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多くの人に支えられた勝利 オートポリスのコントロールラインをトップで駆け抜けた中須賀克行は、クールダウンラップの最中、父の顔を思い浮かべていたという。子供の頃からメカニックとして中須賀のレース活動を支えていた父は、2年前に他界している。2004年、GP250クラスで全日本初優勝を果たしたのも、ここオートポリスだった。その頃から体調を崩していた父。いろいろな思いが駆け巡った。
すでに勝者にふさわしいだけの実力は十分に身に付けていた。昨年の第6戦岡山ではトップを独走しながら残り5周で転倒。再スタートしたもののピットに戻り、リタイヤした。この時優勝した伊藤真一も、「あのままのペースで走られては追いつかなかった」と、若きライバル中須賀の速さを素直に認めている。
「レースを終えた翌日から、初優勝の余韻にひたっている余裕はありませんでしたよ」、と中須賀は苦笑いする。すぐにテストが続き、鈴鹿300km耐久レース、そして8耐が待っている。日程的な慌ただしさだけではない。中須賀はオートポリスでの優勝を、ただの過程だと思っている。
マシンに関しては、タイヤが消耗してからいかに高い平均速度を保つかなど、課題が残されている。中須賀自身も、レース前の集中の仕方からライディングそのものまで、試行錯誤を繰り返している最中だ。マシンも人も、まだまだ伸びしろがある証だ。
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