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MotoGPシーズンレビュー

MotoGPの2011年シーズンをご紹介します。

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MotoGP

ヤマハWGP参戦50周年に華を添える活躍
ロレンソがランキング2位を獲得!

2011年、ヤマハはロードレース世界選手権50周年という節目の年を迎えた。世界の頂点を目指す戦いを開始した1961年は、まったく手探りの状態で文字通りゼロからの挑戦だったが、そこから50年を経た今年は、ライダー、コンストラクター、チームの三冠を制覇したディフェンディングチャンピオンとしてシーズンのスターティンググリッドについた。現行800ccレギュレーションが最後となった2011年シーズン、ヤマハ・ファクトリー・レーシングにはホルヘ・ロレンソとベン・スピース、モンスター・ヤマハ・テック3はコーリン・エドワーズとカル・クラッチローという計4選手の陣容で挑んだ波瀾の全18戦を、ライダーとマシンパフォーマンス双方の視点から振り返る。


3度の優勝を含む10度の表彰台を獲得しヤマハ最上位のランキング2位となったロレンソ

「がんばろう日本」を合言葉に踏み出した50年目の挑戦

 2011年の開幕戦カタールGPは、ヤマハのMotoGP活動に関わる選手やスタッフはもちろん、パドックに籍をおく全関係者、そして世界のありとあらゆる人々が同じ願いと祈りを胸に抱いて臨むレースになった。
 今季開幕時の日程は、3月13・14日の両日にカタールのドーハ郊外にあるロサイルサーキットで最終合同テストを行い、翌週18日から同地で開幕戦が行われるスケジュールになっていた。ヤマハ陣営の選手と関係者もこのテストに日程を合わせて中東の地へ向かったが、その最中の3月11日に東日本大震災が発生。あまりにも突然起こった目を覆う大惨事に、テストを直前に控えた中東のパドックには動揺が走った。被害状況が刻々と明らかになり凄まじい大災害の真相が国際映像で伝えられるなか、選手とチームはレース活動を通じて日本の人々を支援しようと決意。2011年仕様のYZR-M1には、「がんばろう日本」「with you Japan」のメッセージが大きく記され、ヤマハ陣営の4選手は、自分たちの走りを通じて勇気と希望のメッセージを日本へ届けるべく、渾身の走りでレースに臨んだ。
 ディフェンディングチャンピオンのホルヘ・ロレンソはフロントロー3番グリッドから序盤にレースをリードし、最後まで熾烈な順位争いを繰り広げて最後は2位でチェッカー。チームメイトのベン・スピースは中段の激戦を制して6位でゴール。選手たちは全22周回の力強いライディングを通じて、自分たちの思いは日本の人々とともにあることを伝えた。
 2週間後に開催された第2戦から戦いの舞台は欧州へ移り、シーズンはいよいよ本格的な戦いの火ぶたを切る。第2戦スペインGPが行われるヘレスサーキットは毎年熱狂的なファンが押し寄せることで知られているが、今年も大勢の観客がイベリア半島最南端の地に詰めかけて大盛況のレースになった。ホームグランプリとなるロレンソは、惜しくもポールポジションを逃し、フロントロー3番グリッドからのスタート。決勝レースは雨に濡れたウエット路面が周回数とともに少しずつ乾いてくる難しいコンディションになったが、ロレンソは精妙なマシンコントロールでレースをリード。2年連続でヘレスのレースを制し、昨年同様にウイニングラップの後にコースサイドの池に飛び込むパフォーマンスを披露して大観衆と世界中のファンを大いに沸かせた。実はロレンソにとってウエットコンディションのレースで優勝するのは今回が初。「これまでのキャリアのなかで最も苦しかったレースのひとつ。今日はどうしても優勝したかったんだ。2月にマドリッドでスペイン国王と会ったとき、幸運をくださるとおっしゃったんだ。それが実現して、本当にうれしいよ!」と喜びを爆発させた。

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ロレンソ、スピースともに
表彰台頂点を獲得する高水準の中盤戦

 第3戦ポルトガルGPの舞台エストリルサーキットは、ロレンソがMotoGPクラス昇格以来3年連続でポールトゥフィニッシュを飾っている得意中の得意のコース。今季もポールポジションを獲得し、レースも終盤までトップを独走して、4年連続の完全制覇を達成するかにも見えたが、最後の3周でD・ペドロサに先行を許して惜しくも2位。優勝こそ逃したものの開幕以来の連続表彰台記録を更新した。
 第4戦フランスGPを経て第5戦カタルニアGPでは、今年からファクトリーチーム入りを果たしたスピースが3位表彰台を獲得する活躍を見せた。また、ロレンソもスピースに先行する2位でフィニッシュしており、ヤマハファクトリーが今季初のダブル表彰台を獲得する充実した内容のレースになった。
 続く第6戦シルバーストーンはイギリスらしい不安定な天候でウイークが推移し、決勝は朝から降り続く雨で路面が濡れそぼる難しいコンディションのレースになった。ロレンソとスピースは、ともに上位グループを構成する走りを続けていたが両選手とも雨に文字通り足もとをすくわれて転倒、残念ながらリタイアを喫した。ファクトリーの両選手が戦列を離れる一方で、ベテランのコーリン・エドワーズが巧みなレース戦略で上位へ浮上。前戦で骨折した鎖骨の負傷を感じさせない高水準の安定した走りで最終ラップまで駆け抜けて3位表彰台を獲得。2009年ドニントン(2位)に続き、雨のイギリスを見事な技術と経験で制した。
 第7戦オランダGPでは、スピースがついに表彰台の頂点に上り、器の大きな才能の確かさを満天下に知らしめた。オランダGPは毎年不安定なコンディションに悩まされることで有名だが、今年の決勝は雨にこそ見舞われなかったものの、真冬のような温度条件が選手とチームを苦しめた。そのような状況下で始まったレースで、スピースは序盤から一気に後続を突き放す走りを披露。周回ごとに2番手のC・ストーナー(ホンダ)との距離を開き続けて自在にレースをコントロール。最後は7秒の差を開いてチェッカーを受けた。
 「これまでのレースの中でも今日は一番気持ちよく乗れたと思ったら、優勝という結果がついてきた。素晴らしいマシンを仕上げるために大変な努力をしてくれたチームのおかげでこうして勝つことができたんだ。心から感謝している」と、スピース。走りさながらの落ち着いたコメントながらもやや上気した表情で一気に話す口ぶりに、初勝利を獲得した喜びがよくにじみ出ていた。
 2週連続開催の第8戦イタリアGPでは、昨年同様にロレンソが優勝。ヤマハファクトリー勢が2戦連続で優勝を達成するという機運のいい流れを作り出した。ロレンソは続く第9戦ドイツGPと第10戦アメリカGPでも連続して2位表彰台を獲得。スピースも、第8戦から第10戦は惜しくも表彰台を逃すものの、4位-5位-4位、と高い水準の安定したリザルトを残し続けた。

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タイトル防衛ではなく
チャレンジャーとして挑む後半戦

 サマーブレイクが開けた第11戦チェコGPから後半戦がスタートした。レース終了後には毎年恒例の事後テストも行われ、ロレンソとスピースはともに来年仕様の1000ccマシンを試した。両選手それぞれに好感触を掴み、来シーズンへ向けて順調な開発の手応えを実感する密度の濃いテストになった。
 第12戦インディアナポリスGPではホームグランプリのスピースが3位表彰台、第13戦サンマリノGPはロレンソが今季3勝目を達成し翌戦アラゴンGPでも3位表彰台と、ともに2011年型YZR-M1のポテンシャルをフルに発揮する走りで好成績を収めるが、シーズンも後半戦の山場を迎えるこの段階で、チャンピオンシップポイントはストーナーの284に対してロレンソ240、と後塵を拝しているのも否みようのない事実ではあった。シーズンはいよいよ欧州を離れて環太平洋を巡る遠征シリーズの最終4戦を残すのみ。4戦を残して44ポイント差を逆転するのは、今年のストーナーの安定した走りを見れば非常に難易度の高い目標であることは誰の目にも明らかだ。だが、ロレンソは「最後までチャンピオン獲得を諦めず、タイトル防衛という守りの姿勢ではなく、むしろ、チャンピオンシップを追いかけるチャレンジャーとして一戦一戦を大切に戦いながら果敢に攻め続ける」、と意気軒昂に士気を高めて最終4戦に臨んだ。

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次々と襲う悲劇を乗り越え
王座奪還を目指す

 第15戦日本GPは、いうまでもなくヤマハのホームグランプリとなる重要なレースだ。しかも今年は世界選手権参戦50周年という記念すべき年。ロレンソ、スピース、エドワーズ、クラッチロー、そして彼らを支える全チームスタッフが必勝の二文字を胸にツインリンクもてぎへ乗り込んだ。レースは惜しくも優勝を逃したもののロレンソが2位表彰台を獲得。一方、ストーナーが3位で終わったことにより、ロレンソとの差は40ポイントとなり、ラスト3戦を残してチャンピオンの行方は再び予断を許さない雰囲気を漂わせはじめた。
 最後の3戦で一気に点差を詰めて逆転王座を狙うロレンソとヤマハ・ファクトリー・レーシングは、第16戦オーストラリアGPでストーナーとしのぎを削り合い、ストーナーのポールポジションに対してロレンソ2番グリッド。決勝日午前のウォームアップ走行でも、ロレンソは午後のレースに向けて順調に最終確認を行い、20分の走行時間を最速ラップタイムで締めくくろうとしていた。その矢先に、アクシデントが発生した。
 前半の区間タイムで自己ベストを更新しながらストーナーを上回るペースで周回をまとめようとしていた最終コーナーの立ち上がりで運悪く路面のバンプ(凹凸)を拾ってしまい、転倒。その際の衝撃で左手薬指を損傷する怪我を負ってしまった。即座に立ち上がって搬送車に乗り込み医務室へ足を運んだが、指先の負傷が激しいために決勝の出場にドクターストップがかかり、ロレンソは夕刻にメルボルンの病院で手術を受けた。ロレンソの負傷欠場により、ストーナーの2011年王座が確定。地元で念願のチャンピオンを獲得したストーナーは「本当はホルヘと最後までバトルをして雌雄を決したかった。手術の成功と一刻も早い復帰を願っている」と、同世代の好敵手にエールを送った。
 続く第17戦マレーシアGPをロレンソは負傷欠場し、その代役として日本人選手の中須賀克行が参戦したが、決勝レース開始直後に悲劇がパドックを襲った。ロレンソやスピースのライバルとして何度も激しいバトルを展開してきたM・シモンチェリ(ホンダ)が、2周目に転倒して他車と接触するアクシデントに発展。その際の衝撃でシモンチェリは24年の生涯を閉じた。アクシデントに絡んだエドワーズも転倒して鎖骨等に負傷を負った。このため、決勝は中止。明るい人柄で誰からも好かれたシモンチェリの急逝に、全関係者が悲嘆に暮れる辛い一日になった。
 その2週間後に開催された最終戦のバレンシアGPは、シモンチェリの追悼レースとして、クラスや陣営の垣根を越えて全選手が故人のバイクナンバー58をヘルメットやツナギ、マシンなどに貼り込んで弔意を表した。このレースでは、ヤマハ陣営の選手たちが大健闘した。日曜の決勝はドライコンディションで始まったものの、雨がときおり落ちてくる困難な状況。終盤ではトップを走行するストーナーが不安なコンディションを考慮してペースを落とす一方、スピースが巧みなマシンさばきで一気に差を詰め、ストーナーをオーバーテイク。そのままの順位で最終ラップの最終コーナーを立ち上がり、勝負は決したかに見えた。が、そこからゴールラインまでの短い距離でストーナーがわずかに先行。0.015秒差でスピースは2位のチェッカーを受けた。
 また、クラッチローも終盤でペドロサをオーバーテイクして4位へ浮上。自己ベストフィニッシュでルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。前戦に引き続きロレンソの代役参戦を果たした中須賀も15番グリッドから巧みに順位を上げ続けて最後は6位と大健闘。エドワーズの代役で急遽参戦が決定したジョシュ・ヘイズも中須賀に続く7位でゴール。ヤマハ陣営の選手たちはいずれも、難しいコンディションの中でYZR-M1の特性を最大限に引き出して、安定した好成績を収めて一年を締めくくった。
 2011年の全18戦を終えて、表彰台15回。今年のヤマハ・ファクトリー・レーシングは、オランダGP、アメリカGP、インディアナポリスGP、日本GP、そして最終戦のバレンシアGPの計5戦で、世界選手権参戦50周年を記念するスペシャルカラーで挑んだが、これらのレースではすべて表彰台を獲得して、重要な節目の年にいっそうの華を添えた。
 最終戦が開けた火曜日からは、スピースとクラッチロー、そして来年からモンスター・ヤマハ・テック3へ移籍してくるアンドレア・ドビィツィオーゾが2012年の新体制でテストを開始。それぞれ精力的な走り込みで新たなシーズンへの準備を開始した。2012年のチャンピオン奪還を目指すヤマハ陣営の選手たち、そして彼らを支えるスタッフ全員は、世界選手権参戦51年目の戦いに向けて、すでに新たな一歩を踏み出した。

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