電動トライアルバイクの研究開発
カーボンニュートラル実現のためのアプローチ
【インタビュー】 ヤマハ発動機 取締役 西田豊士×電動トライアルバイク TY-E 2.1(2023年公開)
ICE(内燃エンジン)を超えるEVの可能性に着目
ヤマハ発動機の研究部門には、業務時間の5%を自発的・自律的な研究に割り当ててられる「エボルビングR&D活動」という制度が存在します。電動トライアルバイク「TY-E」はこのルールがきっかけとなって始動した先行開発モデルです。
なぜ、「トライアルバイクの電動化が技術の先行開発に有益」という判断に至ったのか? 発端はEV(電動車)開発・普及の課題として長らく立ち塞がってきた「航続距離」にありました。トライアル※という競技では長距離の走行は必要とされません。限られたエリア・時間内でおこなわれます。
※トライアルレース:岩場や林間など自然の地形を活かし、高低差や傾斜が複雑に絡んだセクション(採点区間)が設定されたコースをバイクで攻略する競技。足を着かずにセクションをクリアすれば満点、足を地面に着くことで減点となり、複数セクションの合計ポイントで順位が決まる。
「長距離・長時間の走行を可能にしたい」→「エネルギー搭載量を増やす」→「バッテリーの容積・重量も増える」→「車両を動かすのに必要なエネルギー量も増加」→「結局は走行可能な距離・時間が増えていかない」というEVの開発と普及を阻んできたジレンマ。早い時期から二輪車の電動化の研究開発だけでなく、製品化と普及に取り組んできた当社でも長らく強固な壁となっていました。
競技用のトライアルバイクであればこのジレンマに煩わされる度合いは少なく、加えて、EV関連技術の近年の急速な進展によって二輪車への搭載が現実的なものになる、エネルギー密度が向上した従来よりも「コンパクトで軽量なバッテリー」が可能になってきたことが、TY-Eの研究開発を後押しする要因となりました。
そして、トライアルバイクのパワートレインに求められる特性は、低中速域でのトルク発生、瞬発力、ライダーの微細な操作に忠実なレスポンスとパワー制御が可能であることです。この評価点においても、技術の進化、将来的なポテンシャルという点で、次の技術を探る先行開発の対象として電動トライアルバイクはふさわしいと判断されたのです。
電動化で拡がる、技術チャレンジの幅と領域
パワーやトルクが高められればすべてのパフォーマンスが高まるわけではありません。EVへの適応にあたっては、車体技術においても、高度な研究開発が可能です。
トライアルバイクでは、ジャンプや着地など、走行時にかかる負荷や衝撃を受け止められる強度、ライダーの操作に呼応する剛性を備えつつ、極めて軽量な車体でなくてはならないという、二律背反とも言える難解なハードルを克服することが求められます。
この点においては、さまざまなEVが等しく直面してきているバッテリーシステムの軽量化も重要なテーマですが、カーボン繊維強化プラスチック(CFRP)素材、さらにモノコック構造の採用という、従来のトライアルバイクだけでなく、二輪車全体を見渡しても稀有な技術開発にチャレンジしています。
また、自動車でのEV普及が高級車やスーパースポーツ車から進んだことからも分かるように、大量生産・市販をふまえたEVの技術開発には、さまざまな用途・環境・そこでの耐久性・維持や保有の利便性といった多様な要件を実現するための「コスト設計」という壁もあります。
「航続距離」「パワー・トルク特性」「軽量化」という三竦みのトレードオフ関係にある開発のパズルを、さらに難解にする「コスト設計」という点では、ファクトリーチームの競技用車両という少数精鋭の体制であれば、市販車のための開発とは異なるプライオリティで比較的自由な研究開発をすることができます。
EVでも「ヤマハらしい」ことの価値、そのための技術
カーボンニュートラルの実現のために、主要なモビリティ製品として多くの人が電動バイクを選ぶ社会の到来には、バッテリー技術のさらなる革新はもちろん、充電インフラの普及・その地域のエネルギー事情という外部に依拠する要件もあり、当社が単独で推進可能な取り組みではありません。
その一方で、世界全体でのカーボンニュートラル実現という観点ではEVがより普及していくことが技術的に見込まれるだけでなく、社会やユーザーからの期待があることを考えれば、ライダーの意図や操作に忠実に応える「ヤマハらしい」「人機一体」なモーターサイクルであること、その価値は、EVというカテゴリーであっても何ら変わることはなく、パワートレイン・車体・電子制御という基盤技術の進化における核心であると考えています。
こうした背景を踏まえて、「エンジン車を凌ぐEV」を目標に掲げ、EVだからこそ拡がる技術の可能性を探る研究開発の一環として、電動トライアルバイクTY-Eのプロジェクトが始まっていったのです。
ICEモデルを上回る「楽しさ」をテーマに
2018年策定の「環境計画2050」が見直され、「2050年までに事業活動を含む製品ライフサイクル全体のカーボンニュートラルを目指す」という新たな目標が設定された2021年には、電動トライアルバイクの研究開発も次のフェーズに入ります。
初号機TY-Eでの5年間に得られた成果を反映し、2022年には「TY-E 2.0」へと進化。


電動トライアルバイク「TY-E 2.0」(2022年)
カーボンニュートラル実現に「楽しさ」でアプローチする “FUN × EV”を開発テーマとして、EVならではの魅力を活かした"内燃機関を上回る楽しさ"を実現するために、地道な作り込みと試行錯誤を積み重ね、TY-E 2.1に進化した以降のレース参戦では「ICEを上回るコントロール性と運動特性のEV」をめざす活動としてプロジェクト体制を一新。最新技術を投入、改良し続けることによって、実証の場であるレースでは「3年後の2025年シーズンにチャンピオン獲得」というゴールを設定。TY-Eの研究開発に拍車がかかっていきます。
初期モデルからTY-E 2.0への進化は、新設計のコンポジット(積層材)モノコックフレーム、メカニズムと制御の作り込みで性能が向上した電動パワートレイン、約2.5倍の容量となった新開発の軽量バッテリーなど、主要なコンポーネントを一新するものでした。
コンペティションの世界で実証を重ね、フィードバックによる細かな改良で2.1、2.2へとバージョンアップ、2024年にはさらにすべての要素を高め、極めたTY-E 3.0へと進化。目標としていた通り、2025年に全日本トライアル選手権で史上初となる電動トライアルバイクによるチャンピオンを獲得しました。
電動トライアルバイクTY-Eの研究開発の目的は、二輪車でのEV普及に必要なさまざまな要素技術、知見やノウハウの獲得です。そして、実証の場となった「未知の領域でトップをめざす」というタフな環境で求められる、思考や視野の拡げ方、判断・対応力、そのスピードや頻度によって、開発エンジニアのスキルと胆力も鍛えられました。
電動トライアルバイクの研究開発は、一つの完成形となって結実したのです。
TY-Eのプロジェクトを通じて当社が得たものはそれだけではありません。パワートレインやその技術が様変わりすることはあっても、モビリティで感じる「楽しさ」はなくてはならないもの、カーボンニュートラルであると同時に「FUN」であってほしいという、人々の期待に応えることも、ヤマハ発動機が目指すべきことであり、それが技術で生み出す価値なのではないか――そういった認識やビジョンがより明確になったことも、電動トライアルバイクの研究開発のもう一つの成果なのです。
《 TY-Eの技術 》
高エネルギー密度バッテリー(着脱式)
軽量コンパクトであることが重要なトライアル車両に搭載するために、一般的な着脱電池よりも出力密度を高めることがバッテリー技術開発の主眼となっており、体積密度が一般的な着脱電池よりも突出して高いことが最大の特徴です。
初期のTY-E(2018年)では出力密度を高めることが優先的なタスクであったため、エネルギー密度の方を犠牲にする設計になっていました。TY-E 2.0で新開発したバッテリーは高い出力密度を維持したままで一般的な着脱式バッテリーの中でも高水準となるエネルギー密度を実現しています。


TY-E 2.0の着脱式バッテリー


TY-Eのバッテリーの進化: 初代(2018年)からバージョン2.0
モーター・クラッチ・フライホイールバッテリーで構成された電動コンポーネント
密度の高いコイル巻きによって高回転・高出力かつ軽量コンパクトな形状を実現したモーターの搭載に加え、通常のEVでは不要とされるメカ二カルクラッチとフライホイールの採用が、トライアル競技での走行に必要な高度な出力密度を発揮するTY-Eのパワートレインの特徴です。
軽量でありながら出力密度が高い伝達機構であるメカニカルクラッチ採用の理由は、モーターの回転エネルギーから駆動力への変換効率を高めることにあります。
フライホイールで蓄えられるエネルギーは、電池からのエネルギーより遥かに小さく「一瞬で」使い切ってしまうものです。その「一瞬」によって通常のバッテリーとモーターの組み合わせにはない高い駆動力を得られることに着目し、トライアルバイクに必要な「軽さ」と「瞬発力」を実現するためにフライホイールバッテリーを採用しています。
(注)一般的なEVでは、バッテリーに蓄えられたエネルギーがインバーターとモーターによって変換された回転エネルギーのみで車輪を駆動する。駆動力の遮断・伝達をおこなうクラッチ、回転を安定させる役割のフライホイールは、内燃エンジンとマニュアルトランスミッションで走行する車両のための機構で、一般的にはEVには不要とされている装備だが、急峻な地形の登攀、発進・加速・停止、車体姿勢の維持や制御を繰り返すトライアル競技車両に必要なエネルギー密度(発生エネルギーに対する燃料源の容積・重量の度合い)、トルク特性、駆動トラクションのコントロール性を得るために採用。トライアルバイクに求められる極限までの車体の軽量化と相反するが、トライアル分野でのEV化では必須な技術、「楽しさ」を実現する要素となっている。
CFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastics)モノコックフレーム
CFRP(炭素繊維複合材料)とモノコック構造を採用した車体もTY-Eの特徴的な技術要素です。ICE(内燃機関エンジン)を搭載した従来のトライアル車両とは大きく異なる、EVに最適化した車体重量バランスと軽量化、フレームの剛性バランスを実現。縦(車体の前後を軸とした)方向と捻り方向の剛性を高めて、横方向は低めに設定した基本コンセプトを、TY-E 2.0以降のフレームではさらに進化させています。バッテリーをよりコンパクトにできたことで、格納する車体前方・上方のフレーム形状をさらにシンプル・スリム化し、ライダーの動きに干渉しないトライアルバイクとして理想的な車体を実現しています。


着脱式バッテリーの搭載スペースを考慮しつつ、車体全体の剛性や重量のバランスや強度を確保したモノコックフレーム
TY-E 3.0(2024年~)








