【山口周 × 滝沢守生】「遊び」によって環境・人・会社は再生されるのか?
NewsPicksで展開中の連載企画『地球がよろこぶ「遊び」のススメ』(全3回)の第2回。遊びの本質からリジェネラティブへの道をひもとく鼎談。
NewsPicksで展開中の連載企画『地球がよろこぶ「遊び」のススメ』(全3回)の第2回。遊びの本質からリジェネラティブへの道をひもとく鼎談。
環境を守るために、何かを「我慢」する。それは、本当に正しいのだろうか? これまで「持続可能性(サステナビリティ)」という言葉で語られてきた環境課題。その言葉が持つ「現状維持」のニュアンスに、私たちはどこか閉塞感があるのかもしれない。
独立研究者の山口周氏は問う。
「持続可能性という言葉は、パッシブで、つまらなくないですか?」と。
いま求められているのは、単なる維持ではなく、生命のバイタリティを沸き立たせ、人も自然もよりよくアップデートしていく「リジェネラティブ(再生)」という視点。そしてその鍵を握るのは、意外にも「遊び」であるという。
ヤマハ発動機とともに「地球がよろこぶ遊び」を探求する連載「地球がよろこぶ『遊び』のススメ」。
第2回は、山口周氏、そして日本のアウトドアカルチャーをけん引してきた編集者の滝沢守生氏を迎え、ヤマハ発動機の福田晋平氏とともに、「遊び」の本質からリジェネラティブへの道をひもとく。
「サステナブル」は、誰のためのものか
山口サステナビリティという言葉、じつは僕はあまり好きではないんです。この言葉には、どうしても「人間の都合」というニュアンスが強く漂っていますよね。
文明的で便利な暮らしを維持したい、でもこのままではリソースが枯渇して困るから、環境を壊さずに管理しましょう……という。
つまり、主語が「人間の文明の維持」になっている。それに「持続」って、人間にとってもっともつまらないことだと思いませんか? いかにもパッシブ、つまり受動的で、生命のバイタリティを沸き立たせるような響きがありませんよね。
福田まさに、その「ワクワクしない」という感覚が私たちの出発点でした。じつはヤマハ発動機でも、数年前まで新規事業の議論の中で「サステナブル」という言葉を使っていたんです。ですが、ボトムアップで議論しても、どこか義務感というか、守りの姿勢になってしまう。
私たちは「感動創造企業」を掲げていますが、感動するのは自然ではなく、あくまで「人」です。人が遊びを通じて再生し、その活力が自然の再生にもつながる。
そのためには、自然環境のダメージが深刻化するなかで、感動体験のフィールドとなる場所の維持・拡大・発展には、サステナブルではなくリジェネラティブな視点が必要不可欠になる。
そこで、2024年、横浜に「YAMAHA MOTOR Regenerative Lab(通称:リジェラボ)」をオープンしました。
この場所は共創スペースなんですが、空間には遊びというか、余白を残すようにしているんですよね。そういったスタンスであるからこそ、多様な人が集まれる場であるし、人が自然に混ざり合い、新しい価値が生まれるんじゃないかと考えています。
滝沢私は長らくアウトドア業界に携わってきましたが、初めてリジェネラティブという言葉を耳にしたのは、1990年代後半です。
1996年にアウトドアブランドのパタゴニアが、ウェアづくりに使用するバージン・コットンの100%をオーガニック農法で栽培されたコットンのみに切り替えました。
その後にオーガニック、不耕起(土を耕さずに作物を栽培する農法)などを優先させ、土壌を育成し、人間と動物の福祉を尊重する「リジェネラティブ・オーガニック」の栽培を実践する農家の支援も始めたんですね。
最近では、多年生穀物の「カーンザ」を使ったビールをつくり話題になりました。「カーンザ」は1年かけて育つ小麦と異なり、毎年土壌を耕さずとも育つ。それだけじゃなく、痩せていた土壌を修復するんです。
パタゴニアはアウトドアウェアのブランドだとみなさん認識していると思うんですが、創業者のイヴォン・シュイナードは「私たちはアウトドアブランドじゃない。10年後どのような企業になっているかわからないし、地球をよくするためにビジネスをする」と断言しています。
コットンの栽培は大量の水使用や、土壌・水質汚染といった環境負荷に加えて、人権問題が重なり、早くからリジェネラティブな農業が推進されてきましたが、パタゴニアは環境に直接関連する食品産業にも進出して、おいしいビールまでつくった。
これまでの「環境のために何かを犠牲にする」という感覚ではなく、楽しく、ポジティブに今よりも環境をさらによくしていく。リジェネラティブは「ネイチャーポジティブ」な姿勢こそが核心ですよね。
山口思想としては真逆なんですよね。これまでのサステナビリティは「マイナスをゼロにする」のが主眼でしたが、リジェネラティブは、人間の活動が増えると環境全体もプラスに作用していくという考え方。
人間も、ひとつの自然現象です。
つねに「生成(ジェネラティブ)」し続けているのが生命の本質。だとすれば、一度壊れかけたものを再び元の状態に戻していく「リジェネラティブ」という言葉のほうが、生命の原理に則っているし、希望を感じますよね。
「身体性」は無力化しつつある
山口で武装することがいい人生だと信じている人たちが大勢いました。子どもの幼稚園に行けば、駐車場にはヨーロッパの高級車がずらりと並び、母親たちが海外ブランドのバッグを持っている。
「ここでは、もうだめだ」と思って、10年ほど前に葉山に移住することに決めました。移住してまず驚いたのは、幼稚園のお迎えに来る親たちが、みんな短パンとビーチサンダル姿だったこと(笑)。
とくに大きな変化は、生活の中に「余白」が入ってきた点です。都会にいると暇なんですよね。日曜日にやることがなくても、時間を潰せる場所がない。結局、デパートやショッピングモールに行くことになって、消費に誘導されてしまうんですよね。
一方で現在の自宅からは徒歩数分でビーチに行ける。ビーチは「コモンズ(共有財産)」として開かれており、自然という不確実なものを「実感」できる。身を投じれば、都会で鈍っていた感覚がみるみる研ぎ澄まされていく。
これが、私が感じたリジェネラティブな体験。まさに再生でした。
滝沢都会という空間は、人間がつくった「箱の中」のようなものです。その都会にもかつては歴史や自然もあったわけですが、いまや海抜が高いのか低いのかさえもわからない。自然と人間の距離が離れてしまっています。
ですが山や海に向き合えば、風向き、潮の流れ、雲の気配にいたるまでつねに変化する自然を感じられる。時には命の危険も伴うので、否が応でも感覚を研ぎ澄ませることになります。
ただ、山口さんのようにすぐに移住を決断できる人はなかなかいませんよね(笑)。そこで、アウトドアがいいトレーニングになる。キャンプなんてプチ移住のようなものです。テントを張って、大地に寝て雨風や暑さ寒さを感じる。これは都会じゃなかなかできないことですね。
山口いま、テクノロジーによって人間の「身体性」や「センサー」が恐ろしいほど無力化されています。アラスカのイヌイットのガイドたちは、10年ほど前からスマホの地図を使うようになりましたが、皮肉なことに遭難事故は増えているそうです。
かつてのガイドたちは、雪の稜線の微妙な変化や風の匂いで帰り道を察知していました。それがスマホに頼ってしまったために、自然を読む力が退化してしまった。
これはリジェネラティブと対極にあるように感じます。つまり、我々は再生する力が失われやすい社会に生きているのかもしれません。
滝沢伝統的なイヌイットのコミュニティが衰退してきたことも原因のひとつです。自然を読む力は、親や近所の物知りな賢者によって知恵や教養として、口承で伝えられてきた。そのストーリーが受け継がれなくなってきている。これはかなり大きな問題です。リジェネラティブという視点で考えると、コミュニティの再生も重要な課題だと思います。
福田そういえば、私は地元が北海道なのですが、先日北軽井沢で星空を見たとき、ギリシャ神話や星座の知識がスラスラと口から出てきたんです。
隣には東京出身の方がいたのですが、「なんでそんなこと知ってるの?」と驚いていました。私にとって、自然の中で星を見ることは「遊び」だったのですが、それがいつしか「教養」になっていたんですよね。
山口葉山に住んでいる子どもたちは、ヨットなどのセーリングをするのですが、経験を積んでくると「10秒後にあっちから風が来る」と見えるようになる。
遊びを通じて不確実性と対峙し、野生のセンサーを再生させていく。その「全般的な感度の高さ」こそが、これからの時代を生き抜くための武器になります。
大人は「遊びのリテラシー」を学べ
山口そこが日本の労働生産性を下げている元凶です。僕の子どもがニュージーランドに留学していますが、あそこの人たちは本当に「遊びの達人」です。
夕方4時には帰宅して、土日は全力でマウンテンバイクやキャンプを楽しむ。
驚くべきは、ニュージーランドの生産性は日本より遥かに高いということです。なぜか? 理由は簡単です。「遊びたいので、仕事を圧縮して早く終わらせる」という強烈なモチベーションがあるからです。
日本でも働き方改革を叫ぶ前に、大人に「遊びのリテラシー」を教えるべきです。
福田ヤマハ発動機にも、遊び好きの社員がとにかく多いんです。
いかに仕事を早く終わらせてフィールドに出るかを真剣に考えている。その「遊びのスイッチ」が入っている状態こそ、もっとも生産性が高いんですよね。
滝沢遊びは緊張状態では起こりません。安全で、平和で、心理的に「緩んだ」環境があって初めて、遊びのスイッチが入る。遊びとは平和の指標なんです。
ゴリラの研究者で元・京都大学総長の山極壽一さんと一緒に、山歩きしているときに聞いたんですが、「遊び」には分類がある、と。
それはフランスの社会学者ロジェ・カイヨワが分析したものなんですが、遊びには「競争」「真似」「不確実性」「冒険」という4つの型があるというんです。
その上で、これらを適切に組み合わせ、弱い人にも合わせたルールをつくる。ハンディキャッピングといわれるものですが、弱い人に合わせるから遊びが成立する。
これは会社や組織、チームでもそうだと思うんですが、いいチームで生産性を上げるんだったら、一緒に遊べないと機能しない。ジャイアンみたいな人ばかりだったら、一緒に遊べないじゃないですか(笑)。
山口それこそ、オランダの歴史家であるヨハン・ホイジンガが提唱した「ホモ・ルーデンス」、つまりは遊ぶ人類ですよね。
彼によると、宗教・法律・産業・学問・芸術など、人の営みはすべて遊びを土壌とし、遊びの中から活力を得ているとしています。
ただ、この教養としての遊びが欠けつつある。
僕が葉山に移住して数年経った頃、東京の友人が子どもを連れて遊びに来たんです。目の前に豊かな海が広がっているのに、その子たちはパラソルの下でずっとスマホのゲームをやっているんですよ。
結局、彼らにとってビーチは「スマホをいじる場所」でしかなかった。遊び方を知らなければ、自然という最高のコモンズを目の前にしても、何も享受できない。
私たちは、子どもに勉強を教える前に、まず「遊びのリテラシー」を再生させるべきではないでしょうか。
「リザルト」ではなく「プロセス」に価値を
山口遊びの本質は、100%といっていいほどプロセスにあります。ここがビジネスとの大きな違い、あるいはこれからのビジネスの大きなヒントかもしれません。
たとえば、仲間と「大貧民(トランプ)」をやるとします。そこで、僕が「貧民」になって終わった。
でも、ゲームが終わったらみんなで楽しくご飯を食べますよね。勝敗というリザルトはゲームの中だけの話で、本質的な価値は「ああだこうだと言いながら、遊んだ時間」というプロセスにあるからです。
日本人がだらだらと仕事を続けてしまう理由も、ここにあると思っています。家に帰っても、どうせ楽しいことがないし、土日も別にやることがない。
つまり、日本人は「遊びのリテラシー」が低く、余暇の楽しみ方を知らない。一方で仕事には、目的やルールといった「ある程度」のゲーム性が備わっています。だから、遊び方を知らない人は、消去法的に仕事というゲームに没入してしまうんです。
福田ビジネスも、最終的なリザルトだけを追いかけると、その過程にある「共感」や「仲間との絆」がこぼれ落ちてしまう。プロセスそのものに価値を置く「プロセスエコノミー」的な発想こそ、いまのビジネスに欠けている遊びの要素かもしれません。
山口付け加えるなら、「プロセスを楽しめない人に、最終的なリザルトは付いてこない」ということです。手っ取り早く結果だけを求めようとしても、結局は質の高いプロセスを経なければ、価値あるリザルトには到達できない。
滝沢登山もそうですね。最短で頂上に行くのが目的なら、ヘリコプターを使えばいいんですよ(笑)。何の生産性も効率も求めない無償の行為だからこそ価値がある。
これから進むべき道を大局から俯瞰し、周囲の環境や状況を絶えず判断し、自分の足で一歩ずつ登り、苦労してたどり着くプロセスにこそ、達成感が宿る。効率を求めて回り道を省略した瞬間に、それはもはや遊びではなくなります。
山口最近はタイパ(タイムパフォーマンス)至上主義が蔓延していますが、人生は、最後は必ず「死」という負けが待っているロールプレイングゲームです。
コンプリートした瞬間に、現在の価値はゼロになる。だとしたら、プロセスを楽しまない限り、人生には何の価値もなくなってしまう。
「いいプロジェクト」や「いい仕事」には、遊びと同様に必ずいいプロセスがあります。いま、人間がやるべきは、AIが「効率が悪いからやめてください」と言うようなプロセスを逆に面白がってみること。
たとえば、米・ヨセミテ国立公園にあるビッグウォールの「エル・キャピタン」を、命綱なしのフリーソロで登ってみよう、なんて情熱はAIには絶対理解できない(笑)。でも、その一見無謀で非効率な「狂気」こそが、人の心を激しく揺さぶり、イノベーションを生むんです。
「非効率な情熱」が、個人を繋ぎ合わせる
山口むしろ逆なんです。僕が著書の『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)でも指摘したことなんですが、現代社会において「正解(役に立つこと)」はすでに供給過剰であり、コモディティ化しています。
効率を突き詰めたシステムには「遊び」がありませんが、その一方で、一見誰の役にも立たない非効率な情熱に振り切ったプロセスにこそ、人は強烈に惹きつけられ、そこに濃密なコミュニティが生まれている。
GoogleもFacebookもAppleも「自分たちはどうありたいか」「何が面白いか」といった視点からスタートしています。
1世紀を代表する企業は、遊びのセンスがある人が才能を集め、最終的に大きなインパクトを出している。つまり遊べない社会は、本質的なイノベーションも起こせないと僕は考えています。
山口私は、自然で遊ぶことは単なるレジャーではなく、一種の「社会運動」だと思っています。キャンプで一緒にテントを立て、同じ釜の飯を食うなど、野外で身体的感覚を伴う共同作業をする。
自然保護運動にしろ、ロックフェスにしろ、アウトドアの起源はカウンターカルチャーでもある。一緒にキャンプをしたり、同じ釜の飯を食べたり、野外で身体的感覚を伴う共同作業をすることで共感が生まれる。
そこで生まれる「仲間意識」は、合理的な契約社会では得られない、リジェネラティブな社会運動です。
福田我々も競合他社はいるものの、いまやアウトドアやモビリティという共通のフィールドを愛する仲間として、競合を超えた連帯感があります。
遊びという非効率な「回り道」を共有しているからこそ、単なるビジネス上の利害を超えて、環境整備やルールづくりでも協力できると感じます。
山口ヤマハ発動機さんのような「役に立つ(有用性)」だけでなく「意味がある(意味性)」の価値をつくってきた企業が、リジェネラティブを掲げるのは非常に象徴的です。
これまで人類は、安全・便利・快適という「文明的課題」を解決するプロセスを続けてきました。しかし、その山は既に登りきった。経済成長だけを追わず、成熟した「高原社会」に到達した私たちに、もう「役に立つ」だけの仕事は残されていない。
それゆえに、これからの人間の仕事は、本質的に3つの領域に集約されると僕は考えています。
ひとつめは「飾る」こと。デザインや美意識によって、世界に彩りを与えること。ふたつめは「遊ぶ」こと。内発的な動機に基づき、プロセスそのものを楽しむ文化を創ること。
そして3つめは、このシステムからこぼれ落ちた人々や、破壊された自然を「インクルード(包括)」すること。
人間の仕事とは、結局のところ3つしかない。現代社会において生きる意味を再発明していくことこそが、真のリジェネラティブの姿なのだと思います。
滝沢いま、日本の国立公園のあり方も大きく変わろうとしています。管理一辺倒から、もっと利用と保全を両立させる仕組みをつくって、その収益を環境保全に使おう、ポジティブなサイクルを回していこうと。
ヤマハ発動機さんのような企業が自然環境の利用と再生にコミットする意義は、今後ますます大きくなるんじゃないでしょうか。
福田まさに私たちヤマハ発動機が、リジェネラティブな取り組みを通じて実現したいのは、企業が単なる管理や維持にとどまらず、人と自然がともに豊かになっていくプロセスを提案することです。
私たちは「感動創造企業」として、山口さんがおっしゃるように、現代社会で鈍ってしまった野生のセンサーを、遊びを通じて取り戻していきたい。
そして、人が遊びを通じて再生し、その活力がフィールドである自然の再生へとつながっていく。 そんなネイチャーポジティブな循環を、事業を通じてつくっていきたいと考えています。
リザルトだけを追うのではなく、共感し、悩み、ともに遊ぶといった「プロセス」そのものを楽しみながら、新しい価値を生み出していく。 そんな「地球がよろこぶ遊び」の探求に、みなさんとともに挑戦していければ嬉しく思います。
企画:増田謙治/撮影:矢島慎一/デザイン:久須美はるな/執筆・編集:海達 亮弥
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2026-02-16 NewsPicks Brand Design
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