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トピックス:中須賀 克行

全力のチャレンジャー 2007年6月25日

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多くの人に支えられた勝利


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 オートポリスのコントロールラインをトップで駆け抜けた中須賀克行は、クールダウンラップの最中、父の顔を思い浮かべていたという。子供の頃からメカニックとして中須賀のレース活動を支えていた父は、2年前に他界している。2004年、GP250クラスで全日本初優勝を果たしたのも、ここオートポリスだった。その頃から体調を崩していた父。いろいろな思いが駆け巡った。
 マシンを止めると、中須賀は吉川和多留と真っ先に握手をかわした。
 「最高の兄貴分なんですよ。いろいろとアドバイスをもらいました。和多留さんがいなければ優勝もありませんでした」。
 もちろん中須賀のレースを支えているのは、吉川だけではない。チームスタッフや関係者に対する感謝の言葉が、表彰台の頂点に立つ中須賀の口から自然に流れ出た。全レースが終了し、夕闇が迫るオートポリスのパドックには、たくさんの人々と握手と抱擁をかわす中須賀の姿があった。 「ほっとした、というのが本音ですね。その前から、勝てそうで勝てないレースが続きましたから。オートポリスでの優勝で、やっと『今までやってきたことが間違ってなかったんだな』と確信できました」。

試練の連続にも揺るがなかった自信


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 すでに勝者にふさわしいだけの実力は十分に身に付けていた。昨年の第6戦岡山ではトップを独走しながら残り5周で転倒。再スタートしたもののピットに戻り、リタイヤした。この時優勝した伊藤真一も、「あのままのペースで走られては追いつかなかった」と、若きライバル中須賀の速さを素直に認めている。
 今シーズンは中須賀に試練が待ち受けていた。コースレイアウトが中須賀のライディングスタイルには合わないとされるツインリングもてぎで行われた開幕戦では、決勝6位につけたが、「ヤマハ勢の中ではトップになれたけど…、僕は6位になるためにレースをしているわけじゃないですからね」。
 続く第2戦鈴鹿では、トップを独走しながら不運なマシントラブルによりリタイヤを喫した。昨年の岡山での悪夢が蘇る。
 「『どうすればいいんだろう』って考えこんじゃいました」。
 その焦りを、そのまま第3戦筑波に持ち込んでしまった。予選で転倒して負傷し、決勝のスターティンググリッドに並ぶことができなかったのだ。
 だが、中須賀は「オレは乗れている」という自信を失わなかった。実際、各大会の走行セッションごとに、中須賀の名前がモニターのトップに踊ることはもはや珍しいことではなくなっていた。
 「今の自分なら絶対にいける」。オートポリスのレースウィークは自分を信じて冷静に組み立て、優勝を引き寄せた。

ハングリーに「上」を狙い続ける


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 「レースを終えた翌日から、初優勝の余韻にひたっている余裕はありませんでしたよ」、と中須賀は苦笑いする。すぐにテストが続き、鈴鹿300km耐久レース、そして8耐が待っている。日程的な慌ただしさだけではない。中須賀はオートポリスでの優勝を、ただの過程だと思っている。
 「たくさんの方たちに『おめでとう』と声をかけていただいて、それはすごくうれしいんですが、僕にとっては途中経過なんです」。
 「1勝しても何も変わらない」と中須賀はいう。「実際、オートポリスの後に行われた鈴鹿300kmの走行前は『もしかしてタイムが出せなかったらどうしよう』なんてドキドキしましたしね」と笑う。
 「そうやって常に全力を尽くさないと、前には絶対に行けないと思うから」。
 中須賀の視野には全日本の王座が入っている。しかし彼は、さらにその先を見ているのだ。目標はあくまでも世界の舞台で戦うこと。目標の高さを知っているからこそ、「ここで満足してはいけない」とささやく自分がいる。
 「レースをしていれば誰だって同じだと思うけど、やっぱり全日本でチャンピオンを獲って海の向こうに行きたいんですよ。1勝できたことはうれしいけど、今の自分のレベルではまだまだ世界は遠い。安定した速さを手に入れないと」。

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 マシンに関しては、タイヤが消耗してからいかに高い平均速度を保つかなど、課題が残されている。中須賀自身も、レース前の集中の仕方からライディングそのものまで、試行錯誤を繰り返している最中だ。マシンも人も、まだまだ伸びしろがある証だ。
 「今まで通りガツガツ行きますよ。だって僕はチャレンジャーですから」
 勝利におぼれることなく、さらなる高みをめざす。


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