかね。レースだけじゃなくてフリープラクティスから全部です。もう一歩一歩着実にとか言ってる状態ではありませんが、ただその中でも焦らずに、最低限やり遂げなきゃいけないことだと思っています。これをやり続けることで次のステージが見えてくる」と、力強い言葉を残してくれました。



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 最後、話は再び2024年に戻ります。全日本の最終戦が終わった直後のミーティングのことでした。中須賀選手がチャンピオンを取った岡本選手に、「これで満足するなよ。お前はこっからがスタートなんだから。頑張れよ!」と声をかけ、その背中を押していたのです。



 「本当にすごい人で、子どもの頃、部屋にポスターを飾るくらい憧れの存在でした。その人とチームメイトになって、いろんなことを教えてもらいながら、中須賀さんがいる時代に一緒にレースができて心から良かったと思うし、中須賀さんがいてくれたからこそ全日本でチャンピオンを取れたと思います」



 そして、二人のやりとりは今でも続いているそうです。「レース前に絶対メッセージを送ってきてくれるんですよ。“今回は難しそうなサーキットだけど落ち着いていけよ”みたいな。軽い感じのメッセージが届くんです。それでメンタル的に落ち着きますし、毎回めちゃめちゃ感謝しています」と笑顔が弾けます。



 岡本選手には、中須賀選手をはじめ、多くの人々からたくさんのエールが送られています。これらも力に変えながら、目の前に立ちはだかる世界の壁を超えるため、自身がまとっていた殻を破った岡本選手。シーズン後半の戦いにぜひご注目ください。



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